小さい二輪車ライフ、小さい旅

最終更新日: 2012/12/02

安芸灘とびしま〜しまなみ海道+α 2012年10月

  2日目> 3日目 >4日目

3日目 大三島→ 因島(しまなみ海道サイクリングコースを外れて)

宿の主人に少々わがままを言って、早めに朝食をいただきました。ありがとうございます。しかもおにぎりまで持たせていただいて...
7:30過ぎ、女将に見送られて出発。
寒い。体感気温は10℃に近いようです。まずは上りを越えねばなりません。寒さで固まった筋肉がなかなか動いてくれないのが少々つらい。
道の駅多々羅しまなみ公園で小休止した後、多々羅大橋を渡り、生口島に降りたところで妻は順当にしおまち商店街へ。私は別行動をとり、島の東岸沿いにフェリー乗り場を目指します。


多々羅大橋を渡る


生口島南岸

今日は北風がきつく、なかなかペースが上がりません。しかも小刻みに軽いUP-DOWNを繰り返し、朝から体力を奪われてしまいます。それでも9:30前に洲江港のフェリー乗り場に着きました。
港の詰所で居合わせた人に訪ねて確認していたら、そこの作業員風なおじさんに話しかけられて、航路のことなど丁寧におしえていただきました。ありがとうございます。次回ここにきたときはおすすめのルートを辿ってみます。

9:40発のフェリーに乗船。
船員「サイクルフリー券持っとらんけ?」
私 「?? いいえ持っていません」
船員「券に名前とか住所とか書けば自転車料金が無料になるけん、あとで書類持ってくるからの」

やさしいというか、ゆとりというか、これが島のペースなんですね。ありがたくサイクルフリー券を使わせていただきました。(※上島町観光客専用自転車船賃無料化事業というそうです。H25年9月30日までの期間限定)


岩城島へのフェリー


岩城島の、一段と穏やかな空気

目の前の岩城島(小漕港)へはすぐに着きました。ここから初めて岩城島を走ります。走り出してすぐに体感しました。しまなみ海道の島々よりも、さらに一段と穏やかな空気が流れていることを。本州とはもちろん、しまなみ海道の島々とも橋でつながっていないことが、こうも違うのかと思うと、つながることの功罪を考えざるを得ませんでした。

もう一つ、しまなみ海道の島々の場合、生口島以北は広島県尾道市に合併。大三島以南は愛媛県今治市に合併しています。昨夜お世話になった大三島の旅館の女将が、合併してから行政サービスが低下、島のことを知らない役人が担当するようになってしまったとこぼしていました。
ここ岩城島は、生名島に佐島、弓削島とで上島町を形成し、大きな自治体には属さずに頑張っています。そのことも一つの風土となっているのかもしれません。

小漕港からは30分かからずに島の南部の岩城港に着きました。ここでゆっくり休憩し、旅館で持たせてくれたおにぎりを食べて体力回復しました。
ここからはフェリーが無く、客船になるのですが、幸い自転車も積み込んでくれて輪行しなくて済みました。ただし、船員から自転車の荷物は外しておくように言われました。運べるのは自転車だけになるそうです。


岩城港からは客船で佐島へ


佐島から弓削島へ

佐島港へ着き、いよいよゆったりした雰囲気の中、走り始めました。
まずは新しくできたという立派な生名橋を見学。続いて弓削大橋を渡って弓削島へ。道を間違え、法王ヶ原近くを通って小さな集落を抜け、下弓削港についたのがちょうど12:00ごろ。ここから時計回りに島を一周してみることに。


路地に迷い込んで


下弓削から時計回りに走ります

しかしここも空気が穏やかで、隣が少々騒々しい因島南部だなんて想像がつかないほどです。

「あ、自転車だ」
島の北部に近づいたころ、公衆トイレを見つけて止まると、小さな女の子が叫びました。
母親と祖母らしき人たちと3人で、海辺近く、秋の穏やかな日差しの中、まったりと過ごしています。何てのどかな光景なのでしょう。
祖母らしき人に挨拶し、サイクリングに訪れたことを話していると活発な女の子が興味深げな表情でした。
私  「おじょうちゃん何歳?」
女の子「にしゃい」
小さいのに間髪を入れずに応える様子にびっくり。
「すごい。よくしゃべりますね。」と、私。
「そう、よくしゃべるけん。」 おばあちゃんが応えます。

