小さい二輪車ライフ、小さい旅

最終更新日: 2013/02/24

過去掲載した編集◇コラム20

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自分で楽しくするんだよ (13/01/27)

標題の言葉は、津からの小冊子『kalas』18号「川合さんのシーカヤック」より引用いたしました。

TOKYO 0円ハウス 0円生活 「人間は7対3に分かれる。7割は欲におぼれる人間だ。君と私は3割の方だ。大きな家もいらない。その3割の人たちがこれからはしゃきっとしなければいけない」
「はぁ」
 どうやら本当にこの人は、公園での生活を自分の意思で選択しているようなのだ。地面と離れてしまっている家は家ではないと。そのためこの公園に家を作って動物と戯れているのだと。どうやって暮らしているというのか。 坂口恭平著『TOKYO 0円ハウス 0円生活』より

 何となく惹かれるものがあって、書店で買い求め、この本を読みました。書かれているのは失職者の嘆きでも、敗残者の哀歌でもありません。そんな方向とはまるで正反対の、大切なものを気づかされるような、クリエイティブで力強さすら感じる内容でした。

 創造性や工夫─
虚ろな数字に追われ、競争に疲弊し、どっぷりと消費に甘んじ、マスメディアやネットに翻弄されている私たち現代人は、もはや忘れてしまったことなのかもしれません。
 エネルギーを消費し、食糧を消費するだけでなく、ニュースやメールをチェック、SNSでつぶやいたり、空き時間にゲームをしてみたり。現代人は大量の情報をも消費しています。必要なものを賢く選択し、無駄なく時間を使い、日々効率的に過ごすよう創造力を発揮して工夫しているという諸兄も少なくないでしょう。

 冬、雪深い地域や日本海側では物理的にほぼ不可能ですが、太平洋側でも寒さが厳しく、バイクに乗る人たちは極端に少なくなります。若い頃は勢いに任せて冬のツーリングへと出かけることはあっても、分別のある大人はそんなことはしません。寒さのあまり、快適からはほど遠いばかりか、体が固くなり、タイヤのグリップも低下してリスクが大きくなるからです。乗車中に雨や雪に降られたらネガティブな要素がさらに膨らみ、他の季節に比べて愛車も傷むかもしれません。だから冬は遠出しないのが賢い選択なのです。
 でも無駄かどうか、効率的かといったようなことは他人の価値観ではありませんか。賢い選択というのは、自らの意思なのでしょうか。脳はそう判断しても、己の本心は満たされないかもしれません。他者の価値観に身を委ね、己の内部を塞いでしまっているのかもしれません。


 冬はバイクや自転車に乗らないどころか、私はここ数年、多少の遠出もするようになりました。ただのバカです、賢明な諸兄から見たら。
 しかし、そうした行動は直感─ 己の内部に問うた結果です。屋内にいるよりも、四輪で移動するよりも、自然の中へ出かけ、体で自然を感じたいという気持ちが強いのです。
 感受性が高くなれば、頭で判断するのではなく心で感じるようになれば、冬の自然も素晴らしい。
枯れ草の続く平野も、すっかり落葉した裸木たちも。そんな光景の中、菜の花畑を見つけたときなど、小躍りするくらいの気持ちになることだってあります。

冬ツーリング  もちろんたくさん重ね着し、走るコースを選びます。楽しく過ごすにはモノやサービスを消費しても解決せず、自ら行動し、工夫しなければなりません。それと、多少鈍っていてもリスクを察知する嗅覚や、少々の無鉄砲さと、引き返す勇気とを持ち合わせ、自然を感じられる場所へ出かけるのです。

 都会や都市部では選択することはたくさんあっても、直感し己で考え己の体で工夫し体感する機会が減少する一方です。冬のツーリングは、人間本来の何かを己の内に確認する行為なのかもしれません。

