1石山秋月(いしやまのしゅうげつ) 石山寺 2勢多(瀬田)夕照(せたのせきしょう) 瀬田の唐橋 3粟津晴嵐(あわづ のせいらん) 粟津原 4矢橋帰帆(やばせのきはん) 矢橋 5三井晩鐘(みいのばんしょう) 三井寺(園城寺) 6唐崎夜雨(からさきのやう) 唐崎神社 7堅田落雁(かたたのらくがん) 浮御堂 8比良暮雪(ひらのぼせつ) 比良山系
a 第15日目 2009/10/18 (日) 経路 −桜井市初瀬−長谷寺(鉄道)−奈良−9番・興福寺南円堂−興福寺阿修羅像展−奈良(鉄道)−宇治−10番・三室戸寺−宇治泊− 歩き距離 17.3千歩 11.2km 地図上距離 60km 出発 7時 到着 15時 晴れ すれ違ったお遍路さん 4人 宿屋 第一ホテル 泊まりのお遍路 0人
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![]() 奈良泊まりを予定したが、すべて断られた。阿修羅展があるようですが、人が集まっているようだ。今日は、日曜日でした。 泊まりは、宇治に。 |
![]() 近鉄長谷寺〜近鉄奈良駅 電車使用。 |
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![]() 如意輪観世音菩薩 お参り。 |
![]() ![]() 興福寺南大門の発掘調査中。 |
![]() 興福寺 北円堂 仮金堂で公開。 並んで待って、拝見した。 阿修羅立像(八部衆のうち) 裏側をのぞき込んで見てきた。
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![]() 北円堂 弥勒如来坐像 世親菩薩立像 無着菩薩立像 四天王像(四像) |
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仮金堂 釈迦如来ほか三尊像 四天王像(四像) 八部衆・十大弟子像
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![]() ![]() 作り替え工事中。 JR奈良駅〜JR宇治駅 電車使用。 |
![]() 岩間寺に電話したが、平日は、路線バスのみ、長距離歩かねばならない。バスの時間は知らないとの冷たい返事だった。 |
上醍醐寺と岩間寺について教えて貰おうと、参道で、婦人4人組の巡礼に声をかけた。 昨日、バスで、岩間寺へ行ってきた。上醍醐は、醍醐寺の境内にある、観音さんも拝めるとのこと。 ついでに、用済みといって、JR石山駅から岩間寺のバス時間表を貰った。 大変、助かりました。 先ほど、岩間寺に電話したが、平日は、路線バスのみ、長距離歩かねばならない。バスの時間は知らないとの冷たい返事だった。それで、声をかけたのだ。 |
![]() ![]() 千手観世音菩薩 お参り。 |
![]() ![]() 花の咲いていない時期でした。 |
宇治に戻り、平等院に行こうとしたが、人が多く、結局、入らずに戻った。 15:00 駅前に泊まる。 |
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b 第16日目 2009/10/19 (月) 経路 −宇治(鉄道)−醍醐−11番・上醍醐寺−醍醐(バス)−山科(鉄道)−石山(バス)−中千町−12番・正法寺(岩間寺)−13番・ 石山寺−大津市唐橋泊− 歩き距離 25.9千歩 16.8km 地図上距離 23km 出発 7時 到着 16時 晴れ すれ違ったお遍路さん 2人 宿屋 青年会館 泊まりのお遍路 0人
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![]() JR宇治駅〜JR六地蔵駅〜地下鉄醍醐駅 電車使用。 醍醐寺へは、9時前に到着したが、9時開門という。 |
![]() 座像准胝(じゅんてい)観世音菩薩 お参り。 醍醐寺 西大門。 |
![]() 拝んできたが、御開帳ではなかった。 上醍醐寺は、焼けたままだが、人は駐在しているとのこと。
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![]() ![]() 不動堂・護摩道場。 |
![]() ![]() ![]() 清瀧宮本殿。 五重塔。 |
醍醐〜山科 バス使用。JR山科駅〜JR石山駅 電車使用。JR石山駅〜中千町バス停 10:47発バス使用。 縁日(17日)、日曜は岩間寺行きがあるようです。 中千町から岩間寺まで、歩く。コンビニがあり、弁当を買う。 |
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![]() ![]() 千手観世音菩薩 お参り。 |
![]() ![]() 不動堂。 |
![]() ![]() ![]() 大師堂。 上醍醐寺からの山道。入山料を払えと、大きな看板あり。 |
![]() 古池や蛙とびこむ水の音 芭蕉 |
![]() すぐ、石山寺。 |
![]() 勅封二臂(ちょくふうにひ)如意輪観世音菩薩 お参り。 東大門。 |
![]() ![]() 紫式部源氏の間。 |
![]() ![]() 毘沙門堂。 |
![]() ![]() 多宝塔。 |
![]() 欄干は、白。 |
15:30 瀬田川の中にある、滋賀青年会館に泊まる。 |
