a 第15日目     2009/10/18 (日) 

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 経路    −桜井市初瀬−長谷寺(鉄道)−奈良−9番・興福寺南円堂−興福寺阿修羅像展−奈良(鉄道)−宇治−10番・三室戸寺−宇治泊−

 歩き距離   17.3千歩   11.2km  地図上距離  60km  

 出発 7時  到着 15時  晴れ  すれ違ったお遍路さん  4人

 宿屋    第一ホテル 泊まりのお遍路 0人


 

 7:30 初瀬の町並み。

 奈良泊まりを予定したが、すべて断られた。阿修羅展があるようですが、人が集まっているようだ。今日は、日曜日でした。

 泊まりは、宇治に。

 7:40  近鉄長谷寺駅。

 近鉄長谷寺〜近鉄奈良駅 電車使用。

 9:10 興福寺境内。
 9:20 第九番 法相宗 興福寺南円堂(こうふくじなんえんどう)

 如意輪観世音菩薩

 お参り。

 興福寺五重塔。

 興福寺南大門の発掘調査中。

 「お堂で見る阿修羅展」を見る。

 興福寺 北円堂 仮金堂で公開。

 並んで待って、拝見した。

 阿修羅立像(八部衆のうち) 裏側をのぞき込んで見てきた。

 

 北円堂 弥勒如来坐像 世親菩薩立像 無着菩薩立像

 四天王像(四像)

 仮金堂

 釈迦如来ほか三尊像 四天王像(四像)

 八部衆・十大弟子像

 

 11:00 猿沢池。
 11:20  JR奈良駅。

 作り替え工事中。

 JR奈良駅〜JR宇治駅 電車使用。

 12:40  宇治川 宇治橋。

 岩間寺に電話したが、平日は、路線バスのみ、長距離歩かねばならない。バスの時間は知らないとの冷たい返事だった。

 上醍醐寺と岩間寺について教えて貰おうと、参道で、婦人4人組の巡礼に声をかけた。

 昨日、バスで、岩間寺へ行ってきた。上醍醐は、醍醐寺の境内にある、観音さんも拝めるとのこと。

 ついでに、用済みといって、JR石山駅から岩間寺のバス時間表を貰った。

 大変、助かりました。

 先ほど、岩間寺に電話したが、平日は、路線バスのみ、長距離歩かねばならない。バスの時間は知らないとの冷たい返事だった。それで、声をかけたのだ。

 13:00  第十番 本山修験宗 明星山三室戸寺(みょうじょうさんみむろとじ)

 千手観世音菩薩

 お参り。

 本堂。

 花の咲いていない時期でした。

 宇治に戻り、平等院に行こうとしたが、人が多く、結局、入らずに戻った。

 15:00 駅前に泊まる。

 

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b 第16日目     2009/10/19 (月) 

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 経路   −宇治(鉄道)−醍醐−11番・上醍醐寺−醍醐(バス)−山科(鉄道)−石山(バス)−中千町−12番・正法寺(岩間寺)−13番・ 石山寺−大津市唐橋泊−

 歩き距離 25.9千歩 16.8km  地図上距離 23km

 出発 7時  到着 16時  晴れ  すれ違ったお遍路さん 2人

 宿屋    青年会館  泊まりのお遍路 0人


 

 7:40  JR宇治駅。

 JR宇治駅〜JR六地蔵駅〜地下鉄醍醐駅 電車使用。

 醍醐寺へは、9時前に到着したが、9時開門という。

 9:00  第十一番 真言宗 深雪山上醍醐寺(みゆきやまかみだいごじ)

 座像准胝(じゅんてい)観世音菩薩

 お参り。

 醍醐寺 西大門。

 上醍醐寺の観世音菩薩は、仮住まいをしていた。

 拝んできたが、御開帳ではなかった。

 上醍醐寺は、焼けたままだが、人は駐在しているとのこと。

 

  真如三昧耶(しんにょさんまや)堂。

 不動堂・護摩道場。

 9:30  金堂。

 清瀧宮本殿。

 五重塔。

 醍醐〜山科 バス使用。JR山科駅〜JR石山駅 電車使用。JR石山駅〜中千町バス停 10:47発バス使用。

 縁日(17日)、日曜は岩間寺行きがあるようです。

 中千町から岩間寺まで、歩く。コンビニがあり、弁当を買う。

 11:30  東海自然歩道になっている、山道を登る。
 12:10  第十二番 真言宗 岩間山正法寺(いわまさんしょうほうじ) 岩間寺

 千手観世音菩薩

 お参り。

 本堂。

 不動堂。

 銀杏の木。

 大師堂。

 上醍醐寺からの山道。入山料を払えと、大きな看板あり。

 12:40  芭蕉池と句碑。

 古池や蛙とびこむ水の音 芭蕉

 14:10  岩間寺から石山寺まで歩く。

 すぐ、石山寺。

 第十三番 真言宗 石光山石山寺(せっこうざんいしやまでら)