 僕らに農業を教えてくれる浪江町の方が東京で避難生活をしていたとき、「東京はなんもねえ。退屈だ」と言っていました。田んぼや畑の手入れに忙しかった日々が懐かしいと。僕が村で一番楽しかったのは、物作りを一からしたことです。原発事故で、村には何もないぜいたくがあったんだと気付かされました。 朝日新聞 2013年1月1日 第5部「東北の明日」インタビュー
           山口達也『うまいコメ育てたい』より

旅と出会いと[3] (12/12/23)

 旅の出会いは、お店の人たちやグルメ、絶景や温泉に出会うだけではありません。動画や画像に収めることのできない、無形なものに出会うこともあります。不思議なこともあるでしょう。
 10月の終わりに旅した瀬戸内海の島々でも、印象深い出会いがありました。

 3日目の朝、大三島から生口島へ渡り、洲江港で次の岩城島へ渡るフェリーに乗る前のこと。
港の作業員風なおじさんに話しかけられて、航路のことなど丁寧におしえてくれた後、突如「お遍路に行ったことはあるか?」と切り出しました。
私が「いいえ、行ったことありません」と答えると、
「お遍路はの、やっぱり歩きがいいけんね」とおじさん。
「わしは、これまで順打ち5回、逆打ち1回やった」とのこと。
「すごいですね! 私はとてもそんな体力が無くて...」と言うと、
「コツは通して歩くこと。初め数km歩くうちに体力がついてきて、いずれ30〜40kmくらいは歩けるようになる。でもつらいからといって中断するとせっかくの体力が落ちてしまい、またゼロからやり直しや。体力がつけば結果的に期間が短かくなり、費用も抑えることができるけん」とのこと。アドバイスありがとうございます。

 そういえば...
亀老山入口
 この前日、大島を走ったときに亀老山への上り口で『へんろ道』と記された道標を目にしました。ここは四国ではないのにどういうことだろうと不思議に思いましたが、大島には島四国と呼ばれる八十八ヶ所巡りの独自の遍路道があることを知りました。しかし大島はこれまで何度も自転車で走っていながら、この類の道標に気づいたのは初めてでした。

 岩城島からは客船で佐島へ、そして弓削島に渡り、静かな島の東部を走っていると、ここでも番外遍路の道標が目に入りました。弓削島でも「弓削島四国」と呼ばれる遍路道があって、各所に札所が設けられているそうです。
四国八十八ヶ所が、別世界のものではなく、憧れというわけでもなく、それだけ庶民のものとして、この地方に根付きつつあるのでしょう。
 でもこれまで何度もしまなみを訪れているのに、なぜ今回こんなに遍路に関することを見聞きするのかわかりませんが、これも何かの出会いなのかもしれません。

 因島へ渡り、民宿でその日の夕食を終えた後、女将と雑談していると、急にこんな話を始めました。
「お遍路行ったことある? いえ、私らは遊びで行くようなもんやから、車で巡るんやけど、なんて言うかなあ、全部の札所に趣があるんよ。それぞれがそれぞれにいい空気なの」
「歩き遍路の人たちって、すごいなあと思うわ。でもね、意外に若い人をよく見るのよ。心に何か抱え込んでしまっているのか、よほどつらいことがあったのか」

 どきん、としました。
昨年訪れた高知の札所:雪渓寺で、歩き遍路の若者を見かけたことを思い出したからです。(コラム18 旅と出会いと[2]を参照)  あのとき以来、私の心の奥に何かが刺さったままになっていて、忘れることができないもの ─自分探しとか、癒しとか、そんなレベルのものではない、言葉にできない超感覚的なもの─ そのときは、遍路旅に興味を引かれた程度でしたが...

