a 第22日目     2008/10/24 (金) 

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 経路    白石屋旅館−36番・青龍寺−三陽荘

 歩き距離 23.1千歩 15km  地図上距離 12.5km  

 出発 8時  到着 15時  晴れ  すれ違ったお遍路さん  人

 宿屋    宇佐 三陽荘  泊まりのお遍路 5人


 

 7:30 高岡の遍路道。

 今日は、12kmの道。ゆっくりして、出発。県道39号を行く。

 9:00 塚地(つかじ)休憩所。ここから、峠越えの昔からの遍路道があるが、県道のトンネルを通ることにする。
 10:30 宇佐大橋。

 昔は、渡しだったという。

 11:40 第36番青龍寺(しょうりゅうじ)お参り。標高40m。

 イギリス人の遍路、ジョーンズさんに会う。

 最初の出会いは、21番太龍寺の麓の龍山荘だった。途中、何度か、話をした。

 これから後、足摺岬まで、何回か会い、話をして(遍路については、何とか話になる)、一緒だった。

 12:30 青龍寺の奥の院お参り。標高120m。

 国民宿舎土佐の横の山道の奥にあり。靴を脱げ、と指示があった。

 13:00 国民宿舎土佐にて、昼食。カレーライスを食べる。うまかった。

 太平洋。少し荒れた海と岩だらけの山。

 ここ泊の遍路も多いが、私は、満員で、断られた。

 14:00 明徳義塾。

 横綱朝青龍の母校。朝青龍は青龍寺から取ったという。日本名は明徳(あきのり)。

 14:30 川崎の堀江さん、石川のおばちゃんと会う。昨日も今日も、宿は違ったが、同じ町に泊まっていた。

 石川のおばちゃんとは、これが最後だった。名前を聞き損なった。堀江さんとは、足摺岬まで、時々会った。

 私の宿は、午後4時まで留守にすると看板があり、入れない。宿の前の浜で、時間まで待つことにした。

 15:00 宿に入る。民宿だったが、良い設備の宿だった。団体が多そう。

 明日、宇佐横波渡船は運行していることを確認。これに乗ろう。

 

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b 第23日目     2008/10/25 (土) 

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 経路    三陽荘−宇佐横浪渡船(10km)−別格5番・大善寺−安和乃里

 歩き距離 28.4千歩 18.5km  地図上距離 15.5km

 出発 6時  到着 15時  晴れ  すれ違ったお遍路さん  人

 宿屋    安和 安和乃里  泊まりのお遍路 2人


 

 6:40  宇佐横浪渡船の乗り場。

 川崎の堀江さんおり。青年と打ち合わせ中。二人とも、夕べは無料の宿止まり。

 青年は、運賃節約のため歩くという。

 

 7:00 須崎市営の渡船到着。対岸の長い半島との間を行ったり来たりの運行。

 平日は一杯だが、今日は、土曜日のため、客は我ら2名のみ。

 埋立〜横浪間、運賃620円。

 須崎市営宇佐横浪渡船 の航路。
 7:30 ホテル グリンピア横波三里の建物。

 今、営業していないが、1999年に泊まっている。着いたら、真っ暗だったことを思い出した。

 8:00 1時間、10km(船の運航距離は20km位かな)の舟の旅。横波(よこなみ)着。

 もちろん、歩いた距離に入れてない。距離計は万歩計ですから当然。

 遍路の旅で、舟は歩いたと見なすことになっているという。橋のない時代の名残らしい。

 足跡は付けたと見なした。

 9:00 県道23号の鳥坂トンネル。
 10:00 須崎の住友大阪セメント。

 先回、新しい道が出来て、迷って、地図を貰って、大変だったためか、懐かしい感じのする所。

 12:10 須崎市の町。
 12:20 旧道の遍路道。

 柳屋旅館は、創業120年という。今回も泊まらなかった。

 12:30 別格5番大善寺(だいぜんじ)お参り。
 14:30 安和(あわ)の集落。
 15:00 安和に泊まる。

 抹茶が出た。初めて、そして最後。

 

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c 第24日目     2008/10/26 (日) 

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 経路    安和乃里−37番・岩本寺−美馬旅館

 歩き距離 42.8千歩 27.8km  地図上距離 30.0km  

 出発 6時半  到着 15時半  雨  すれ違ったお遍路さん  人

 宿屋    窪川 美馬旅館  泊まりのお遍路 6人


 

 6:30 海岸通り(旧国道56号)を行くか、国道56号か、迷ったが、国道56号に決めた。
 6:40 国道56号の焼坂(やけざか)トンネル。

 約1kmのトンネル。交通量の多いトンネル。

 8:00 久礼(くれ)の町並、旧道の遍路道。
 8:20 大坂谷川(おおさかたにがわ)沿いの遍路道、大阪遍路道。

 桜並木が続く。

 9:40 6kmほどの大阪遍路道の内、最後の1kmほどで、200mほど登る。

 右の写真は、水が遍路道を横切っている。大雨の時は、通れない可能性がある。

 10:30 坂を登り切ると、七子(ななこ)峠。標高287m。

 ここから窪川(くぼかわ)まで、ゆったりとした下り坂。

 途中、うどんの昼飯。暖かくて、安くて、うまい。

 道の駅あぐり窪川で、休憩。

 15:00 第37番岩本寺(いわもとじ)お参り。標高210m。
 15:30 お寺の前の旅館に泊まる。雨の1日だった。

 通された部屋は、2間続きの立派な部屋だった。

 宿はもっとたくさんあったと思うが、お寺の前の旅館が廃業していた。

 

