会社名 | 株式会社東海愛知新聞社 |
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所在地 | 〒444-0852 愛知県岡崎市南明大寺町12番地8 |
TEL | 0564-51-1015 |
FAX | 0564-51-1018 |
代表取締役社長 | 大津 一夫 |
設立 | 1945(昭和20)年12月 |
資本金 | 3500万円 |
従業員数 | 14名(パートを含む) |
取引先銀行 | 岡崎信用金庫 三菱UFJ銀行 碧海信用金庫 等 |
発行部数 | 10,000部 |
事業内容 | 愛知県岡崎市を中心に豊田市・西尾市・額田郡幸田町の話題を掲載する地方新聞(日刊紙)の発行 |
★国道248号線「上六名4丁目」信号機交差点を北進 ★名鉄バス |
1945(昭和20)年12月 「東海新聞」元能見町で創刊
1952(昭和27)年5月 「愛知新聞」康生町で創刊
1977(昭和52)年2月 「東海・愛知新聞」合併で「東海愛知新聞社」設立
2012(平成24)年4月 20,000号発行
東海愛知新聞は、1945(昭和20)年12月に前身の「東海新聞」が終戦後の廃虚の町、岡崎市元能見町に誕生し、現在に至ります。このことは、ひとえに地域の皆様方のご支援、関係各位のご協力、そして先輩諸氏努力の賜物と厚く御礼申し上げます。
本紙は、「東海新聞」と、1952(昭和27)年5月に岡崎市康生町に誕生した「愛知新聞」が、1977(昭和52)年2月に合併し、紙名を東海愛知新聞と改め、西三河の発展とともに歩んでまいりました。
この間、当社の経営陣も初代黒柳章、榊原金之助から、合併後は内田喜久、清水勉、千賀武弥、鈴木昇一、松林正八郎、長坂和男の8氏を経て今日に至っております。「東海新聞」の創刊当時は、元能見町の鶴屋旅館西の木造2階建ての借家住まいで、印刷は板屋町の岡田印刷さんに委託しておりました。
スタッフは戦前の新聞人を中心に30人程で、大変活気に溢れていたと聞いております。1948(昭和23)年には伝馬通1丁目に社屋を新築移転。1950(昭和25)年には印刷設備を導入して自社印刷とするとともに、経営組織を株式に改組し、1973(昭和48)年に現在地に新築移転したものであります。
創刊当時の岡崎市は人口10万人に過ぎませんでしたが、今や38万人を超え、名実ともに三河の中核都市として発展を遂げております。
近年は、若者を中心に“活字離れ”が進んでおりますが、地元の皆様方の身近な出来事を報道し、“地域の新聞”として文化の創造と継承を視野に入れ、未来への発展の橋渡しを担わなくてはならないものと考えております。
今ここに『汝は真実を知るべし、真実は汝を自由にならしむるものである』と興奮をもって伝えた創刊号巻頭の言葉を改めてかみ締め、社員とともに新聞事業に邁進いたします。
これからも末永く、ご指導とご支援を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。