 今回の旅に限って、なぜだか遍路のことに触れる機会が多い。それも番外の道標だけでなく、体力的・技術的なことや、遊びでもいい、というハードルを下げてくれるような情報まで。
ただの思い込みかもしれませんけれど、もしかしたら私は遍路道に “呼ばれて” いるのかもしれません。私は自らの意思だけで生きているのではないのでしょう。
 よくわかりませんが、自分のためなんかじゃない。遍路道で行き倒れた方々だけでなく、挫折した人々や、行きたくても行けなかった魂たち、諸々の得体の知れない何かと共に札所を巡る、そうしたスタイルもあるのではないか、そんな気がしてきました。だがそれには自転車でもバイクでもなく、歩かねばならないことでしょう。
 いつか、いつか行かねばならないときが来るような予感がします。


 前日の夕方─ 大三島での日の入り間近。
 閉門時間も近く、参拝客が他に誰もおらず寒々としてきた大山祗神社の境内は、弱くなっていく秋の夕日に照らされて静かに浮かび上がり、まるで俗世間から切り離された、幻想的な幽玄空間のようでした。
神社
 かすかな葉ずれの音を聞きながら、静けさに包まれて参拝を済ませた私は、誰かに言われたわけでもなく目を閉じたその刹那、“我” がどこかへ消えていき、心の内側に自然の清々しい風が吹き込んできました。
 私は自らの意思だけで生きているのではない。私は自然界の小さな一部であり、鳥や虫、木々や周囲の石ころたちと同等の、それ以上でも以下でもない存在でした。何の力も無く、あまり役に立つことも無いばかりか、時には邪魔ですらある存在。だけどかけがえのない、慈しむべき、赦し赦される存在のうちの、小さな一つでした。

 今まで何度かこの神社を訪れていましたが、これまでは崇高なここの空気と少しもシンクロすることはありませんでした。でも今回、ほんの少しだけ、その足元に近づくことができたような気がします。

 目を開けると、もう閉門時間でした。
境内から外へ、幽玄から浮世へと戻らねばなりません。
いつになるのかわかりませんが、遍路道を旅することになるであろうその日まで。

250TR購入の裏ばなし (12/10/21)

 住環境にあまり恵まれていないフクシン君は、静かな夜更けの天体観測が唯一の楽しみでした。
労働環境にもあまり恵まれているとはいえないフクシン君、機械加工工場で成績が振るわない上に居眠りをする始末で、上役に叱られます。
 自転車に乗った帰路、河原で失速、やる気無く転倒し、テキトーに倒れ込んで草むらに横になると、そのまま夕刻の空を見上げるのでした。
 転げた弁当箱を見知らぬ少年が拾ってくれて、声をかけてきます。
 「何か悩んでんの? おじさん」

(中略)

 「それに、星は汚れてなくてきれいだろ。
  地球なんか、人間がうじゃうじゃいるし、うるさいし」

           ─ ウルトラセブン『円盤が来た』の1シーンより

 ここに書いてあることを信じるかどうか、どちらでも構いませんが、他人がオートバイを購入する経緯ですから、何の役にも立たないでしょうし、面白くもないでしょうけれど、ご興味のある方だけ見てくだされば幸いです。


 話は250TR購入の1年前に遡ります。 なぜだがわかりませんが、2月に入ってからというもの、そわそわして落ち着きません。たいてい春先は少々落ち着かない気分になりがちなのですけど、このときは例年と違い、落ち着かないというよりも、私の無意識が何かに突き上げられているかのようでした。

 どこか、ここではないどこか遠くへ行きたい、しかも日帰りとか数泊の単位ではなく、もっと長期間、そのまま、後はどうなってもいいから。凍えるような寒さなのに、とにかくどうしようもないほど行きたい、そんな気になっていました。
 どうしてそんな気分になるのか自分でもわかりませんでした。単なる現実逃避願望だったのかもしれません。

 長期に渡ってシンプルな貧乏旅行をしたことのある方々ならおわかりかと思いますけど、旅が長期になるほど、オートバイにしろ、自転車にしろ、バックにしろ、タフなものが必要です。マメな手入れが必要な、ピカピカのものは要らない。道路などインフラが整っていることが前提条件な高性能車も要らない。自己主張するようなものも要らないのです。
 そんな観点だと、ZZR250は少々線が細い。所有している自転車もタフ、というにはやや甘い。それに、自転車の行動範囲を超えた遠方へ行くべき気分になっていたのです。行き先がどこなのかは想像すらできていませんでしたが。