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d 第25日目     2008/10/27 (月) 

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 経路    美馬旅館−民宿日の出

 歩き距離 50.3千歩 32.7km  地図上距離 30.9km  

 出発 6時半  到着 15時  曇り  すれ違ったお遍路さん  人

 宿屋    上川口 民宿日の出  泊まりのお遍路 5人


 

 6:00 食事して、6時半出発。

 次の寺まで80km、今日は、30kmの歩き。

 7:30 市野瀬(いちのせ)遍路道の登り口。

 国道56号と交差。

 国道よりも楽と見て、歩き遍路道を取った。正解だった。

 8:10 窪川方面を見る。七子峠から市野瀬まで、海岸を離れた、280m程度の高台の地域だった。
 文化2年(1809年)、天明6年(1786年)の墓。
 9:10 佐賀温泉の遍路休憩所。
 10:50 伊与喜(いよき)からの旧道、遍路道。熊井(くまい)トンネル。明治のトンネル。

 トンネルを出た所で、休憩していたら、豊川の間瀬さんらが、追い越していった。足の速い人達。

 間瀬さんとは、この辺りから、第88番大窪寺まで、ほぼ、同じ行程であった。共に、別格回りをした。

 ずっと後のことだが、別格20番大滝寺は、同じ日。大窪寺は、私が、2日遅れだった。

 11:40 佐賀の伊与木(いよき)川と土佐くろしお鉄道、国道56号。

 昼食の握り飯を食う。子連れの若奥さんが、がんばれと声を掛けてくれた。

 12:10 白浜付近の海岸。
 13:30 国道56号の井の岬トンネル。
 14:40 上川口(かみかわぐち)の玉無浜(たまなしのはま)。

 尊良(たかよし)親王上陸地の碑。

 鎌倉時代、後醍醐天皇の子、尊良親王が、勢力争いに負けて、流された土地という。

 15:00 上川口の宿に到着。

 歩きは、軽快に歩くことが出来る。多分、結願まで、大丈夫という気がした。転んだりして、怪我をしないようにと思う。

 

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e 第26日目     2008/10/28 (火) 

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 経路    民宿日の出−旅館安宿

 歩き距離 41千歩 26.7km  地図上距離 26.8km  

 出発 7時  到着 15時  晴れ  すれ違ったお遍路さん  人

 宿屋    下之加江 旅館安宿  泊まりのお遍路 11人


 

 6:20 民宿日の出の、日の出。

 7:00 出発。

 7:20 遍路道は、入野(いりの)で、国道56号から海岸沿いに。

 田野浦(たのうら)から四万十大橋へ。

 

 10:10 四万十大橋。

 河口まで数kmのここら辺りでも、きれいな水。四万十川。

 平成17年まで、四万十大橋の下流、初崎(はつざき)に、渡船があった。乗ったことはなかった。

 12:00 新伊豆田(いずた)トンネル 長さ1620m。

 中村から土佐清水への国道321号のトンネル。歩道部分が少し高くなっていて助かった。

 今日は、イギリス人のジョーンズさんと、2,3度会い、昼飯を一緒に食べた。

 印刷屋さんだそうだ。テントと寝袋を持ち、野宿もしている。宿代が高いと嘆いていた。帰国する日が決まっているので、ゆっくりしていられないという。

 名刺交換。

 ジョーンズさんは、足摺から、海沿いを行く。私は、下ノ加江に戻る。別れが近いと感じていた。

 私のホームページを見てくれたかな。私は、見に行ってきました。Tシャツなどへの印刷が仕事らしい。

 他の歩き遍路の仲間とも、今日は、よく一緒になった。川崎の堀江さん、豊川の間瀬さん、など。

 足摺で、別の道になる。海回りは、1日余分に掛かる。別れが近いので、一緒になったわけではないが、明日の足摺岬で会って、以後、間瀬さん以外は、会っていないと思う。

 何となく、先が読めるようになった。私だけでなく、みんなも同じらしい。 

 15:00 下ノ加江(しものかえ)の宿に着く。

 名物親父で、夕食時、よく喋った。

 

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f 第27日目     2008/12/29 (水) 

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 経路    旅館安宿−38番・金剛福寺−金剛福寺宿坊

 歩き距離 37.7千歩 24.5km  地図上距離 25.5km  

 出発 6時半  到着 13時  晴れ  すれ違ったお遍路さん  人

 宿屋    室戸岬 金剛福寺宿坊  泊まりのお遍路 5人


 

