周防大島と松山 2013年10月
2日目 周防大島 下田→ 嵩山→ 安下庄→ 沖家室島→ 下田
あまり元気が出ないこともあって、出発前には何も予定を立てていませんでしたが、昨日拝領した島の案内図に嵩山からの景色が掲載されていたのを見て、嵩山へ上ってみることにしました。
宿を出て、昨日走った国道を戻り、日前から島の内部へと入っていきます。
道はすぐに上り勾配になり、この島が海岸付近まで山地であることを実感します。厳しい上りをクリアすると、島内を横断する広い農道に出ました。のどかな田舎道かと思いきや、大型ダンプばかりが疾走する、まるで産業道路を連想させる味気ない道でした。その道をさらに上っていき、嵩山への分岐に着くと、情けないことに既に半分以上の体力を消耗したように感じ、嵩山へ上り詰める意欲は半減してしまいました。
しかも、嵩山への入り口は見た目にも10%以上の勾配で、もうそれだけで心が折れてしまいそうです。
路地のような小路を上っていくと
分岐からはさらに激しい上りに
時刻はまだ10時。お昼にはまだ早い、行けるところまで行ってみよう。
果たして挑戦してはみたものの、一部15%超にも感じる激しい急勾配にかなうわけもなく、トボトボと自転車を押すほかありませんでした。この時点で嵩山を制覇する意欲は2割ほどに低下。もう少し押したら引き返そうと思いました。
案内板が見え、嵩山まであと3kmと表示されています。あと3km? そりゃ、全行程押してでも行くしかないだろ、と、嵩山への意欲が7割まで回復しました。回復しない分の3割は、3kmで標高差300mほどを上らねばならない、“平均” 10%勾配への恐怖です。
初めこそ何とか自転車に乗って上って行けましたが、道は次第に激しくキツくなり、路面が落ち葉や小枝で埋まるようになってきました。
立ち並ぶ木々で道は薄暗い上に、人の気配も無くてイノシシにでも襲われそうです。
もはや斜度10%を超えているでしょう。あまりのキツさにー旦止まってしまい、そこから漕ぎ始めようとするとリヤが空転して進めません。それでは、とサドルにまたがったまま漕ぎ出そうとしても、激しい急勾配のために、地面に着くほうの足をずっと後方に置いて支えねばならず、一瞬で足をつってしまいそう。私はいったい何をやっているんだろう? 何のために上っているのだろう? これまでキツい道は何度もあり、必ずこうした問いが頭に浮かんできます。でもわかっています。そんなこと、考えてもわからないってことを。
自問自答しながら、乗ったり押したり止まっては、もう少し進もう、を繰り返していると、急に視界が開けて、あっけなく嵩山頂上に到着しました。
ほぼ360度のパノラマ。標高618.5mの低山にもかかわらず、三方に海が開け、防予諸島が美しく点在しています。
呼吸が落ち着くと同時に、気持ちが落ち着いてきました。この島に感じていた違和感も無くなっていきました。やっと、やっとこの島とシンクロできてきた気がします。
誰もいなかった展望台に、乗用車で上ってきたおじさんが一人、加わりました。おじさんは地元の人ではなく、広島市から約2時間かけてここまで来たそうです。
「広島の人たちは上ってばかりで、下ることをせんのじゃ」というおじさん。どういうことなのかと訊くと、岡山や神戸、大阪にばかり関心があって、山口県のほうは気にかけない傾向とのこと。
「山口県には大都市がないじゃろ。下関市を除いてだいたい人ロ10万人前後以下がほとんどやけん。かたや広島県は広島市に一極集中じゃ。ただでさえ山と海に挟まれた広島市は土地が足りん。じゃけん、山を削って造成しとる」
いろいろお話を聞いているうちに、少々賑やかな一団が展望台へ駈け上がってきました。民泊中だという高校生を数人連れた、安下庄地区で民宿を営む父娘だそうです。高校生たちは、なんと関東は埼玉県からの修学旅行中。民泊だなんて、時代は変わりましたね。
経済的にはほとんど地域経済に貢献しないし、大規模な事業でもなく、雇用を生むわけもなく、メリットなんてほとんど無いでしょう。でもこうした、市場経済とは異なる活動は、本州に引きずられていない、島の新しい動きという感触があります。
そもそもすべてを経済の指標にあてはめることが不自然極まりない。島には島のリズムがあり、島の座標がある。都市部の大人たちにはわからないでしょうが、比較的純粋な高校生の何割かは、政治や経済とは違う、何かを敏感に、無意識に感じ取っているはずです。
周防大島では、何年か前からこうして民泊を受け入れているそうで、娯楽やレジャー施設がほとんどない島では、釣りかみかん狩りが定番。それ以外には連れていくところが無く、この日は、う〜ん、山でも行くかと車で来てみたそうです。
ここ嵩山は、地元の人もめったに来ない代わりに、小学校の遠足コースになっている等々、たくさんの話を聞かせてくれました。
嵩山からの景色は、本州とはまるで様相が異なり、外海とは違う穏やかな瀬戸内を臨むすばらしい景色を堪能できる上に、俗っぽい観光施設もなく、いいところです。
嵩山からの下りは爽快どころか恐怖の連続でした。急勾配の下りでは一瞬たりともブレーキレバーを握る指を緩めることができません。おまけに路面が悪く、落ち葉や小石で覆われていて急ブレーキをかけようものならスリップするに決まってますし、運が悪ければヘアピンを曲がり切れずに飛び出して、林の中へ頭から突っ込んでしまうことでしょう。握り続けて痛くなってきた指を離すことなく、ガマンしながら慎重に下っていきます。このときばかりはタイヤの設地面積が広い四輪がうらやましくなりました。
