小さい二輪車ライフ、小さい旅

最終更新日: 2012/05/06

平泉と気仙沼市 2012年4月

  平泉 >気仙沼〜大谷海岸 >東北を訪れる方々へ

いよいよ太平洋沿岸部を訪れます。

この旅行記は、観光目的で東北の一地域を訪れた、一個人の視点で書かれています。東北地方の現状を正確に表しているわけでもありませんし、物の見方・考え方も偏っていることをご了承ください。また、被災地域での復興も進んでいます。ここに掲載した情報はあくまで2012年4月末のものです。

気仙沼〜大谷海岸

朝からごはん3杯! 素朴な食事に満たされ、元気いっぱいで平泉駅から東北本線で一ノ関駅へ移動。大船渡線に乗り換えると、ずいぶん混雑していました。思ったよりも観光客は少なく、地域の方々が多いように感じました。
のんびりとディーゼルの列車に揺られながら外を眺めていると、あちらこちらに桜が見えます。知らなければ、1年前に大震災があったことなんて想像がつかないほどでした。
それでも終点の気仙沼が近づくと少々雰囲気が変わってきました。

気仙沼駅で降りると、あまり震災の痕跡を感じず、活力を取り戻しているように見えます。元に戻りつつあるように見えます。懸命の努力だったことでしょう。元の姿に戻ることに異論をお持ちの方々もいるでしょうが、地域の人々にとって、元に戻ること以外の選択肢なんてあるのでしょうか? よそ者の私が口を挟む資格はありません。待ちに待った、普通に近づいた春。景気は重要だし、観光業だって重要なのですから。何よりも賑わいを取り戻したい、その思いが伝わるようでした。

駅前の観光案内所でレンタサイクルを借りて出発です。本格的なママチャリなんて何十年ぶりでしょう? ふだんスポーツサイクルに乗っていると、よけいに走りにくく感じますが、ぜいたくを言っている場合ではありません。同行の妻とともに、観光案内所でもらった地図を見ながら、ゆっくりと気仙沼の中心へ向かいました。

気仙沼復興商店街 南町紫市場で昼食に寿司を。やはりここに来たら三陸の味覚を楽しまないと。家族経営の小さな店は、多くの客をさばくことがまだ難しく、しばらく店外で待ちました。仮設店舗なれど、アットホームな店内でいただく寿司、ネタは小ぶりだが旨い。それにシャリも! 満たされました。

昼食後、南町紫市場を後にして、エースポートへ向かい、海沿いに走ってみることにしました。復興屋台村 気仙沼横町とお魚いちばは賑わっていましたけれど、さらに進むと、無残な姿が拡がるとともに、埃っぽくなり、独特の臭気に覆われるようになりました。

気仙沼市魚市場の横を抜けて、気仙沼湾沿いを進むつもりだったのですが、舗装が途切れ、乗用車でも入るのをためらうであろう砂利道になりました。もちろんレンタサイクルでも進むことはできません。これでも大量のがれきが撤去されてずいぶんきれいになったとのことです。
いったん引き返すことにしましたが、ここで完全に方向感覚がおかしくなりました。視界だけは抜群に良いのですけど、目印が無い。地図に記載されている建物が無い。交差点の名前もわからない。道を聞こうにも車以外、往来する人はいない。太陽の方向を確認するも、目の前の、未体験な光景に、完全に感覚がおかしくなった末、幹線道路に出て、ようやく方角がわかりました。細い道が好きな私ですが、もう幹線道路を外れることはやめました。南気仙沼駅跡には近づくことすらできませんでした。

気仙沼大橋を渡り、気仙沼警察署横を通り過ぎて国道45号へ出ました。ここから国道沿いに走り、道の駅大谷海岸まで行ってみるつもりです。
交通量が多い上に、ママチャリ。ほんとにスピードは出ませんので、歩道を走ります。路肩もそうですけれど、歩道は砂利や砂が多く、段差も水たまりもあって、快適とはいえません。また、緩いとはいえ、アップダウンもあるし、さらに向かい風がきつい。内陸部は日中の気温が高かったのですが、ここでは風が冷たく、体力を奪われました。バイパスとの合流地点に達するころにはやや消耗し、特に妻はバテているようでした。妻の体力がもたないようであれば、大谷海岸まで行けなくとも途中で引き返そう。疲労でケガでもしたり、地域の方々に迷惑をかけたりでもしたら、何をしに気仙沼に来たのかわからなくなってしまいます。