 6:30 国道321号を行く。下ノ加江、久百々(くもも)を通り、大岐(おおき)へ。
 8:00 大岐松原。

 小さな川に掛かる沈下橋を渡る遍路。私の先を行く遍路達。

 8:40 大岐松原から海に迫る山の国道に登る遍路道。

 太平洋に向いた土地であるが、大岐松原のような砂浜があり、岩の露わな崖が迫る所がある。

 大まかに、太平洋側は、山が急峻だ。

 9:00 以布利(いぶり)港。
 9:10 以布利港から、また、山には入る。国道321号から県道27号を行く。
 海から崖を登る遍路道。江戸時代からの道。多分、もっと昔からの道という。

 この辺りから、足摺岬まで、数十mから200m位の高みが道になっている。

 波打ち際は、崖。

 12:40 足摺宇和海国立公園。
 ジョン万次郎の像。

 ジョン万次郎は土佐清水中ノ浜の人で、遭難して、アメリカに10年住んだ。広い視野を持ち、見聞を広め、幕末、明治の世に尽くしたという。

 足摺岬。

 花崗岩の崖と、亜熱帯の植物の岬。

 足摺岬 展望台入口に句碑。

 岩は皆渦潮しろし十三夜 水原秋桜子

 渡海僧の碑

 この地から、少しの食べ物を持ち、小さな舟で、海に出た僧があったという。

 足摺岬は、熊野と並んで補陀落(ふだらく)信仰の聖地だった。

 補陀落は観世音菩薩の住む世界で、海の彼方、インドの海岸にあるとされた。この補陀落をめざして小舟で海を渡ろうと、中世の人たちはそんな試みを繰り返した。

 12: 30 第38番金剛福寺(こんごうふくじ)お参り。

 登坂のない、お寺だったが、海からは、100m位高みだ。

 門前で、豊川の間瀬さんと会う。月山(つきやま)神社回りという。

 月山神社回りは、1日余分に掛かるので、もう会えないと思った。ところが、88番大窪寺まで、最後まで、よく会った。

 福島のおばちゃんとも会う。どこから一緒になったか覚えがない。これから、よく一緒になったが、51番石手寺を打って、判りにくい道後の宿へ、送りつけた後、会うことがなかった。

 金剛福寺の庭。

 多宝塔。

 13:00 金剛福寺宿坊に宿泊。納経所にて、宿坊の場所を聞くと、早いけれど行ってみろ、という。

 入れてくれた。ありがたかった。

 洗濯をして、天日に干した。夕方までに乾き、いい消毒が出来た。

 部屋に、雑誌、NHK短歌が置いてあり、記事に、金剛福寺住職夫人の写真と記事があった。

 あまり真面目に短歌はやっていない。今、止めているとのことで、短歌の話には、乗ってこなかった。

 今回の遍路行で、二人目の歌うたいにあった。

 団体さんと一緒。それで、泊まれたかな。

 

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g 第28日目     2008/10/30 (木) 

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 経路    金剛福寺宿坊−白皇神社−旅館安宿

 歩き距離 40.2千歩 26.1km  地図上距離 25.6km  

 出発 7時  到着 14時  曇り  すれ違ったお遍路さん  人

 宿屋    下之加江 旅館安宿  泊まりのお遍路 10人


 

 7:00 ゆっくり目の出発。5人の遍路の最後の出発となった。
 7:10 白皇(しらおう)神社お参り。

 下ノ加江に引き返す。リュックの荷物が少し軽いこともあるが、足の運びは早い。

 歩きは順調である。無理は禁物だが。

 8:30 津呂(つろ)の遍路休憩所。

 今日は、親父さん、不在。

 昨日は、世間話と遍路の話をして休んだが、写真撮影を忘れた。

 9:00 窪津(くぼつ)の遍路道。緩い坂道だが、窪津の集落に降りる所は、急坂。昨日は登りのため、登らなかった。

 昨日、水曜日は休みだったが、今日は、漁港の店は開いていた。

 手作りの弁当とおはぎを買う。安い。

 9:30 窪津の海。今日は静か。
 10:30 以布利の県道27号で、川崎の堀江さんと出会う。私の方が、1日進んでいた。

 堀江さんは、足摺岬から、土佐清水へ出て、竜串(たつくし)、月山(つきやま)神社から宿毛(すくも)へ行くという。もう、会えない気がして、遍路札の交換を行う。

 結局、堀江さんとは、2,3日の差があり、最後まで、会うことがなかった。

 6度目の遍路、五十何歳とのこと。何で食べて見えるか、お金持ちなのか、聞きたかったが、聞けなかった。

 11:30 大岐海岸の遍路休憩所で、昼食。

 地元の人達が、ハマグリを捕っていた。大きないい物だった。

 久百々の旧遍路道を通る。初めての道だ。

 以前泊めて貰った民宿久百々の女将が洗濯をしていた。頭を下げ、通過する。

 民宿久百々のホームページには、我がホームページをリンクして貰っている。

 14:00 下ノ加江の宿へ到着。

 洗濯して、置いていった荷物を、リュックに詰めた。忘れ物の無いように。

 
 

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