小さい二輪車ライフ、小さい旅

最終更新日: 2015/05/24

小豆島と吉備路 2015年5月月

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2日目 小豆島内ほぼ一周

やはり自らの足で島内を確認したい、そう思った私は小豆島をぐるりと巡るプランを急造。島の南側でオリーブ製品をはじめ、特産品を見て回るという妻とはまる一日別行動をとることに。
やや遅めに土庄港を出発した私は、R436を東へと向かう妻とは別れて県道26号を、地図に載っていた小豆島大観音へとまず向かいました。
上庄の分岐から突如勾配がキツくなります。7〜8%、ところによっては10%あるでしょう。全身から汗が噴き出してきます。宿に連泊するというのに、旅なんだからと3泊4日の全荷物を積載した、自分のおバカぶりを後悔し始めてもしかたない。こんなところで体力を使って、この先島をぐるりと回れるのだろうか、そんな疑念が頭から離れなくなるほど不安になりつつ大観音に到着しました。


島の中央部には山がそびえています


小豆島大観音

別名しあわせ観音とも呼ばれている大観音は1993年創建でまだ新しく、そのせいか多少違和感もあるような気がします。さっそく内部を拝観、スリランカからお釈迦様の歯の分骨を分祀されたことを知りました。
スリランカは、タイやミャンマーなど東南アジア同様、上座部仏教が信仰されています。日本の大乗仏教とはずいぶん違う。いえ、葬儀主体で妻帯が一般的な日本の仏教が特殊と言っていいでしょう。
しかし、この大観音の拝観コースには上座部仏教を意識させるものは全く無く、大量の量産品らしき仏像や十二支関係の仏像と賽銭箱など、大乗的なものばかりでした。

阪神淡路大震災にオウム真理教事件、さらに東日本大震災と、未曾有の災厄に襲われた日本人に対し、1993年創建の大観音として、旧来の大乗仏教とは異なる心理的アプローチがあってもいいのではないかとも思いましたが、そのような気概を私は何も感じることができず、最後まで違和感を拭えませんでした。
ここで見かけた信心深そうな親子、ひどく優しそうな息子さんらしき若者は30代くらいでしょうか、十二支の仏像の前で熱心に祈っている姿が印象的でした。きっと親子は観音様に救われて、私は地獄行きでしょうね。
自転車に戻ると一羽のカラスが私の自転車のバッグや輪行袋をつっつき回しているところでして、持ち物が散乱しておりました...


中山の千枚田


圧倒される規模です

分岐まで下り、今度は県道252号を中山方面へ向けて上っていきます。比較的勾配が緩くて助かりました。中山地区に着くと、そこには見事な棚田が拡がっていました。のどかな里山の風景は、ここが小豆島であることを忘れてしまいそうです。これだけの規模の水田を潤すには大量の水が必要であり、山岳地も無いのにどうやって水を確保されているのか心配になりますけれど、想像できないほどの労苦を続けてくるしかなかった歴史があるのでしょう。


食堂でお昼を


棚田のおにぎり定食

近くの食堂で棚田のおにぎり定食をいただきました。ああ、これだ。オリーブとかリゾートじゃない。島の自然に感謝し、噛み締めると、飾らない、素朴な味が体に沁みこんでいきました。人気のある食堂らしく、入口には行列ができています。早々に切り上げてサイクリングを再開しました。

例の分岐まで戻り、県道26号のキツイ上りの復習です。体力消耗の心配はどこへやら、お昼の食事でエネルギーを得た私は、たいして苦しむこともなく大観音を通り過ぎて馬越をクリア。豪快に下って行くと、島の北側へと出ました。北側の瀬戸内海は、南側よりも心なしか澄んでいるように見えます。


北浦港近く


道の駅

道の駅みなとオアシス大阪城城石記念公園でひと休みした後、北部の海岸沿いを走っていきます。小豆島も例外なく、平地が無くアップダウンばかり。しかも勾配がキツイ。北側には何にも無いよと宿の女将さんに言われましたが、まったくその通りで、人家が極端に少なく自然が豊かです。
ところが視界が開けると島には似合わない、リゾートでもなければ棚田でもない、荒れた景色が拡がりました。


石丁場


福田港

石材を切り出しているのです。日常生活で何気なく目にする石材もこうして搬出されているのですね。私もどこかでお世話になっているかもしれません。
しかしこれほどの規模で作業を進めているのに、近隣には店舗はおろか、人の気配がほとんどありません。地場産業として地域の人たちに大事にされているわけではないように見えます。
古くは大阪城の城石を切り出していたそうですけれど、私の勝手な想像ながら、もしかしたら地元にとっては、当時から中央による地方の搾取という構図だったのかもしれません。