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c 第17日目 2009/10/20 (火) 経路 −大津市唐橋−14番・園城寺(三井寺)−番外2番・元慶寺−15番・観音寺(今熊野観音)−16番・ 清水寺−京都市− 歩き距離 42.4千歩 27.6km 地図上距離 21km 出発 7時半 到着 16時半 曇りのち晴れ すれ違ったお遍路さん 0人 宿屋 六波羅屋 泊まりのお遍路 0人
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![]() 出発。 |
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![]() 近江八景の粟津の晴嵐は、ここより200m西の東海道の松が、晴れた風の強い日に枝葉が強くざわめく様を表したもの。 今は松並木はない。表示を、この河川敷に移した。 |
近江八景。この巡礼で、4箇所尋ね、比良の山を見てきた。
1石山秋月(いしやまのしゅうげつ) 石山寺 2勢多(瀬田)夕照(せたのせきしょう) 瀬田の唐橋 3粟津晴嵐(あわづ のせいらん) 粟津原 4矢橋帰帆(やばせのきはん) 矢橋 5三井晩鐘(みいのばんしょう) 三井寺(園城寺) 6唐崎夜雨(からさきのやう) 唐崎神社 7堅田落雁(かたたのらくがん) 浮御堂 8比良暮雪(ひらのぼせつ) 比良山系 |
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![]() ![]() JR膳所駅。 |
![]() 芭蕉の墓あり。 ここに葬るように遺言した。負けた人物が好きだったよう。 巴が名を変えて、この付近に住んだともいう。 お参り。 |
![]() ![]() ![]() 江戸の画家、伊藤若冲の天井画、花卉(かき)図。 花卉 「卉」は多くの草。観賞のために栽培する植物。 |
![]() 芭蕉座像がある。 |
![]() ![]() ![]() 巴塚。 芭蕉の墓。 |
![]() 旅に病で夢は枯野をかけ廻る 芭蕉
古池や蛙飛こむ水の音 の句碑もあったが、写真を忘る。 |
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![]() ![]() 三浦義一翁歌碑 巴 かくのごときをみなのありとかつてまたおもひしことはわれになかりき としつきは過ぎにしとおもふ近江ぬのみづうみのうへをわたりゆく月 |
![]() 巡査が斬りつけた「大津事件」の場。 |
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![]() ![]() 如意輪観世音菩薩 お参り。 観音堂参道と三井寺観音堂。 |
![]() ![]() 園城寺総門。 水観寺 お参り。 |
![]() ![]() 鐘楼 三井の晩鐘。 |
![]() ![]() ![]() ほぼ、琵琶湖疎水のトンネルの上。 峠に地蔵堂。喜一堂とあり。 |
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![]() 鉄道、トンネルの向こうに琵琶湖疎水。 |
![]() ![]() 京から、三井寺への近道。 山科地蔵 お参り。
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![]() ![]() 元慶寺への入り口。小さな道標を見落とし、聞いて戻った。 |
![]() ![]() 薬師如来 お参り。
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元慶寺開基は、遍照僧正で、遍照は、桓武天皇の皇子の子で、6歌仙、36歌仙の1人。
西国三十三所観音霊場巡りは、第8番長谷寺の開基である徳道上人が開祖。その後、しばらく途絶えていたのを花山(かざん)法皇が復興した。 花山天皇が、この寺で、藤原兼家らの策略により出家させられ、兼家の外孫である懐仁親王(一条天皇)が帝位についた。花山天皇が落飾した寺。 この寺は、花山寺とも呼ばれていた。 |
![]() ![]() 歌碑 2つ。 今こむといひしばかりに長月の有明のつきを待ちいてつるかな 素性法師 天津風雲の通い路吹きとじよ乙女の姿しばしとどめむ 遍照僧正
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![]() 15番観音寺へ行くため、ここを左に曲がる。一号線、新幹線を越え、東山の山越えがあるが、その道が判らない。地元の人に尋ねても、よく分からない。 |
![]() 観音寺まで2kmを1時間半を使ってしまった。地形と雰囲気と、地図、磁石で、どうやら峠を越し、鳥戸野陵の横を通り到着できた。 西国巡礼の例の赤い矢印を偶然見つけたのが幸いした。助かりました。
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![]() ![]() 十一面観世音菩薩 お参り。 本堂。 |
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![]() ![]() 千手千眼観世音菩薩 お参り。 仁王門 本堂と舞台。 |
![]() ![]() 轟門(とどろきもん)。 田村堂。一時、名前が変わった時あり。 観音寺、清水寺とも、本堂のお参りと朱印を貰うだけ。 |
16:30 六波羅蜜寺近くの民宿に泊まる。 |
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d 第18日目 2009/10/21 (水) 経路 −京都市−17番・六波羅蜜寺−18番・行願寺(革堂)−19番・頂法寺(六角堂)− 東寺−西本願寺−東本願寺−京都市泊− 歩き距離 18.5千歩 12km 地図上距離 6km 出発 7時半 到着 15時 晴れ すれ違ったお遍路さん 0人 宿屋 アルファ京都 泊まりのお遍路 0人