 勅封二臂(ちょくふうにひ)如意輪観世音菩薩

 お参り。

 東大門。

 本堂。

 紫式部源氏の間。

 蓮如堂。

 毘沙門堂。

 御影堂。

 多宝塔。

 15:20  瀬田の唐橋。

 欄干は、白。

 15:30 瀬田川の中にある、滋賀青年会館に泊まる。
 

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c 第17日目     2009/10/20 (火) 

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 経路   −大津市唐橋−14番・園城寺(三井寺)−番外2番・元慶寺−15番・観音寺(今熊野観音)−16番・ 清水寺−京都市−

 歩き距離 42.4千歩 27.6km  地図上距離 21km  

 出発 7時半  到着 16時半  曇りのち晴れ  すれ違ったお遍路さん 0人

 宿屋    六波羅屋  泊まりのお遍路 0人


 

 7:50  滋賀青年会館。

 出発。

 瀬田川の琵琶湖方面 と下流。
 8:20  粟津の晴嵐(せいらん)。

 近江八景の粟津の晴嵐は、ここより200m西の東海道の松が、晴れた風の強い日に枝葉が強くざわめく様を表したもの。

 今は松並木はない。表示を、この河川敷に移した。

 近江八景。この巡礼で、4箇所尋ね、比良の山を見てきた。

 1石山秋月(いしやまのしゅうげつ) 石山寺 2勢多(瀬田)夕照(せたのせきしょう) 瀬田の唐橋 3粟津晴嵐(あわづ のせいらん) 粟津原 4矢橋帰帆(やばせのきはん) 矢橋 5三井晩鐘(みいのばんしょう) 三井寺(園城寺) 6唐崎夜雨(からさきのやう) 唐崎神社 7堅田落雁(かたたのらくがん) 浮御堂 8比良暮雪(ひらのぼせつ) 比良山系

 粟津の晴嵐碑付近の瀬田川。
 8:50  膳所(ぜぜ)公園。
 9:00  京阪膳所本町駅。

 JR膳所駅。

 9:30  義仲寺(ぎちゅうじ)。ここ大津は、木曾義仲が死んだ所で、その墓所。

 芭蕉の墓あり。 ここに葬るように遺言した。負けた人物が好きだったよう。

 巴が名を変えて、この付近に住んだともいう。

 お参り。

 朝日堂(本堂)。

 江戸の画家、伊藤若冲の天井画、花卉(かき)図。

 花卉 「卉」は多くの草。観賞のために栽培する植物。

 翁堂。奥の茅葺きの建物。

 芭蕉座像がある。

 この近くに、幻住庵(げんじゅうあん)、龍ヶ岡俳人墓地あり。

 木曾義仲の墓。

 巴塚。

 芭蕉の墓。

 旅に病で夢は枯野をかけ廻る  芭蕉

 

 古池や蛙飛こむ水の音 の句碑もあったが、写真を忘る。

 行春をあふミの人とおしみける  芭蕉桃青(とうせい 芭蕉の別の名)

 三浦義一翁歌碑

 巴

 かくのごときをみなのありとかつてまたおもひしことはわれになかりき

 としつきは過ぎにしとおもふ近江ぬのみづうみのうへをわたりゆく月

 10:10  ロシア皇太子遭難の地の碑。

 巡査が斬りつけた「大津事件」の場。

 10:20  長等(ながら)神社 三尾(みお)神社 お参り。

 

 10:50  第十四番 天台寺門宗 長等山三井寺(ながらさんみいでら) 園城寺(おんじょうじ)

 如意輪観世音菩薩

 お参り。

 観音堂参道と三井寺観音堂。

 園城寺総門。

 水観寺 お参り。

 金堂。

 鐘楼 三井の晩鐘。

 11:20  小関越え(こぜきごえ)。

 ほぼ、琵琶湖疎水のトンネルの上。

 峠に地蔵堂。喜一堂とあり。

 京都側は、歩く道が残っている。
 12:00  JR湖西線長等山トンネル、東海道線逢坂山トンネルの京都側。

 鉄道、トンネルの向こうに琵琶湖疎水。

 三井寺観音 道の道標。

 京から、三井寺への近道。

 山科地蔵 お参り。

 