 私は突き動かされるように、あちこちのバイク屋を見て回りました。急なことですから、予算が十分にあるわけもなく、中古車ばかり見ていました。
思わず飛びつきそうになる己の無意識を、手に入れたとしてもメンテや修理など手間ヒマかかりそうで割に合わないといった理性の部分が、かろうじて抑えていました。もう、自分でも何をやっているのか、どうしたらいいのか、わけもなく湧いてくる気持ちを抑えきれず、臨界点に達していました。

 それから、あの怖ろしい大震災が起きたのです。


 わけもなく落ち着かない気分、どこか遠くへ行きたい気分もその後しばらく続きました。収まってきたのは、昨年の秋風が吹くようになったころです。
 もう、やみくもに遠方へ行きたい気持ちにはなりませんでしたが、現実逃避願望が澱のように私の意識の底深くくすぶるようになり、オートバイ購入を冷静に考えるようになりました。
 自己主張しない、シンプルなオートバイ。タフで、ぞんざいに扱っても許してくれ、それでいて周囲の環境と調和できるキャラクター。自然が受容してくれる存在。
250TR
 今は250TRを購入して正解だったと感じています。
威圧感とか、速さとか、コストパフォーマンスとか、誇れるものは何も無い。機動力も少ない。優れた道具でもありません。でも、どこか憎めない、ある種親しみすら感じさせる要素を持っているのか、旅先などでオートバイに乗らない方々にも避けられることが少ない気がします。生活道路などで遊んでいる子供も避けませんが...
 おそらく人間だけでなく、自然豊かな環境ともシンクロしやすいのではないかと思います。


 あのフクシン君は気づいてないかもしれない。
河原で倒れこんだとき、彼自身と自転車をやさしく受け止めてくれた草むらのことを。
星は見えないけれど、すっきりと晴れているわけじゃないけれど、どこか温かい、あの青空を。


 四方を海に囲まれた、地震国日本。
自然を支配するのではなく、自然と共生し、花鳥風月を愛でる感覚を大事にしていきたい。シンクロするということは、そういうことを考えることにつながるような気がします。

アウトサイダー (12/07/22)

『被爆のマリア』  ランチにも、飲み会にも、カラオケにもあたしは誘われなくなった。平気だもん。あたしはつとめて明るく振る舞った。しょげてるなんて死んでも思わせない。あたしが泣いたら全部ほんとになっちゃう。無視しなくちゃ。なかったことにしなくちゃ。認めたらマジに嫌われる。笑顔で、明るく、元気に。ポジティブ。ファイト、ポジティブ。がんばって、我慢して、仲間外れにされても笑ってた。 田口ランディ著『被爆のマリア』より

 梅雨が明け、強烈な夏の日差しに目が眩む。照り返しもキツイ。アスファルトやビルの白い壁、大きい窓ガラス、車が反射する光。日常生活でその恩恵を受けていながら、人工的な反射光が、暑さのせいか、憎たらしくも思えてきます。

 67年前の夏、この日本に2発の原子爆弾が投下されました。夏の光の、何万倍もの、暴虐の閃光が人々と生活、大地を一瞬のうちに焼き尽くし、残された命を惨たらしく汚染しました。
 話題としてのテーマ、文章にする際のテーマとして、被爆は重たい。被爆を経験したことのない、私たちにとってはさらに重い気がします。だから、通常は世間とか多数派を意識した発言や文章になるのは無理もないのでしょう。

 冒頭にご紹介した書籍は、題名にもあるとおり、被爆をテーマにした作品です。しかし、この作品からは、他の文章に見られるような、悲嘆や憤りがあまり感じられず、提言や非難などのメッセージも伝わってきません。著者に被爆の経験はなく、自分の言葉で書かれていて、とっつきやすいようですがわかりにくい。文庫本の解説にもあるとおり、書評が難しい作品の部類に入るのでしょう。
 なぜわかりにくいのか ─それはこの作品が、アウトサイダーの視点で描かれているからだと思います。そして私がこの作品に感応するのは、私がアウトサイダーであるから。

