a 第15日目 2015/10/22 (木) 経路 −泊 甲浦 大和旅館−自家用車 甲浦〜伏越の磯−泊 尾崎 民宿徳増− 歩き距離 27.7千歩 16.6km 地図上距離 20.3km 出発 7時半 到着 14時 晴れ
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7:30出発。 宿の親父さんが軽4輪で、伏越の鼻(ふしこえのはな)の先まで送ってくれた。 |
![]() ![]() ![]() 地図にない休憩所あり。 上陸しない遥か沖合の台風のうねりが終日続いた。 |
![]() ![]() 伏越の鼻から入木(いりき)まで。 |
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![]() 「ゴロゴロ石と飛び石、跳ね石の中を進む四国第一の難所」と手記が残っているという。 |
![]() ![]() ハイビスカス。 |
![]() ![]() 佛海庵(ぶっかいあん)お参り。 村はずれで休んでいたら、家から出てきた嫗、何か飲み物を買え、と200円の接待を受ける。 |
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![]() ![]() 二日間我を追い抜く遍路なし明日は土佐入り室戸は近し |
![]() ![]() 14:00 泊処 尾崎の民宿徳増。 今日の歩き、淀ヶ磯を含め16km、誰にも追い抜かれず、追い抜きもせず、すれ違いもなかった。誰にも会わなかった。 夕方まで寝た |
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b 第16日目 2015/10/23 (金) 経路 −泊 尾崎 民宿徳増−バス 尾崎〜室戸−24番・最御崎寺−25番・津照寺−泊 25番・津照寺近く 太田旅館− 歩き距離 16.9千歩 10.1km 地図上距離 22.1km 出発 8時半 到着 14時 曇り 晴れ
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![]() 8:30 徳増民宿前バス停にて 8:15発安芸行きに乗車。数人の乗客、遍路我のみ。 8:40 御蔵洞(みくろど)到着。御厨人窟とも。 |
![]() ![]() ![]() 御厨人窟(みくろど) 奥に祭壇。 空海が住んだ場所という。 |
![]() 修行の場という。今、立ち入り禁止。 |
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![]() ![]() 9:10 捻岩(ねじりいわ) 空海を案じて尋ねてきた母親を避難させるために、岩を捻って隙間を作ったという。 |
![]() ![]() ![]() 標高165m。 |
![]() 叩くと、金属音が響く。冥土まで届くという。 |
![]() 宿坊横を左に降りると、24番への遍路道。 |
![]() 自動車道を下り、23番に向かう。 自転車を押す遍路に会う。我が上ってきた道は、40分かかり、歩くのも大変だった。 自転車の遍路もよく考えている。きっと、自転車遍路の手引き書があるのだろう。 |
![]() 土佐の国司、4年間の任期を終え、京へは船で帰った。この帰京の旅を書いたのが「土佐日記」。日記ではなく、帰る最中の出来事を虚構を交えて綴ったものという。 昔は、今の室戸港を室津港といったようだ。 |
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![]() お寺と室津港の写真を忘れる。撮ったつもりなのに、どうして。 |
![]() 最初の遍路の時、台風が来ていたためか、チンタの入れ食いだった、を思い出した。 14:00 宿へ。 |
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c 第17日目 2015/10/24 (土) 経路 −泊 25番・津照寺近く 太田旅館−バス 室津〜元橋−26番・金剛頂寺−バス 吉良川〜唐浜東−泊 27番・神峰寺登り口 浜吉屋− 歩き距離 20.0千歩 12.0km 地図上距離 27.9km 出発 7時 到着 14時 晴れ
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7:10出発。 |
![]() 7:40 室津バス停7:32発安芸行きに乗る。 |
![]() 民宿うらしまに、休憩所あり。 民宿の主に呼び止められ、コーヒーの接待あり。3人の遍路が泊まった、と言う。 |
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![]() 法性の 室戸といえど 我が住めば 有為の浪風 よせぬ日ぞなき 空海 |
![]() ![]() 本堂 大師堂。 |
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![]() ![]() 昼食を済ませ、吉良川(きらがわ)まで歩く 13:00 吉良川〜唐浜東(とうのはまほがし) までバスに乗る。 遍路3人降りたが、我以外戻っていった。理由分からず。 唐浜東から、1km歩く。 |
![]() 山は?、と聞かれたが、明日、と返事。 夕食まで、しっかり寝る。 |
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d 第18日目 2015/10/25 (日) 経路 −泊 27番・神峰寺登り口 浜吉屋−27番・神峰寺−鉄道 唐浜〜野市−28番・大日寺−泊 野市 丸米旅館− 歩き距離 31.2千歩 18.7km 地図上距離 33.6km 出発 6時半 到着 15時 晴れ
