小さい二輪車ライフ、小さい旅

最終更新日: 2010/10/31

安芸灘とびしま〜しまなみ海道 2010/10月

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3日目 大三島→ 尾道

食べ過ぎで胃が重いというぜいたくな悩みを抱えつつ、旅館を出発。
大三島を横切る道を東へ向かいます。ちょっとした上りがありますが、体力的にも効率的にも車道を行く選択が合理的なのかもしれないけれど、ここは自転車道を行きます。


味のある自転車道


島みかんソフト

道の駅多々羅しまなみ公園に到着。出発してまだ30分経ってないし、あまり寄るつもりはなかったのですが、島みかんソフトの表示が目についてしまい、準備作業中のお姉さんに頼んで営業時間前にいただきました。味に満足、おなかも満腹。
多々羅大橋への上りも軽々とこなし、生口島へ渡ります。


多々羅大橋


光明坊へ

メジャーな、以前も走った北部のルートを避け、今回は南側のルートを選択しました。 交通量は非常に少ないですが、生活道路+産業道路といった趣の道です。

途中、光明坊に寄り道しました。1000年ほどの歴史があるという、今は静かで平和なところです。境内で ほのかにみかんの香りを感じました。


光明坊


岩城島を見ながら



生口橋を渡り、因島へ


静かな場所は多くない

因島では、北部をぐるりとまわることにしました。
活気があるといえばいいのか、交通量も人も多いです。造船業関係の会社や工場も並ぶ通りを走っていると、風情を感じることも少ないです。観光客にはやはり島の中部に近い因島フラワーセンターを経由する道がいいのでしょう。

独特の構造の因島大橋を通り、向島へ渡りました。
ここまでコンビニは見かけましたが、食堂も喫茶店も無く昼飯のタイミングを逃していたので、休憩をかね、因島大橋 袂の公園で、非常食のカロリーメイトとゼリーを食べることにしました。

「四国から来たのか?」そう声をかけてきたのは、先客の、相当なご年配の男性。
私が昨日、呉から走ってきて、これから尾道へ向かうことを話し、2、3の言葉を交わした後、その男性は、疲れたのか、穏やかな表情のまま、体を動かさずに黙ってしまいました。

非常食を食べ始めた私は、その男性とそれ以上会話することはありませんでしたが、思い思いに同じ時間を過ごし、なぜか奇妙な友情が芽生えたような気がしました。
すぐ近くには年配者向けの介護施設があったことから、この男性はそこの住人なのかもしれません。同じような高齢の方々が、施設の前で釣りを楽しんでいることから、この男性は、体力的な問題なのか、何か事情があって、その輪に入れず、こうやって一人、海を見て過ごしているのかもしれません。
そうだよ、何もしなくていいんだ。一日中ぼうっと海を眺めていて何が悪い。
私だって、いつか体が動かなくなり、外出もままならない日が来ることでしょう。
そんな日が来たら、できれば、できれば病室の天井ではなく海を眺めて過ごしたい。


そろそろ出発です。
「じっちゃん、それじゃあ。 お元気でね」
そう声をかけた私に、男性は、「ああ... はい」

ふだんの癖なのでしょうか、施設の職員にはそう接しているのでしょうか。
私のようなブラブラした若輩者に丁寧語で応える男性。
かつて日本の復興や高度経済成長を支えたであろう、この男性が、過去の功績やプライドを捨てたその姿に、かえって尊敬の念を感じるのでした。

向島の海沿いを走ると、因島とはまた違って、ゆったりとした時間の流れになります。そんな海沿いの道もすぐに終わり、国道から渡船乗り場へ向かいました。


もうすぐこの旅も終わりです


渡船で尾道へ

尾道へ到着。もう何度も来ているので地図を見なくてもバッチリです。
宿に自転車を置き、今回は ここ尾道をじっくりと見て回ります。


ずんだのだんご


坂の街を古寺巡り

商店街を抜け、坂の街を味わいつつ、石段を登り、千光寺へ。


千光寺


三重塔

尾道水道をぼんやりと眺めていると、背後から女性2人連れの声がしました。
どうやら どのお守りを買うべきかを寺の人に相談しているようです。

成人した娘の幸福を願う母親。おそらくその気持ちは万国共通のものでありましょう。そして その幸福がすぐには手に入らない場合、こうして神仏にすがりたくなる気持ちも、誰にだってあると思います。
その願いとは、人並みの仕事、人並みの結婚と人並みの家庭生活。
特別なものじゃない、人並みを願う母と娘。しかし そこには容易には実現しない事情があるようでした。沈んでいる母娘に勧められる、数々のお札やお守り。


石段を下り、商店街を抜けて、夕食。やはり海のものは外せないでしょう。


石段を下ります


すしも天ぷらも一級品!



NHK連ドラの影響か、活気のある商店街


渡船乗り場の夜景も尾道ならでは

数々の人並みのこと ─それら外的な価値観を求める あの母娘の旅に、終着駅があるのかどうかはわかりません。外的な価値観よりも内的な価値観を考え始めている私の旅だって、終わりがあるのか怪しいです。でも旅とはそういうものかもしれません。