a 第29日目 2008/10/31 (金) 経路 旅館安宿−39番・延光寺−民宿嶋屋 歩き距離 48.6千歩 31.6km 地図上距離 25.5km 出発 6時半 到着 14時 曇り雨 すれ違ったお遍路さん 人 宿屋 平田 民宿嶋屋 泊まりのお遍路 9人
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6:30 下ノ加江からは2通りの道があるが、下長谷(しもながたに)三原経由の、距離は2km長いが、川沿いの平坦な道を行くことにした。
大阪の4人組と、よく一緒になった。昼食も一緒に、コンビニおにぎりを食った。泊は、宿毛といっていた。私は延光寺の際。 雨の県道21号を行く。大阪の4人組の1人が、足を引きずっている。膝が痛い、マメも出来ている。膝を治したいという。 マメを直せば、膝も治るのではないかといったら、膝を治したいのだと怒鳴られた。気持ちはよく判ったので、以後、膝を治す話は止めた。 抜きつ抜かれつつの歩き。 |
![]() 中村に来た公家の息女椿姫が行方不明となった。 乳母が悲しみのあまり「わたしは日向国嫗瀧大明神の子孫なり、人々の疾病を除き福寿を守護する」と唱えて瀧から身を投げたという。 以来、里人は岩かげに祠を建立して嫗瀧権現と崇拝した。いまもなお参詣する人が多いらしい。
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![]() 雨は、ほぼ、あがり。
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![]() 来週、どぶろく祭りがある。賑わうという。今日も、どぶろくを売っていた。 昼食の結びを喰う。大阪4人組と一緒。職場の仲間らしい。 |
![]() 遍路地図にある宿、清水川荘の看板の傍に。 |
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![]() ![]() 土佐最後の札所。よく歩いた。 |
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本堂の右横にある。弘法大師が里人が飲み水に困っているのを知り、錫杖(しゃくじょう)で地面を突き霊水が湧き出たものだ。眼病に効くという。 |
14:10 門前の宿に入る。
以前、他に2軒あった宿はない。廃業という。やる人が居なくなった。家族で運営するより手がないということらしい。 |
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b 第30日目 2008/11/01 (土) 経路 民宿嶋屋−番外・松尾大師−40番・観自在寺−旅館きさらぎ 歩き距離 44.9千歩 29.2km 地図上距離 26.6km 出発 6時半 到着 15時 晴れ すれ違ったお遍路さん 人 宿屋 御荘 旅館きさらぎ 泊まりのお遍路 2人
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6:30 今日も最後の出発。
国道56号を行く。 7時過ぎ、豊川の間瀬さんと会う。 足摺岬で別れたが、第39番延光寺お参りは、ほとんど差が無くなっている。間瀬さんの歩きが早いと言う事だ。 宿毛(すくも)の町に泊まったという。今日は、松尾峠を越えるという。 |
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![]() ![]() ![]() 国道56号が出来て廃れたが、今、遍路道になっている。 歩いて伊予に行くなら、今も、この道が早い。 |
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![]() 中世の海賊、藤原純友(ふじわらのすみとも)の城趾あるも、今日は通過。 先回、見晴らしの良い峠だったが、樹木が繁茂していた。 |
山道の遍路道を下り、県道299号を通り、一本松(いっぽんまつ)へ。
途中、休憩所で、昼食。静岡の78歳のおじいさん、山村さんと会う。以後、道後、第51番石手寺当たりまで、よく会った気がする。 一本松で、遍路道を止め、国道56号を行くことにした。
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15:00 お寺の近く、御荘(みしょう)の町に泊まる。 |
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c 第31日目 2008/11/02 (日) 経路 旅館きさらぎ−三好旅館 歩き距離 41.3千歩 26.8km 地図上距離 23.6km 出発 7時 到着 15時 晴れ すれ違ったお遍路さん 人 宿屋 津島 三好旅館 泊まりのお遍路 4人
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![]() 国道56号を行く。 |
![]() 海水浴場。 |
![]() 国道56号の分岐点。遍路道は、右に曲がる。標高470mの峠越えとなる。 私は、国道を行く。 |
![]() 歩行者、自転車用のトンネルが別にある。 |