 13:20 渋谷川田(しぶたにかわた)道の表示ある道。

 元慶寺への入り口。小さな道標を見落とし、聞いて戻った。

 13:30  番外 天台宗 華頂山元慶寺(かちょうざんげんけいじ)

 薬師如来

 お参り。

 

 元慶寺開基は、遍照僧正で、遍照は、桓武天皇の皇子の子で、6歌仙、36歌仙の1人

 西国三十三所観音霊場巡りは、第8番長谷寺の開基である徳道上人が開祖。その後、しばらく途絶えていたのを花山(かざん)法皇が復興した。

 そんなことから、徳道上人と花山法皇に関連する三寺院を番外として参拝することになったという。

 花山天皇が、この寺で、藤原兼家らの策略により出家させられ、兼家の外孫である懐仁親王(一条天皇)が帝位についた。花山天皇が落飾した寺。

 この寺は、花山寺とも呼ばれていた。

 歌碑 2つ。

 今こむといひしばかりに長月の有明のつきを待ちいてつるかな  素性法師

 天津風雲の通い路吹きとじよ乙女の姿しばしとどめむ  遍照僧正

 

 大石道(おおいしみち)の表示ある交差点。

 15番観音寺へ行くため、ここを左に曲がる。一号線、新幹線を越え、東山の山越えがあるが、その道が判らない。地元の人に尋ねても、よく分からない。

 鳥戸野 (とりべの)陵の碑。

 観音寺まで2kmを1時間半を使ってしまった。地形と雰囲気と、地図、磁石で、どうやら峠を越し、鳥戸野陵の横を通り到着できた。

 西国巡礼の例の赤い矢印を偶然見つけたのが幸いした。助かりました。

 

 15:00 泉涌寺への道から、観音寺への道。赤い橋あり。
 第十五番 真言宗 新那智山観音寺(しんなちさんかんのんじ) 今熊野観音寺

 十一面観世音菩薩

 お参り。

 本堂。

  時間が無くなり、大慌て。東大路通りを北上。ようやく清水寺。
 16:00  第十六番 北法相宗 音羽山清水寺(おとわさんきよみずでら)

 千手千眼観世音菩薩

 お参り。

 仁王門 本堂と舞台。

 轟門(とどろきもん)。

 田村堂。一時、名前が変わった時あり。

 観音寺、清水寺とも、本堂のお参りと朱印を貰うだけ。

 16:30 六波羅蜜寺近くの民宿に泊まる。
 

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d 第18日目     2009/10/21 (水) 

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 経路   −京都市−17番・六波羅蜜寺−18番・行願寺(革堂)−19番・頂法寺(六角堂)− 東寺−西本願寺−東本願寺−京都市泊−

 歩き距離 18.5千歩 12km  地図上距離 6km  

 出発 7時半  到着 15時  晴れ  すれ違ったお遍路さん  0人

 宿屋    アルファ京都  泊まりのお遍路 0人


 

 8:00  第十七番 真言宗 補陀洛山六波羅蜜寺(ふだらくさんろくはらみつじ)

 十一面観世音菩薩

 8時開門を待ち、お参り。

 平清盛塚と阿古屋塚 お参り。

 六道の辻。左に、空海作という、六道の辻地蔵尊の西福寺。

 六波羅蜜寺がある町の名前は轆轤町(ろくろちょう)という。六道の辻は、この世とあの世の堺い目とされていた。

 ここから東は、鳥辺野(とりべの とりべやまとも)という葬送地で、火葬や土葬もせず、野原に死体を投げるだけで、鴨川の河原は死体で溢れている時代もあったという。

 鴨川 松原橋。室町時代の五条橋。
 8:30  寺町京極と新京極。

 新京極を北上。

 東北寺誠心院 (せいしんいん) 真言宗。

 お参り。

 和泉式部が初代住職。

 本堂。

 

  五輪塔の和泉式部墓 お参り。
 8:40 浄土宗  誓願寺(せいがんじ)。

 お参り。

 能「誓願寺」のお寺。

 能「誓願寺」

 一遍上人が女(和泉式部の化身)に乞われて「六十万人決定往生」の意味をたずねられ、如来の光明は人数に限りなく普く照らすという意味だと教える。

 女は喜び「誓願寺」の額を書き換えて六字の名号に変えるよう頼み消えていく。

 やがて歌舞の菩薩となった和泉式部の姿であわられて、曼荼羅そのままの浄土の世界を見せる。

 信長の本能寺 法華宗。

 お参り。

 場所は変わっているという。

 京都市役所。
 9:00  第十九番 天台宗 霊麀山革堂行願寺(れいゆうさんこうどうぎょうがんじ)

