小さい二輪車ライフ、小さい旅

最終更新日: 2011/11/25

しまなみ海道〜四万十川〜高知 2011/10月

  松山から列車(2日目)> 四万十川(2日目) >仁淀川〜高知(3日目)

四万十川(2日目)

降りた江川崎駅で、同じ列車に乗り合わせていた折りたたみ自転車の初老男性が声をかけてきました。私と同じで中村まで走るとのこと。私がもたもたしている間にさっさと組み立てたその折り畳み自転車、なんと電動アシスト車でした。持ち運びが手軽でうらやましい。その男性は、MTBをレンタルした連れ合いと共に走って行きました。
ほかにもサイクリストが数人。小径車やレンタサイクルなど、思い思いのスタイルで走りだしていきます。私が自転車を組み立て終える頃には、ほかに誰も残っておらず、静寂を取り戻した江川崎駅を後にして、私も走り始めました。

まもなく四万十川が姿を見せました。数日前の大雨の影響か、やや透明度が低いように感じましたけれど、今日は天気もよく、その大きく、青い流れに魅了されます。


最初の橋を渡る前に腹ごしらえをすることにしました。ここを逃すと下流までずっと、店らしい店が無いかもしれないからです。

注文したのは鰻丼。もちろん天然の鰻です。ただ、私には標準サイズの鰻(この時期 \4,000弱)に手が出ず、小さくて薄いよと言われた小ぶりのほうにしました。(それでも\1,900)
脂がしたたり落ちる、豊満な養殖ものとは違い、脂の少ない、引き締まった野生の味でした。四万十川流域で暮らす人々が鰻を食べる場合、おそらく丸々と太った鰻を毎回食べているわけではなく、昔からこういった小さいサイズの鰻も食べてきたのでしょう。物足りなかったのが正直なところですけれど、昨日の疲れもとれて元気になった気がしました。

腹が落ち着いたところで、四万十川を眺めながら東岸の国道をゆったり下っていきます。狭い道ですけど意外に交通量が多いです。大型ダンプとすれ違うときなど、時折自転車を停めて、道のギリギリ左端へ寄らなければならないことも何度かありました。
田畑が点在しています。その規模が非常に小さいことが、他の地域と違って、川幅とはアンバランスなように感じました。


岩間沈下橋


すれ違うのは無理でしょう

江川崎から最初の沈下橋:岩間沈下橋に着きました。このあたりは観光客も少なく、抜群の雰囲気です。ここでの四万十川はまだ川幅が雄大というほどでもなく、それが逆にのどかな空気を醸し出しているようです。

国道を避け、ここから西岸の小路へ入りました。東岸の、なだらかな国道とは一転、急斜面沿いの激しいアップダウンを伴う狭い道で、砂利や石が散乱しています。
わずかな平地には狭い田畑が点在しています。小さい集落の生活を感じながら走るのもたまらない。川だけじゃない。虫の音、鳥の声を聞きながら、全身で自然を感じながら。キツイ上りも、その勾配を味わいながら。

そうか。少しわかったような気がしました。
海に注ぎ込む大河には、たいてい平野部がつきものです。
新潟の信濃川には越後平野。
関東の利根川には関東平野。
愛知の木曽川には濃尾平野。
徳島の吉野川は徳島平野。
四万十川にも河口付近に中村平野がありますけれど、これは中筋川に沿ったもの。

私は専門家ではないのでいい加減なことを推量しているのかもしれませんけれど、四万十川は決して平野部に流れる肥沃な大河ではなく、険しい山間部に流れる、奇跡の大河なのでしょう。用水路を整備しても、平野部が非常に少ないために、流域の耕作地帯がごく限られたものになってしまう。さらに瀬戸内海や土佐湾に比べ、地理上の影響もあって、大規模な産業が進出しなかった。
おそらくこの流域の人々にとって、昔から川しかなかったのです。川がすべてなのです。日々の暮らしは川とともに。四万十川の豊富な水量を、大規模農業や工業に利用しようなどとは考えられなかったのでしょう。ダムを造ることなどあり得ません。日本最後の清流と呼ばれる背景がひとつ見えたような気がしました。


渡ろうと思っていた口屋内の沈下橋は通行止めでした。橋脚が1つ流されてしまっているようです。自転車1台くらい通してくれたって、いやいや自転車1台乗ったことで微妙なバランスが崩れ、橋が崩落するかもしれません。無茶はやめておきましょう。