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![]() ![]() ここも、歩行者、自転車用のトンネルが別にある。 |
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15:00 津島の泊は、三好旅館に決めてきた。おばあちゃんは、元気だったが、実権は、嫁さんに移っていて、店番をしていた。
もちろん、先方は、私など、記憶にない。こちらも知らん顔。 |
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d 第32日目 2008/11/03 (月) 経路 三好旅館−番外・馬目木大師−別格6番・龍光院−41番・龍光寺−42番・佛木寺−民宿とうべや 歩き距離 44千歩 28.6km 地図上距離 29km 出発 7時 到着 16時 雨曇り すれ違ったお遍路さん 人 宿屋 三間 民宿とうべや 泊まりのお遍路 5人
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7:00 宿出発。国道56号を行く。 |
![]() 入り口の左が、松尾峠遍路道。私は、国道を行く。 後で聞くと、よく整備されていて、歩きやすかったという。 |
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豊川の間瀬さんと会う。私が先に到着していた。
しばらく一緒に歩いたが、足の速さが違う。先に行って貰う。 |
![]() 10年前、ここで、母の絵を持つ幼稚園児の女の子と、その母を捜した。大分広い範囲を探したが、見つからなかった。 涙をためた女の子には、家に帰るようにいって別れた。今は、もう高校生だ。 近くに、県営住宅のような団地があったように思ったが、風景は、すっかり変わっていた。 |
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15:00 佛木寺から、少しいった所の、三間(みま)の宿に到着。6年前には、無かったように思う。
野生の狸が出る宿。夕食が終わる頃、窓を開けると数匹の狸。 我らの食い残した物が与えられた。まるまる太っていた。 餌が切れたら、もう生きていけないだろう。 |
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e 第33日目 2008/11/04 (火) 経路 民宿とうべや−43番・明石寺−ときわ旅館 歩き距離 49.8千歩 32.4km 地図上距離 30km 出発 7時 到着 16時 晴れ すれ違ったお遍路さん 1人 宿屋 大洲 ときわ旅館 泊まりのお遍路 5人
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7:00 宿出発。 |
![]() ![]() 昔からの峠越え道で、県道よりも楽そうだ。遍路道を登る。
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![]() 歯長峠越えの遍路道は止めて、歩道無しのトンネルを行く。 車が少ないだけ、うれしい。
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![]() お遍路に昨日も今日も南風 |
![]() ![]() 標高280m。 |
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![]() 高野長英の隠れ家あり。 |
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![]() 中務茂兵衛は、四国遍路を280回、歩いたと言われる。88回目遍路から道標を建てはじめる。江戸末期から、明治に掛けての人。 |
![]() 直に、トンネル。 |
![]() ![]() 歩道がなく、狭い国道のため、光るタスキあり。タスキを掛けて、赤い懐中電灯を持って歩く。 逆打ちの青年が入り口に見えたが、私のタスキを見てと思うが、引き返し、タスキを掛けて、トンネルに入ってきた。 |
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16:00 大洲(おおず)市内の宿に泊まる。
めずらしく、若夫婦の宿。洗濯は、接待です。出して下さい、でした。 別格7番出石寺の地図が用意されていた。 |
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f 第34日目 2008/11/05 (水) 経路 ときわ旅館−別格7番・金山出石寺−大洲城−大洲の町並−臥龍荘−ときわ旅館 歩き距離 49.2千歩 32km 地図上距離 29.2km 出発 6時半 到着 16時 晴れ すれ違ったお遍路さん 人 宿屋 大洲 ときわ旅館 泊まりのお遍路 6人
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6:30 宿出発。
道路工事中のため、JR西大洲駅横から、山に入った。 |