 十一面千手観世音菩薩

 お参り。

 見真大師遷化(せんげ)之旧跡の碑。

 浄土真宗の祖、親鸞(しんらん)は、ここ、善法院にて九十歳にて入滅。

 明治天皇から「見真大師」(けんしんだいし)の諡号(おくりな しごう)を贈られている。

 高倉通りの足袋屋、分銅屋。

 コーヒー屋、イノダコーヒー本店。

 9:40  第十八番 天台宗 紫雲山頂法寺六角堂(しうんざんちょうほうじろっかくどう)

 如意輪観世音菩薩

 お参り。

 六角形の本堂。
 11:10  東寺 教王護国寺(きょうおうごこくじ)。

 金堂、講堂、五重塔はお参りしなかった。

 縁日だった。

 東寺 食堂(じきどう) お参り。朱印を受ける。

 五重塔。

 宝蔵(ほうぞう)。

 12:20  西本願寺。

 お参り。

 13:20  東本願寺。

 お参り。

 15:00 今日と明日は、京都の時代祭。全然、意識していなかった。

 どこも泊まる場所がなかった。今日の分は、京都駅で、探して、ようやく見つけた。

 明日の泊まりはなかった。京都を出るしかないと思った。

 五条辺りを歩いている時、ビジネスホテルの看板に出会った。電話すると、22日、宿泊できるという。早速予約した。

 

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e 第19日目     2009/10/22 (木) 

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 経路   −京都市−法然院−銀閣寺−金閣寺−京都市泊−

 歩き距離 19.7千歩 12.8km  地図上距離 0km  

 出発 9時  到着 15時  晴れ  すれ違ったお遍路さん 0人

 宿屋    スーパーホテル  泊まりのお遍路 0人


 

 9:30  今日は休日。

 夏目漱石の句碑。御池大橋西詰め南側に建つ。

 春の川を隔てて男女(おとこをみな)哉   漱石

 鴨川と三条大橋。
 
 10:00  平安神宮と神宮道。

 時代祭は、12時京都御所を出て、14時半平安神宮に到着。行列は、2時間位続くという。

 

 10:10  白河院庭園と法勝寺跡。

 白河天皇の法勝寺のあったここに庭園があり、白河院庭園とした。

 京都の金持ちが維持してきたという。今、宿泊施設になっている。

 

 永観堂総門。
 10:30  哲学の道。
 10:50  浄土宗 善気山法然院 萬無教寺(ぜんきさんほうねんいんばんぶきょうじ)

 お参り。

 総門。

 山門。

 白砂壇(びゃくさだん)

 本堂。
 11:10  阿育王塔。

 河上肇墓。

 比翼塚 潤一郎の字らしい。

 左 「寂」には谷崎潤一郎松子が眠っている。

 右 「空」には松子夫人の妹重子夫妻の墓。

 松子は、三人目の妻。松子姉妹は細雪のモデル。

 川田順の墓。
 11:30  臨済宗 銀閣寺 東山慈照寺(ひがしやまじしょうじ)。

 お参り。

 本堂。

 銀沙灘(ぎんしゃだん)。

 向月台(こうげつだい)。

 東求堂(とうぐどう)。
 観音殿(銀閣)。

 銀閣の屋根 柿葺(くこけらぶき)。

 修理中。

 お茶の井。
 展望所から。
 13:10  臨済宗 金閣寺 鹿苑寺(ろくおんじ)

 お参り。

 金閣。
 方丈。
 安民澤(あんみんたく)。

 白蛇の塚。

 龍門滝。

 茶室 夕佳亭(せっかてい)。
 15:00 五条の宿に泊まる。 
 

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f 第20日目     2009/10/23 (金) 

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 経路   −京都(鉄道)−東向日(バス)−善峯寺−20番・善峰寺−21番・穴太寺(あなおじ)−亀岡市泊− 

 歩き距離 38.5千歩 25km  地図上距離 37km  

 出発 7時  到着 16時  晴れ  すれ違ったお遍路さん  0人

 宿屋    BH ポニー  泊まりのお遍路 0人


 

 8:00  阪急四条駅。 阪急東向日(ひだしむこう)駅。

 阪急東向日駅で、大阪の友達と待ち合わせ。

 阪急四条駅〜阪急東向日駅 電車使用。

 阪急東向日駅〜善峯寺 バス使用。

 善峯寺までバスを使用した。バスは、門前まで送ってくれた。阪急バス66号善峯寺行き JR向日町駅始発。

 はじめの予定通り、ここを歩いたならば、21番穴太寺には着かなかった。バス使用の判断は正解だった。

 9:40  善峯寺東門。
 第二十番 天台宗 西山善峯寺(にしやまよしみねでら)