黒尊川を渡って、口屋内大橋を渡り、再び国道を南下します。








沈下橋ばかりがいいわけではありません。この久保川休憩所もゆったりとした、いい雰囲気です。つい長居してしまいました。


勝間沈下橋は昭和40年製とのこと。私と同い年ですね。


次は高瀬沈下橋。時折ぽちょん、と何かが跳ねる音がします。鮎でしょうか。しばらく目を凝らして見ていましたが、必ず私の視線を外したところで跳ねるんです。結局音の正体はわかりませんでした。

川登まで下ってくると、国道は四万十川をそれていき、川沿いは県道になります。ほどなく前方にゆったり走っている自転車を見つけ、追い越すと、江川崎の駅で声をかけてくれた、折りたたみ電動アシストサイクルに乗った初老の男性でした。軽く挨拶をして、先行していた連れ合いのMTBも追い越してしばらく走ると、三里沈下橋に到着しました。


三里沈下橋


屋形船は沈下橋をくぐれない

ちょうど梯子がかけてあったので、河原に降りてみました。近くで見ると、思ったよりも水がきれいです。私の汚い手を入れるなんて、失礼なことかもしれませんけれど、ちょっと手を浸して見ると、ほとよい冷たさがとても心地良い。サイクリングで火照った手を、優しく鎮めてくれるかのようでした。

三里沈下橋を離れ、県道に合流すると、さっき追い越した折りたたみ電動アシストサイクルが沈下橋への分岐を下らずに通過していくところでした。再び追いついたので、「沈下橋は見ないのですか?」と聞いてみると、「沈下橋は上から見るだけで十分」とのこと。
確かに沈下橋を見に行くためには分岐から坂道を下って、また後でその道を上らなければならず、嫌気がさすこともあるのかもしれません。電動アシストサイクルでも? もしかしたら長丁場でバッテリーを使い切ってしまった可能性もありますね。
初老の男性がバテていて、あまり余裕が無いように見えたので、そのまま分かれて私は先へ進みました。

最後の沈下橋:佐田沈下橋です。さすがに川幅も十分、流れもけっこう速くて迫力があります。沈下橋自体も、途中ですれ違いできるように、2箇所ばかり拡幅してありました。
そうそう、沈下橋といっても、下を見ずに進行方向をまっすぐ見て走っている分には特に恐怖を感じませんけれど、途中で止まり、自転車を降りて倒れないように支えつつ、橋の下を覗き込むのって、けっこうコワイんですよ。車がやってきたらどうしようとか、突風が吹いたらあぶないよね、なんて思ったり。

佐田沈下橋を西へ渡ったところにあった自販機で缶コーヒーを買おうと停まったところ、ワンボックスに乗った、一人のおじさんが話しかけてきました。
自転車が好きで、こないだMTBで琵琶湖を走ったこと。長野から一人で、車中泊をしながら旅していること。定年後の自由な身で、ペットがたくさんいるため、奥様は家で留守番をしていること。車の旅もいいけれど、本当は登山が好きで、歩くのがもっとも印象に残る旅であること、などなど、たくさんのことを話してくれました。お互いに、少し同じ匂いを嗅ぎ取ったのかもしれません。旅はいいですね。特にこうした、閑散とした場所での出会いは忘れ難いものになります。

ここから川の西岸、堤防沿いの道を走っていきます。この辺りまで来るとさすがに平地部分もまずまず広く、視界も開けて爽快に走っていけます。





赤鉄橋に到着しました。楽しかった四万十川沿いもこれでお別れ。ここから東岸へ渡り、中村へ向かいました。
駅前の民宿で妻と合流。妻は電車を乗り継いで昼過ぎに中村駅に着いていたのですが、てっきりバスで移動しているのかと思ったら、駅前でレンタサイクルを借りて、佐田沈下橋まで往復してきたそうです。ふだん全く自転車に乗らない人が、往復16kmを一度に走るのは大変だったはずですが、当人は「佐田沈下橋の上も激走した」と満足げだったので、良しでしょう。

この民宿の女将が気さくで話好き、民宿自体の居心地も良く、地のものを使った料理にも大満足でした。飲んじゃいましたよ、一人でビール2本。カツオのたたきがすばらしいのは当たり前。鮎の一夜干しなんて臭みは皆無、ほのかなコクがたまりません。そしてないらぎ(カジキマグロ)の刺身。わさび醤油で食べるだけでなく、塩を振り、かぼすをたっぷり絞っていただくとあら不思議。全然違う味が楽しめるのでした。