どうにか無事に産業道路、いえ、農道まで降りてくると、あとは快適な下りを飛ばし、あっという間に島の南側の安下庄地区へ到着しました。
時刻はちょうど正午。おいしいと評判のラーメン屋がなかなか見つからず、ちょうど歩道を歩いていた地元のおばちゃんに場所を尋ねると、とても丁寧におしえてくれました。
「あんた、日本一周しとるんけ?」おばちゃんが私の自転車を見て興味深そうに訊いてきます。3泊4日の予定でのんびり走っていること、ついさっき嵩山へ上ってきたことを話すと、「自転車で上っちょるんか」と驚いてました。既に違和感は消え、私はこの島と同調し始めていました。
島の人たちはあまり外食をしないそうです。
「おかずはとうちゃんが釣ってきよるけんね」
目的のラーメン屋に着くと、なんと無情にも本日休業でした。しかたありません。でも、もう近隣のほかのお店が目に入らず、どうしてもラーメンが食べたくなってきています。嵩山から下って安下庄へ入るときに見かけた小さなラーメン店に行ってみることにしました。
小さなラーメン店
化学調味料は無いものの、
豚脂がややクドい印象
満腹になったところで、島の南側を走っていきました。平地は少ないものの、北側とは比較にならないほど静かで、自然が豊かです。秋の虫の声や、数々の野鳥のさえずりを聞きながらゆったりと走る、至福のひととき。この瞬間のために、ここまでやってきたと思えるほどでした。トンビや、季節外れのホトトギスの声までも心地よい。
神懸かり的に美しい光景
竪岩
外入の集落
伊崎
沖家室島
泊清寺
UP-DOWNばかりの、島の南岸沿いの道を辿り、沖家室島までやってきました。飾り気のない、素朴な島です。
集落の中へ入ったところにある泊清寺に寄ってみると、住職の奥様でしょうか、どうぞ中へお入りになってくださいと声をかけてくれ、しんとした清々しい本堂の中で参拝させていただきました。
蛭子神社にも寄りました。石柱には明治や大正と刻まれていて、比較的新しいお社のようです。門柱の柱には皇紀ニ千六百年と刻まれていました。時期的には太平洋戦争直前です。勝手な推測ですが、その頃この島がもっと賑わっていて羽振りがよかったのかもしれません。当時本州ではブロック経済によって既に行き詰っていた経済に加え、太平洋戦争前とはいえ、長期化した日中戦争に伴い苦しくなる生活に、先が見えなかった時代でした。
島には小さな電気店以外にお店が見あたりません。駐在所近くの岸壁にもたれて携行食を補給していると、これから勤務に入るらしい署員のおじさんが声をかけてきました。愛知県から来たというと、ここでも例外なく驚かれました。輪行して大畠駅まで電車で来たことや、たった3泊4日の旅なことを話すと、沖家室島にもときどき観光客が訪れること、事故が多いので気をつけてと、優しい言葉をかけてくれました。
日が傾き、気温が下がってきました。そろそろ戻ります。橋を渡って再び周防大島へ入り、島の南東部の海岸沿いを北上していきます。
五条
厳島神社
春は桜が美しいと言われる五条を通り、小積あたりでしょうか、厳島神社を見つけました。広島の宮島だけでなく、こんなところにも厳島神社はあるのですね。何かの縁かと思って、参拝しようとしたところ、入口に大きな蜘蛛が巨大な巣を張っており、まるで侵入者から神社を護っているかのようで、入ることは叶いませんでした。
大型のリゾート施設が並ぶ片添ヶ浜に着きました。シーズンオフで寂しく感じるせいか、何となく垢抜けないようにも見えました。ハイシーズンはさぞかし賑わうことでしょう。
昨日も寄った道の駅「サザンセトとうわ」に到着。16:00で閉店だというはちみつ店に入ってみました。店のおばちゃんに話を聞き、国産、それも大島産にこだわっているという養蜂家の心意気に打たれ、決して安価ではないお試しセットを購入しました。単一種の花の蜜ではなく、ミツバチのリズムに合わせたはちみつ。さぞかし甘美なことでしょう。
(食した味など、後日HPのコラムにでも別載します)
この日も昨日と同じ民宿に連泊。タチウオのしゃぶしゃぶに天ぷら、シメサバがすばらしくウマい。前日はどこかよそよそしかった宿のおねーさんとも、嵩山のことなどこの日は楽しく話ができました。
宿のおじさんの話です。
「島では高齢化が進んじょるけぇ、年寄りばかりじゃろ。島を出て移っちょる子供たちに呼び寄せられて、都会に引っ越す年寄りもおるんじゃ。
じゃが馴染めんのじゃろう。また島に戻ってくる人も多いんよ。都会にはおいしい食い物が無い。わしなんか都会へ行って生活したら3ヶ月で死んじまうけえのう。」
大都市には何も無い。確かに刺激が多いけれど、ほとんどが表面的な、空虚なものでしょう。島の人たちが耐えられない気持ちは、私にもわかるつもりです。
本州の人たち、“下ってくる” 観光客との間に、島の人たちは軋轢を感じていたのです。だから他人行儀な雰囲気だったり、どこかビジネスチックなのです。
こんな話も聞きました。
「島の税金は岩国市へ納めよる。じゃが、島の役場におるのはみんな岩国の人ばかりじゃ。えばりくさって。島の雇用になっとらんの。」