 アウトサイダーとは? 少々古いけれども、手元にある辞書で意味を再確認してみました。
 n1: a person who is not accepted as a member of a particular social group
 n2: a person or animal not expected to win a race or competition
要するに集団の一員とは認められていない人のこと、期待されていない人のことですね。


 子供の時分から、私はアウトサイダーでした。学校などの集団生活が苦手で、人付き合いも悪い。他人との距離が今ひとつつかめない。家族とすらも。コミュニケーション能力不足です。
 小学校はまだしも、中学では孤立していきました。一見、シカトされていたように見えたかもしれません。だけど、イジメとは少々異なり、その対象にもならない、存在を認知されていない存在でした。蚊帳の外だったのです。
 転校先では、当初不良たちにからかわれたりもしていましたが、次第に相手にされなくなり、やはり孤立しました。どう振る舞えばいいのかわからない私は、深夜放送のラジオと、本と音楽に逃げました。高校では孤立こそ免れたものの、心の中では集団行動に対する違和感がずっと拭えませんでした。バイト代を趣味としての自転車へつぎ込み、一人でこっそり原付を乗り回していたのも、屈折した性格が直らなかったからでしょう。

 そんな私がどうにか社会人になってからしばらく経ち、曲がりなりにも多少の仕事をこなすようになって、ある程度の役割を与えられるようになると、アウトサイダーはもう卒業だと思うようになりました。周囲の期待に応えなければ。役割とか責務を果たさなければ。主体性に協調性。投資効率とか、キャッシュフロー、グローバル化、バリューチェーン、…
 小説等は読まなくなり、音楽を聴かなくなりました。自転車もやめてしまったし、オートバイにもあまり乗らなくなりました。周囲に合わせ、同化しようとしていました。世間という、巨大なものに取り込まれようとしていたのだと思います。

 そこへ突然の体調不良。いえ、少し前からおかしいなと感じてはいましたが、はっきりと、私の心と体が抵抗したのです。多少復調してから、以前と同様に仕事に身を入れると、また心と体が抵抗しました。私は集団の一員ではなかったのです。
 時間をかけて、私のそれまでの考え方や価値観、感覚までもが死んでいきました。


 私は再び自転車に乗るようになりました。
初めは近所を走るだけだったけれど、じきに遠出するようになりました。近年はスポーツサイクルを趣味とする人々が増えてきたこともあって、自転車が趣味っていいですね、と言われることがありますけれど、エコで健康的に見えるのでしょうね。
四万十川  しかしその一方で、数泊以上の自転車旅を理解する人はごく少数に限られるようです。サイクリスト仲間にとっても今ひとつわからないようです。イベントや旅程が目的なのではない。大きな荷物を載せて走る自転車には、定住者ではなく、放浪者のイメージがあるのかもしれません。tripではなく、journey。あちら側とこちら側みたいなものなのかもしれません。

 私は一人で自転車で走ることで、じっくりと自分と向き合いました。徹底的に自らの奥底を見つめてみると、底には何もありませんでした。自分というものが無く、カラだったのです。そしてカラの底は開け放たれていて、その先には自然が拡がっていました。私はとてつもなく大きな自然界の、ほんの一部でありました。うまく言葉で表現できないのですが、はるか昔から連綿と続いてきた世界の、たくさんの命たちと、死者たちとも共生しているのでありました。


 私はアウトサイダーに戻ってきたのです。
主体性が無く、協調性も無いアウトサイダー。そんなアウトサイダーなんか社会的に許されないとか、そんな人間界の論理は、大きな自然界の前では無意味なこともわかりました。個人の存在価値は他人が決めるものではなく、大自然によって、生物の一個体としてのちっぽけなアイデンティティが確立されていることも。

 世間に合わせるのではない。己が持つ、内なる感覚に従う。私はこれからもアウトサイダーであり続けます。おそらくもう迷わないでしょう。


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