数えきれないほどのUP-DOWNを繰り返す中、フロントをアウター側へ変速するときにチェーンが外れました。これで2度目。おまけにインナー側へなかなか変速しない。とうとう平地でもインナーへ落ちなくなり、荷物から工具を取り出して見てみると、なるほどフロントメカの可動範囲がなぜか外側へずれていました。事前準備、いえ、日常整備を怠ったツケですね。調整後はそれまでの不調ぶりがウソのように快適に変速するようになったのでした。

福田港で県道26号は終了、国道436が始まりました。が、国道だというのに相変わらず道幅は狭く、UP-DOWNの連続。険しい地形に点在する漁村をつないでいきます。


南風台


橘トンネル

南風台を過ぎると景色は一変し、道は広く立派になり、橘トンネルを通り抜けると賑やかな南国の雰囲気になりました。安田交差点についたのが14:30。中山を出てから3時間弱になります。少し観光しましょう。


マルキン醤油


しょうゆソフトクリーム

醤油の醸造所や佃煮の製造所が並ぶ、独特な雰囲気の県道28号を南下してきます。かなり旧くから営まれていることがうかがえ、島の西部や北部とも異なる空気です。
坂手港近くから県道249号に入り、交通量の少ないのどかな道を進んでいった先が、岬の分教場でした。

分教場を過ぎると、ほどなく二十四の瞳映画村。ここでゆっくりしようかと自転車を降りると、渡し船が着いたところでした。対岸のオリーブビーチまで、何と自転車も積み込めます。既に乗客が乗り込んでいましたが、これは利用するしかないと、小さな渡し船のおじさんに尋ねると、う〜ん、まぁええよ、とのご返事。ありがとうございます。
渡し船は海面が近い。わずか10分程度ながら、たっぷりと風情を味わいました。


岬の分教場


映画村から渡し船

私より10歳ほど上でしょうか、ここでおじさんのサイクリストに出逢いました。姫路から来て、日生港に車を止め、フェリーで大部港まで渡り、小豆島を走っているそうです。この日は小豆島のユースホステルに泊まり、明日は豊島と直島まで行くそうです。淡路島の150kmロングライドのイベントにも参加され、キツくてバテたけど完走したよ、とのこと。活き活きして元気です。私も走りますよ。

おじさんと別れてオリーブビーチから走り始め、近くのオリーブ園に寄りました。ここまで来て本格的にオリーブの木々を見ることができた気がします。


オリーブ園


オリーブリーフのソフト

夕刻になってきました。このまま国道436号を西へ進み、宿へ戻るのが妥当です。しかし、ひっきりなしに車が行き交う騒々しい国道に、早くも嫌気がさした私は県道251号を南へ、三都半島へと進んでいったのでした。 賑やかな国道からは想像できないほどひっそりとした県道は、すぐに挟賂となり、厳しいUP-DOWNの連続になりました。10%勾配はザラ。私の体力も残り少なくなってきています。
木々に覆われた道は視界も遮られ、おまけに晩春ならではの毛虫がいっぱい下がってきておりまして、どうにも避けようがありません。毛虫のカーテンと化している箇所も少なくなく、体のあちこちにくっついた毛虫を振り払いながらの走行は、ますます体力が奪われていくのでした。
これから岬の突端まで行くのは時間的にも体力的にも相当厳しい。そう判断し今回は三都郵便局の分岐で向きを変え、県道250号を北西へ進みました。
半島を横断するわけですから、当然のように峠を越えます。何とか半島の西へと出てUP-DOWNを繰り返し、道の駅小豆島ふるさと村に着くと、私の脚は売り切れ寸前でした。

固形物を短時間で消化する元気がありません。体力回復にと注文したすももソフトを持ったまま、椅子にへたりこんだその瞬間、ソフトクリームの上半分が塊ごとスライドし、べちゃりと落下したのでした。こういうときに限ってツイてない。
売店のおねえさんにおわびしてティッシュをお借りし片付けていると、私のことを哀れに思ったか、おねえさんが「あのー、もう一回巻きましょうか?」と優しい言葉をかけてくれました。
巻き直し版のソフトで体力をわずかに取り戻した私は、半島を出て国道に合流、激しい交通量に苦しみつつ、18:00前に宿に戻ることができました。


すもものソフト(巻き直し版)


夕食をガッツリと

この日の走行距離約80km。獲得標高(累計)推定1200m以上。
夕食前に風呂に入り、体重を測ってみると、前日より2kgも減っておりました... だいぶやつれたということですね。
疲れていたけど、夕食はガッツリいただきます。特産品だという素麺がおいしい。メバルと筍の煮付けもすばらしい。ごはん4杯食べました。