SEOUL KOREA 2002
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□■□■ 2002年7月12(金) ■□■□
〜韓国には何がある?〜

韓国の食材が好きで、以前から現地へ行っていろいろ食べたい買って帰りたいという気持ちはありました。でもなかなか行動に移せなかった。ウチの小西さんにも「行って何があるの?」と言われるし。たしかに本格的な食材は大阪でも手に入る。う〜ん、行って何があるんだろう。反日感情?ううっ、うまく魅力を説明できない。そんな私たちの重い腰を一気にポ〜ン!と上げさせたのはやはり、2002年、日韓合同ホストで開催されたサッカーのW杯。毎日のように映るソウルの街、人々の熱気。何かある。韓国には何かあるっ。もう彼への説明は不要でした。W杯が終わった2週間後、熱気の残るソウルへ二人で出かけました。

■準備!
準備期間が短かったんで飛行機の手配が大変でした。JALやANAなど日本の航空会社はどこも一杯。大韓航空も満席。アシアナ航空だけは空いていました。HISで往復の航空券とホテル二泊を押さえる。空港からホテルへの移動の間だけ、向こうの添乗員さんが付くことになりました。日本語でも英語でもないところに行くので、これはかなり心強かった!

■仁川空港

名古屋から韓国まで2時間のフライト。なのに機内食が出ちゃう。ちょっと海外旅行気分♪海外旅行なんだけど。下に陸が見えてきたときはやっぱり感動した。韓国は端ッことはいえ、大陸の一部ですからっ。

入国審査は無言でした。恒例の「目的は?」「滞在期間は?」なんて質問一切なし!うつむいたままパスポートをチェックしてスッと通してくれました。い、いいの?

仁川(インチョン)は大きな国際空港でした。下の画像、道路には記号のようなハングルが。旅行したころは文字が全く読めなかった。今(2004現在)は読むことのみ出来ます。意味はチンプンカンプン。(読めても意味ない)

添乗員さんとは到着ロビーで落ち合いました。女性で日本語が上手!パンツルックにカバン、長髪、全部黒でキメていました。彼女に連れられてソウルに向かうのは、私たち夫婦と男性二人組の計4人。お金をウォンに両替えし、無口なおじちゃんが運転するワゴンに乗って、街中へいざ出発!


■一発で気に入った!添乗員さん

向かう途中、添乗員さんはいろんな話をしてくれました。いまソウルは目まぐるしく変わってるということ。街の開発は漢江(ハンガン)って川より南側に集中し、高層ビルやマンションなどすごい勢いで立っていること。国民的スポーツは野球から一気にサッカーへ変わってしまったこと。

韓国人のクルマの運転は荒いということ。とにかく急ぎたがる国民性。強引な追い越し、細かい車線変更は当たり前。無口なおじちゃんも荒かったが、これでも彼は抑え目に走ってると添乗員さんは笑ってた。他の車線に、バイクにメット無しで3人乗りをしている人たちがいた。あれはただのバカだと添乗員さんは罵った。それからくれぐれも、街の大きな道路は横切らないようにと言った。罰金らしい。信号か地下を使いなさいと忠告してくれた。

途中、大きな公園の横を通った。ここは北と南の離散家族が50年ぶりに再会した会場として使われたと教えてくれた。同乗の男性が「なんで離ればなれに?」と聞いた。添乗員さんは「(朝鮮)戦争を知らなくてこの国に来たの?」とキレ、呆れてた。このハッキリした物言い、好きかも。

ホテルに着く前に免税店に寄ってくれたけれど、用がなかったな〜。とっととキムチやお酒を買ってしまった。配送で。キムチは配送にするか帰りの際に買うこと。これも添乗員さんのアドバイス。本場キムチはすっぱい臭いがきついので専用の冷蔵庫が必要なんだそうです。韓国の一般家庭にはあるとか。ホテルの冷蔵庫には入れないのがマナー。

最後に、滞在中何かあったら連絡してねと携帯番号をみんなに教えてくれた。私には、アカスリ一人で行くんだったら誘ってね♪とも言ってくれた。この人懐っこさも好きだ!

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