気仙沼線 松岩駅跡付近(たぶん)


コンビニで休憩

地図上には掲載されている多くの建築物や目印が無い中、コンビニが営業していることがありがたい。さっそく飲料を補給します。しかし、私たちは何をやっているんでしょうね。
コンビニを後にして、南へ。
アップダウンが少なくなってきて助かりました。時間はかかりますけれど、これなら進めそうです。休憩をはさみ、階上を通過。


気仙沼線 最知駅跡


階上の先へ

向かい風に苦しみ、上りでは何度か自転車を押しながら、あと1kmの案内板に元気づけられて、とうとう道の駅大谷海岸へ辿り着きました!
気仙沼中心部からここまで2時間ほど。平均時速5km/h少々でしょうか。

消耗した体力を補うべく、ここでよもぎ大福と玉こんにゃくをぱくつきました。


はまなすステーションは使用不能に


屋台と仮設店舗が営業中

こうして沿岸部に来る前は、震災の喪失感や心労といったものに、ほんの少しでも寄り添うようなことができたら、と勝手なことを思っていました。

しかし、今ははっきりわかります。今どき、それも連休中に震災のことなんて話したくないのです。他人につらい記憶をほじくり返されるなんて、まっぴらごめんだ。それよりも、今は前を向いて懸命に歩んでいるところなのです。過去のことよりも地域の今後のことに集中して頑張っていきたい、そんな空気でした。東北の人たちは想像よりもずっとしなやかで強い、そう感じました。

それでも、私の全くの個人的な感触ですが、沿岸部の人々の、笑顔の合間に見せる、深い疲労のような陰りが気になりました。比較的開放的な、西日本の太平洋側とは異なる、東北の人たちの気質です。
決して生まれつき強いわけじゃない。脳天気にしなやかなわけじゃない。心の奥には底知れない喪失感と慟哭をかかえ、悲壮とも思える覚悟があるのです。
古来からこの地では、暖かい季節の間に頑張らないと、厳しい冬を越せないからでしょう。西日本の太平洋側とは事情が異なります。
被災者でない私が、頑張ろうというのもおかしいし、頑張らなくていいんだというのも現地をわかってない言葉。
私は自らの浅はかさを再認識しました。余計な感傷はいらない。三陸地方を愛し、再興に奮闘する人たちを、純粋に応援したい。そんな気持ちへ変わりました。


そろそろ気仙沼中心部へ戻ります。
復路は追い風。上りは時々押しが入るものの、順調に距離を伸ばしました。

海から数十メートル高い場所には、まばらながら民家などの建物があって、被害が少なそうな印象すら受けてしまいますが、ほとんどが急ごしらえのプレハブ的構造のように見えました。それに、ここは閑散としていたわけではありません。かつてこの国道沿いには、数多くの建物がびっしりと並んでいたのです。

衣食住だけではありません。人々の生活には書籍だって必要だし、音楽や芸術などの文化的なものも、それからパチンコだって必要です。


大川さくらまつり会場が見える


さくさくコロッケ

戻ってきた南町紫市場で、さくさくコロッケ\70をほおばると、疲れて冷えた体に沁みるようでした。「おいしいです」素直に感想を伝えると、おばちゃんの嬉しそうな顔。私にできることといえば、こうした、ごくごく小さなことなのでした。

元気を取り戻し、17:00前に気仙沼駅に到着。レンタサイクルよ、ありがとう。
時間的に観光客もほとんどいなくなり、観光案内所の人とひとしきり話し込んだ後、一ノ関へ向かう列車に乗り込みました。

ただの物見遊山じゃないか、そう言われても、何も言い返す言葉はありません。そんな愚かな私でも、現地に行ってわかりました。
ようやく暖かくなり、桜も満開になった春。連休ですもの、例年通り観光客で賑わうことも大事なのです。その賑わいの、ほんの一助、いや、百分の一助にでもなっているかと思うと、それだけでも十分でした。

一ノ関で投宿。早々に床につきました。
後で調べたら、今回の走行距離は計28km、上った標高差は累計160m。
疲れましたよ、ママチャリですから。

夜中に岩手県沖を震源とする地震があり、一ノ関は震度3だったそうですが、爆睡中で全く気付かず。
大地震が起きても、きっと私は逃げ遅れるタイプです。
                         (おしまい)

   これから東北を訪れてみようという方々へ、私なりの考えです。