祖母と母親がベンチに座り、女の子が元気に駆け回っている、この場所は、個人の敷地ではなさそうだけど、公園というわけでもなく、柵や塀もない、境目を感じさせない、どことなく曖昧な空間。
かつての日本はこうした場所があちこちにあったのでしょう。はっきりした境界のない、開かれた空間に、集まるでもなく、群れるでもなく、いろんな世代の人たちがテキトーに過ごす。必要以上に他人に気を使わず、気を使わせない。
交わされるのは他愛もない会話。会話がコミュニケーションのすべてではありません。何気ない表情や動作でいい。誰もが、その存在自体を初めから肯定されている。排除ではなく共生。でも他者に依存してはいない、適度な距離。人の気配が温かい。

公衆トイレを借りて出発します。
「バイバーイ」

ありがとう、すっかり元気になったよ。でも、私がこの島の空気にシンクロするには、まだもう少し修練が必要で、時間がかかりそうです。


海岸を離れると間もなく急斜面になり、ガクリとペースが落ちましたが、焦らずに少しずつ上っていきます。
島の東側に出る頃にはそれなりに高度を稼いでいて、断崖の地形から眺める瀬戸内海は、また一段と美しく輝いて、たとえようもなくすばらしい。誰も通らないこの静かな場所が、どこか浮き世離れしているような気もしてきます。


弓削島の東岸


ここでお昼を

UP-DOWNを繰り返し、起伏ばかりの地形を満喫、正味1時間ほどで下弓削港へ戻りました。

落ち着いたカフェでレモンポークソテーなるものをいただきました。感動的な味! もっとも、一般的な肉好きの方々の受けはよくないかもしれません。そんな、健康的なおいしさでした。


レモンポークソテー


因島へ渡る

もっとゆっくりしたかったのですけど、なかなかそうもいきません。なあに、またいつか来ればいいのです。
食後、上弓削港まで走り、そこからフェリーで移動、対岸の因島 家老渡港へ到着しました。

空が黒い雲に覆われてきて、一部古い集落の中を走っていると、雨がポツポツ降ってきました。土生港付近に出る頃にはずいぶんと交通量が多くなり、どこか慌ただしい空気になります。生口橋の下をくぐり、コンビニで待っていた妻と合流。コーヒーを飲んでいるとパラパラとまとまった雨が降り始め、じきに本降りになりました。


家老渡港近くの集落


雨宿り

雨具を着て走ってもよかったのですが、この日は数km先の民宿に泊まる予定。慌てて移動することもない、とゆっくり雨宿りしました。
1時間半くらい経ったでしょうか、雨は止みましたが、路面が濡れています。気温が急に下がってきました。これ以上待っていると暗くなってしまうので、走り始めました。濡れた路面の泥水を跳ね上げないよう、ゆっくりゆっくり走ります。風が冷たく、体が冷えていきます。暗くなりかけた頃、無事民宿に到着。さっそくお風呂で冷えた体を温めました。この日の走行距離:約50km。

夕食には新鮮なワタリガニ!
食後に女将としばし雑談。因島は尾道市に合併してから行政が尾道に集中し、尾道は栄えるけれど因島が廃れていく事態に陥っているとのことです。
日立造船が造船から撤退して以後、活気が無くなっていく一方で、観光にも力を入れないといけないけど、隣の生口島や上島町のようにうまくアピールできておらず、観光資源に乏しい因島でどうすればいいのか、少しお悩みのようでした。
「でもね、因島はいいところよ。ストレスが無いのね」
サバサバと話す女将ご自身が元気ですよ。
お年寄りが皆元気で、80、90歳代はザラ。100歳だって皆さんお元気、と聞いてびっくり。TVやネット、雑誌には健康情報やサプリメントの類の情報が溢れかえっていますけど、健康の源って、もっと違うところにあるのかもしれません。