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6:30出発。リュック預けて、山登りのため、早立ち。 |
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![]() これから登りの車道。この道も歩きであり。 |
![]() ![]() また、車道へ。 |
![]() ![]() ![]() 標高430m。 |
![]() 本堂、大師堂は、階段登る。 お寺さんから、お茶の接待あり。どうも、歩きの遍路だけらしい。先回もそうだった。 帰りは、車道を下る。先回も、そうした。 |
![]() ![]() ホームのベンチで待つ、いや、休む。11:02発に乗る。 12:00 野市駅着。駅前の食堂で、カレーの昼食。 これから、28番大日寺へ向かう。 |
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![]() ![]() 龍馬記念館などあり。 日曜日のため、子ども連れ多し。 15:00 宿へ。 |
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e 第19日目 2015/10/26 (月) 経路 −泊 野市 丸米旅館−鉄道 野市〜後免−29番・国分寺−30番・善楽寺−泊 30番・善楽寺近く レインボー北星− 歩き距離 24.2千歩 14.5km 地図上距離 16.1km 出発 7時半 到着 14時半 曇り
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7:30出発。 |
![]() 8:30 JR土讃線後免駅。 バスに乗るつもりだったが、本数がないので、29番国分寺まで歩くことに。 |
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![]() ![]() ![]() 紀貫之の勤めた土佐守の事務所はこのあたりという。 |
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![]() ![]() ![]() この先の県道384号の逢坂峠が大変でした。 |
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![]() ![]() 14:30 近くの宿に。 室戸にあった看板の旅館に泊まる。明日、31番まで送ってくれるという。部屋は、アパートの1室の1部屋でした。 |
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f 第20日目 2015/10/27 (火) 経路 −泊 30番・善楽寺近く レインボー北星−自家用車 善楽寺〜竹林寺−31番・竹林寺−32番・禅師峰寺−33番・雪蹊寺−泊 33番・雪蹊寺近く 高知屋− 歩き距離 29.5千歩 17.7km 地図上距離 19.8km 出発 7時半 到着 16時 晴れ
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7:30出発。宿の女将の運転で、31番竹林寺に向かう。 |
![]() ![]() ![]() 標高 120m。 |
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![]() ![]() 10:10 武市半平太の家。今は、一般の民家。 |
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![]() ![]() 思い出を枝にのこしてはらはらと落つる木の葉よ秋をうらむな 晴海 曇り無き心の空に照る月はいく世経るとも光り輝く 玉照 |
![]() ![]() 岩の上のお寺。 桂浜方面を望む。 |
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![]() ![]() ![]() 県道278号の一部分。料金は0円。 日中は、1時間1本。 向こうに見えるは、怖い浦戸大橋。 |
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g 第21日目 2015/10/28 (水) 経路 −泊 33番・雪蹊寺近く 高知屋−34番・種間寺−35番・清滝寺−泊 35番・清滝寺登り口 白石屋旅館− 歩き距離 37.1千歩 22.3km 地図上距離 19.4km 出発 7時半 到着 15時 晴れ
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7:30出発。今日は、終日、歩く予定。 |
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![]() ![]() ![]() このお寺は、暗くなると戸を開けてくれて、寝ることが出来る、と言う話を聞いた。 噂だけかな?確認せず。 |
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![]() 2008年には、ナベツルの飛来地の看板があったが、見当たらない。 その土地へ来ると、思い出すことが、結構あるんだな、と思う。 |
![]() 1日、20km程度歩けるようになった。ありがとうございます。 15:00 宿に。 明日は、怖い宇佐大橋を。そうだ。バスに乗ろう!! 桂浜の浦戸大橋はフェリーに乗った。高所恐怖症は何時からかな? 若い時には、100mの鉄塔に平気で登れたのに。 |
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