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![]() ![]() 十一面観世音菩薩 8時開門を待ち、お参り。 平清盛塚と阿古屋塚 お参り。 |
![]() 六道の辻。左に、空海作という、六道の辻地蔵尊の西福寺。 六波羅蜜寺がある町の名前は轆轤町(ろくろちょう)という。六道の辻は、この世とあの世の堺い目とされていた。 ここから東は、鳥辺野(とりべの とりべやまとも)という葬送地で、火葬や土葬もせず、野原に死体を投げるだけで、鴨川の河原は死体で溢れている時代もあったという。 |
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![]() ![]() 新京極を北上。 |
![]() ![]() お参り。 和泉式部が初代住職。 本堂。
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![]() お参り。 能「誓願寺」のお寺。 |
能「誓願寺」 一遍上人が女(和泉式部の化身)に乞われて「六十万人決定往生」の意味をたずねられ、如来の光明は人数に限りなく普く照らすという意味だと教える。 女は喜び「誓願寺」の額を書き換えて六字の名号に変えるよう頼み消えていく。 やがて歌舞の菩薩となった和泉式部の姿であわられて、曼荼羅そのままの浄土の世界を見せる。 |
![]() お参り。 場所は変わっているという。 |
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![]() ![]() 十一面千手観世音菩薩 お参り。 |
![]() 見真大師遷化(せんげ)之旧跡の碑。 浄土真宗の祖、親鸞(しんらん)は、ここ、善法院にて九十歳にて入滅。 明治天皇から「見真大師」(けんしんだいし)の諡号(おくりな しごう)を贈られている。 |
![]() ![]() コーヒー屋、イノダコーヒー本店。 |
![]() 如意輪観世音菩薩 お参り。 |
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![]() ![]() 金堂、講堂、五重塔はお参りしなかった。 縁日だった。 |
![]() ![]() ![]() 五重塔。 宝蔵(ほうぞう)。 |
![]() ![]() ![]() お参り。 |
![]() ![]() お参り。 |
15:00 今日と明日は、京都の時代祭。全然、意識していなかった。 どこも泊まる場所がなかった。今日の分は、京都駅で、探して、ようやく見つけた。 明日の泊まりはなかった。京都を出るしかないと思った。 五条辺りを歩いている時、ビジネスホテルの看板に出会った。電話すると、22日、宿泊できるという。早速予約した。 |
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e 第19日目 2009/10/22 (木) 経路 −京都市−法然院−銀閣寺−金閣寺−京都市泊− 歩き距離 19.7千歩 12.8km 地図上距離 0km 出発 9時 到着 15時 晴れ すれ違ったお遍路さん 0人 宿屋 スーパーホテル 泊まりのお遍路 0人
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![]() 夏目漱石の句碑。御池大橋西詰め南側に建つ。 春の川を隔てて男女(おとこをみな)哉 漱石 |
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![]() ![]() 時代祭は、12時京都御所を出て、14時半平安神宮に到着。行列は、2時間位続くという。
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![]() 白河天皇の法勝寺のあったここに庭園があり、白河院庭園とした。 京都の金持ちが維持してきたという。今、宿泊施設になっている。
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![]() お参り。 総門。 |
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![]() 白砂壇(びゃくさだん) |
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![]() ![]() 河上肇墓。 |
![]() ![]() 左 「寂」には谷崎潤一郎松子が眠っている。 右 「空」には松子夫人の妹重子夫妻の墓。 松子は、三人目の妻。松子姉妹は細雪のモデル。 |
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![]() お参り。 |
![]() ![]() ![]() 銀沙灘(ぎんしゃだん)。 向月台(こうげつだい)。 |
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![]() ![]() ![]() 銀閣の屋根 柿葺(くこけらぶき)。 修理中。 |
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![]() お参り。 |
