26 生田神社 神戸朝日ホール 兵庫 言論の自由を考える5・3集会 不信の壁を越えて 3/11後の言論と社会 6km 2012/05/03 |
連休中でジパングが使えないので、在来線で出掛けた。片道3時間半でした。
JRの乗り越しは、乗り越しの区間運賃を払うが原則だが、原切符が100km以内の切符の時は、新旧の運賃の差額を払うのだそうです。片道3770円でした。京都で改札口を出て乗れば3410円で行けま した。 JRの運賃は、地域、乗車区間によって異なるので、切符の区間は、駅名で表示する。一筆書き筆のルートを選べば1日乗っていても隣の駅までの安い運賃で乗れます。 等を知りました。 結構ややこしい運賃体系です。
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10:30
生田神社お参り。
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生田の森。
森の状態は、ここの狭い境内のみ。 |
句碑。 初暦めくれば月日流れそむ 五十嵐播水 復興を称へて長き御慶かな 五十嵐哲也 |
麺のタイ料理を食べた。三ノ宮の真ん中で、1050円でした。店員さんが美人揃いでした。 |
12:30
神戸朝日ホール。 |
第25回言論の自由を考える5・3集会 「不信の壁を超えて 3・11後の言論と社会」 1987年、朝日新聞阪神支局襲撃事件を機に始まった「言論の自由を考える5・3集会」が3日、神戸市中央区の神戸朝日ホールであり、聞いてきた。500人のホール満杯でした。 ちょっと見渡せば、老人ばかりと思いましたが、20代の若者も居たようです。若者が居ない方が問題ですね。
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1 基調講演 「新聞に新たな命を吹き込むために」
むの たけじ(ジャーナリスト) ・新入社員に話をしたが、反応がさっぱりなかった。 ・心配したが、後から来た感想文を見て安心した。話したことを良く理解し、自分の考えで感想文に。 ・進めたこと ・よく本記事を読め ・新聞記事と世間話、花鳥風月は別物である。 ・青木紅二 「百姓一揆総合年表」によれば、百姓一揆は江戸時代まで280年で3070件、江戸末期130年3000件、明治初期7年間700件。 ・明治初期、国民は、臣民だった。私も人民という言葉を使おうとしたが、使って貰えなかった。 ・戦争の連続、人類700万年。 ・大本営発表1本の時代でも新聞社には投稿がたくさんあった。 ・新聞放送は、国民のもの。 ・97歳、原稿なしの喋り、大きな声で、話は迫力があったが、判りにくいところがあり、何を言いたかったかよく分からないところがありました。 ・本人からではありませんでしたが、戦争報道の責任を取って朝日新聞を辞めたのは、失敗だったという。国民の側に立ち、敗戦後も報道すべきだった、という。 |
2 パネルディスカッション 「不信の壁を超えて 3・11後の言論と社会」
・マスコミの変化は? ・エリートパニックがあった。日本発よりアメリカ発の情報の方が正確だった。・中央と地方の言うことが変わった。・言っても変わらない、元の木阿弥、だから言わない。自分の成績を気にする。権力に寄り添う・非国民になるのを恐れる。・権力側と十分な距離を置かなかった。・大本営発表だった。・地方、市民、イデオロギーを相変わらず避けている。・東京が日本。・権力の監視は。 ・どうする? ・マスコミの相手が誰かを忘れていた。・隠された情報を引き出す。・脱記者クラブ。・脱ポチ宣言 プロメテウスの罠。・朝日2500人の記者、旅費、機材が自由が使える。 ・まだまだ模索している状態ですが、新聞記者始め、マスコミの皆さんの意気込みがある内は、大丈夫と思いました。また、自由な取材を妨げそうな法案も取り沙汰されているので、それにも目を向け見逃さないようにすべき。 |
終了 18:00
神戸三宮の夕食と思い探すが、人出が多く無理。蕎麦屋を見つけ入る。 19:30の電車に乗る。米原1回の乗り換え。帰宅24:00でした。 |
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