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![]() ![]() 雲海。 |
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![]() ![]() 出石寺へ11.5km。標高330m。 出石寺へ9.5km。標高490m。 |
![]() ![]() 車道だと、10kmはありそうだ。
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![]() 四国のどの県でも、罠を掛けてある、気をつけろ、の表示が頻繁にある。猪が多いとみえる。 |
![]() ![]() ![]() 1つだけ、お願いすると、叶えてくれるという。 |
水曜日休みという、出石寺の境内にある茶屋が開いていた。甘酒を貰う。
豊川の間瀬さんと会う。降りる所という。私は、これからお参り。30分は早いのだろう。 今日、会った歩き遍路は間瀬さんのみ。車の遍路は1組来ていた。 |
![]() ![]() 標高812m。 お寺の手ぬぐいを1本貰う。歩き遍路に渡しているという。 |
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![]() 殺生を業とする漁師を、この山に導き、千手観音に会わせてくれた。漁師は、漁師を辞め、妻子と別れて、仏門に入り、ここで修行した。 金山出石寺の開山縁起という。 |
![]() 夏目漱石の弟子で、子規のホトトギスに加わった。。宇和島の家老の家の子で、役人だった。。 虚子らの「俳句こそは花鳥諷詠、客観写生である」という客観写生の理念に飽き足らず、ホトトギスを離脱。 「生命を打ち込んで真剣に取り組むべきものである」として芭蕉の俳諧精神を尊び、人間修業としての俳句道を説いた。 子弟の育成に努め、門下から多数の優れた俳人を輩出した。 |
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![]() 近江の人。江戸時代初期の陽明学者。 その説く所は身分の上下をこえた平等思想に特徴があり、武士だけでなく商工人まで広く慕われ、近江聖人といわれた。 |
![]() ![]() 城を降りた所で、豊川の間瀬さんと会う。聞けば、道を間違え、1時間以上遠回りしたという。 |
![]() 明治34年、大洲商業銀行として建築。 赤煉瓦構造で、屋根には和瓦を葺いた和洋折衷の造り。 赤煉瓦の資料を展示した「れんが工房」や「ギャラリー」となっている。 |
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![]() ![]() この一帯で昭和41年のNHK朝のテレビドラマ「おはなはん」のロケが行われたことから「おはなはん通り」の名称で親しまれている。 |
![]() 私は、年寄りの部類で、無料だった。 ここで、また、間瀬さんと会う。 |
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16:00 いつも、通過地点の、大洲の町の観光を含め、32kmを歩いた。
宿の主人に、出石寺の道がよく判ったこと。雲海。大洲の町の観光を報告。お礼を言う。 |
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g 第35日目 2008/11/06 (木) 経路 ときわ旅館−別格8番・十夜ヶ橋−番外・千人宿記念太子堂−番外・楽水大師−民宿喜楽苦 歩き距離 42.5千歩 27.6km 地図上距離 22.5km 出発 6時半 到着 14時半 曇り すれ違ったお遍路さん 人 宿屋 大瀬 民宿喜楽苦 泊まりのお遍路 2人
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6:30 国道56号を行く。 |
![]() 弘法大師が、腹が空いたまま、この橋の下で野宿することになったが、夜明けまで十夜の長さに感じた。 十夜ヶ橋と名が付き、遍路が、橋で杖は突かない風習が出来たという。 行きなやむ浮世の人を渡さずば一夜も十夜の橋と思ほゆ 弘法大師 |
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![]() ![]() 木蝋(もくろう マッチなどに使う木から作った蝋)の豪商の家。 |
![]() 長岡山トンネル。
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![]() 確認しようと思ったら、地元に人に声を掛けられ、忘れてしまった。 |
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![]() 遍路が泊まれるようになっている。今日は、誰もいなかった。 |
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14:30 豆腐屋がやっている、宿に泊まる。
料理は、豆腐づくしだった。 |
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