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![]() ![]() ![]() 白蛇の塚。 龍門滝。 |
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15:00 五条の宿に泊まる。 |
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f 第20日目 2009/10/23 (金) 経路 −京都(鉄道)−東向日(バス)−善峯寺−20番・善峰寺−21番・穴太寺(あなおじ)−亀岡市泊− 歩き距離 38.5千歩 25km 地図上距離 37km 出発 7時 到着 16時 晴れ すれ違ったお遍路さん 0人 宿屋 BH ポニー 泊まりのお遍路 0人
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![]() ![]() 阪急東向日駅で、大阪の友達と待ち合わせ。 阪急四条駅〜阪急東向日駅 電車使用。 |
阪急東向日駅〜善峯寺 バス使用。 善峯寺までバスを使用した。バスは、門前まで送ってくれた。阪急バス66号善峯寺行き JR向日町駅始発。 はじめの予定通り、ここを歩いたならば、21番穴太寺には着かなかった。バス使用の判断は正解だった。 |
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![]() ![]() 千手千眼観世音菩薩 お参り。 山門。 観音堂(本堂)。 |
![]() ![]() ![]() 経堂と多宝塔。 遊龍の松(ゆうりゅうのまつ) 樹齢600年の五葉松。 |
![]() 北門を出て、三鈷寺を通り、標高差200mを登る。
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![]() 左 ポンポン山の表示。東海自然歩道。 標高500mの平坦地。 同行の友は、以前、ポンポン山に登り、ここへ降りてきたかな、といっていた。 |
![]() ![]() 椎茸の販売所あり。 送電線と2万5千分の1地図を頼りに、歩いた。 亀岡南つつじヶ丘桜台の団地付近で、道を間違い、2,3kmの遠回りをした。 |
![]() 聖観世音菩薩 お参り。 仁王門。 |
![]() ![]() 穴太寺、標高100m。 善峯寺 標高500mから、25kmで、400m下ったことになる。歩きやすかった。 |
![]() 際に、茅葺きの農家あり。
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16:30 亀岡駅前で、今日1日付き合ってくれた友と食事。 久しぶりのビールを飲む。20km以上の山道は初めてという。 大阪まで、2、3時間掛かるので、早めに切り上げた。 |
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g 第21日目 2009/10/24 (土) 経路 −亀岡(鉄道)−山崎−西国街道−桜井駅−継体天皇陵−22番・総持寺−総持寺(鉄道)−石橋−池田市石橋泊− 歩き距離 30.8千歩 20km 地図上距離 29km 出発 8時 到着 15時 曇り すれ違ったお遍路さん 0人 宿屋 BH やさか 泊まりのお遍路 0人
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![]() ![]() 穴太寺から総持寺への山越えは、29kmですが、バスを利用しようとしたが、駅で聞いても詳細が分からない。 鉄道で西国街道まで出て、総持寺まで歩くことに。 JR亀岡駅〜JR山崎駅 電車使用。 |
![]() ![]() ここから、西国街道を総持寺まで、桜井駅、継体天皇陵を見て、歩くことにした。 |
![]() ![]() ![]() 西国道 の道標。 関大明神社 お参り。 |
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![]() 水無瀬川(みなせがわ)の水無瀬橋。万葉の昔からの歌枕。 水無頼川をちの通路みつ満ちて舟わたりする五月雨のころ 西行 |
![]() ![]() ![]() 楠木正成が息子と別れた場所。 謡曲「楠露(くすのつゆ)」の場所。 |
![]() ![]() 枯れてしまった旗立松(はたたてまつ)。旗掛松・子別れ松とも。 |
![]() 高槻で道に迷い、淀川に出てしまう。戻れといわれる。どうやら、西国街道に戻れた。 継体天皇陵に近い所だったと思うが場所が定かでないが、大学生相手の食堂があり、そこで昼食をとる。 |
![]() ![]() 26代天皇 503年即位。 |
継体天皇。 北陸出身の天皇。 日本海は、大陸と繋がりが強かった。朝廷は、それを必要としたのだろう。 世が乱れていて、苦労したらしい。即位後大和に都を置くまで20年を要したという。 謡曲「花筐(はながたみ)」の主人公。
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![]() 千手観世音菩薩 お参り。 山門。 |
![]() ![]() ![]() 本堂。 金堂。 大師堂。 |
![]() 阪急総持寺駅〜阪急石橋駅 電車使用。 勝尾寺は、万博会場からの予定をやめ、大阪の友と、箕面から登ることにしたので、大阪石橋に泊まるに変更。 |
16:00 阪急石橋駅に泊まる。 息子の学校が、ここ石橋だった。二十数年ぶりの阪急石橋駅。 |
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