 千手千眼観世音菩薩

 お参り。

 山門。 観音堂(本堂)。

 本堂から山門を見る。

 経堂と多宝塔。

 遊龍の松(ゆうりゅうのまつ)

 樹齢600年の五葉松。

 10:10  三鈷寺(さんこじ)

 北門を出て、三鈷寺を通り、標高差200mを登る。

 

 10:30  善峯寺から1.6km。

 左 ポンポン山の表示。東海自然歩道。

 標高500mの平坦地。

 同行の友は、以前、ポンポン山に登り、ここへ降りてきたかな、といっていた。

 11:30  関西電力西京都変電所。

 椎茸の販売所あり。

 送電線と2万5千分の1地図を頼りに、歩いた。

 亀岡南つつじヶ丘桜台の団地付近で、道を間違い、2,3kmの遠回りをした。

 15:20  第二十一番 天台宗 菩提山穴太寺(ぼだいさんあのおでら)

 聖観世音菩薩

 お参り。

 仁王門。

 本堂。 多宝塔。

 穴太寺、標高100m。

 善峯寺 標高500mから、25kmで、400m下ったことになる。歩きやすかった。

 円山応挙生誕の地石碑。

 際に、茅葺きの農家あり。

 

 16:30 亀岡駅前で、今日1日付き合ってくれた友と食事。

 久しぶりのビールを飲む。20km以上の山道は初めてという。

 大阪まで、2、3時間掛かるので、早めに切り上げた。

 

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g 第21日目     2009/10/24 (土) 

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 経路   −亀岡(鉄道)−山崎−西国街道−桜井駅−継体天皇陵−22番・総持寺−総持寺(鉄道)−石橋−池田市石橋泊−

 歩き距離 30.8千歩 20km  地図上距離 29km  

 出発 8時  到着 15時  曇り  すれ違ったお遍路さん 0人

 宿屋    BH やさか  泊まりのお遍路 0人


 

 8:40  JR亀岡駅。

 穴太寺から総持寺への山越えは、29kmですが、バスを利用しようとしたが、駅で聞いても詳細が分からない。

 鉄道で西国街道まで出て、総持寺まで歩くことに。

 JR亀岡駅〜JR山崎駅 電車使用。

 9:50 JR山崎駅。

 ここから、西国街道を総持寺まで、桜井駅、継体天皇陵を見て、歩くことにした。

 離宮八幡宮 お参り。

 西国道 の道標。

 関大明神社 お参り。

 10:00  山崎あたりの複々線の東海道本線。

 水無瀬川(みなせがわ)の水無瀬橋。万葉の昔からの歌枕。

 水無頼川をちの通路みつ満ちて舟わたりする五月雨のころ  西行

 10:30  桜井駅跡。

 楠木正成が息子と別れた場所。

 謡曲「楠露(くすのつゆ)」の場所。

 楠公父子子別れの石像。台座に「滅私奉公」。

 枯れてしまった旗立松(はたたてまつ)。旗掛松・子別れ松とも。

 芥川宿と芥川一里塚跡。

 高槻で道に迷い、淀川に出てしまう。戻れといわれる。どうやら、西国街道に戻れた。

 継体天皇陵に近い所だったと思うが場所が定かでないが、大学生相手の食堂があり、そこで昼食をとる。

 13:40 継体天皇陵 お参り。

 26代天皇 503年即位。

 継体天皇。

 北陸出身の天皇。

 日本海は、大陸と繋がりが強かった。朝廷は、それを必要としたのだろう。

 世が乱れていて、苦労したらしい。即位後大和に都を置くまで20年を要したという。

 謡曲「花筐(はながたみ)」の主人公。

 

 14:10 第二十二番 真言宗 補陀洛山総持寺(ふだらくさんそうじじ)

 千手観世音菩薩

 お参り。

 山門。

 本堂。

 金堂。

 大師堂。

 14:40  阪急総持寺駅。

 阪急総持寺駅〜阪急石橋駅 電車使用。

 勝尾寺は、万博会場からの予定をやめ、大阪の友と、箕面から登ることにしたので、大阪石橋に泊まるに変更。

 16:00 阪急石橋駅に泊まる。

 息子の学校が、ここ石橋だった。二十数年ぶりの阪急石橋駅。

 

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