小さい二輪車ライフ、小さい旅

最終更新日: 2022/12/04

過去掲載した編集◇コラム38

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自分語りの呪縛 (22/10/23)

  名古屋から旧東海道をのんびりと自転車で走り、途中のコンビニで休憩してたとき、大きいリュックを背負ったロードバイク乗りの中年男性に話しかけられました。どうも私と似た、旅好きのように見えます。話しかけてくださるのがありがたい。この日は名古屋から、私と同様に旧東海道を走ってきて、豊川まで行くそうです。
 お住まいは山陽地方で、各地に出かけるのがお好きとのことでした。この後、話が続き、琵琶湖一周を1日でとか、四国一周も済ませた、乗鞍も行った、とご自身の実績をご披露されていました。申し訳ないのですが、私は有名なコースとか距離とか標高とか、場所の固有名詞や数値化された指標にほとんど興味が無くなってしまっておりまして、数々の実績話にテキトーに相槌を打つばかりになりました。中年男性は私の反応が鈍いことを察したのか、途中で話を止めました。
 別の休日、オートバイで道の駅に寄り、ベンチで紙カップのコーヒーを飲んでいたときのこと。ライダージャケット姿の私に、中年男性が話しかけてきました。オートバイではなく四輪車で訪れたように見えましたが、ともかく話しかけてくださるのはありがたい。オートバイにもお乗りなのですか? そう私が尋ねると中年男性は嬉しそうに話し始めました。少々古い原付に乗っていること、各部品が溶接されていて細部の調整は不可能なこと、他車種の部品を流用して工夫していること、古い車種には珍しくインジェクション仕様なこと。話は止まらず、キャブ仕様にしたいこと、キャブのほうが長持ちすること、そうすれば出力30PSを狙うことも不可能ではないこと... 目の前に実車があるわけでもなく、ご自身の経験談と知識の披露、妄想(?)へと進み、あらかた満足されたのか、唐突に踵を返して私の前から去っていきました。
 また別の日、日帰りツーリングの途中、コンビニの駐車場でコーヒーを飲んでいると、レザースーツ姿の初老男性に話しかけられました。話しかけてくださるのはありがたい。男性はすぐにご自身のことを話し始めました。山間部をオートバイで走るのが好きで、連続3時間走ることもある、信号がとにかく嫌いで国道1号線などは走らない、などご自身のスタイルを語り、以前はハーレーに乗っていたとか、今はCB1100に乗っていてもう10年になる、次乗り換えるのがアガリのバイクになるだろうが、何がいいと思う?、と一方的に喋った挙句、満足されたのか「じゃあ」と走り去っていきました。

 ご自身の話を披露する─ 自分語りに遭遇することは少なくありませんが、私自身の経験上、女性よりも男性に多く見られる傾向です。そしてたいていの場合、自分語りとマウンティングがセットになっているように感じます。限定的な価値観の中で、無意識に上下や序列を定義しようとするのです。
 彼らお三方は人柄の良さそうな善良な市民に見えましたが、男性社会を生き抜く上で、自己主張せずにはいられなくなっているのかもしれないですし、自分語りをしなければならない、ある意味切迫した状況にあるのかもしれません。しかし若年層ならまだしも、中高年に至ってもなお自分語りの呪縛にとらわれている方々が少なくないのは、容易には善処できない、根深いものを感じます。
 私自身は限定的で垂直統合的な価値観が苦手、様々な見方や考え方を許容する水平分散的な価値観を志向するほうなのですけれど、他人のことをとやかく言える資格は無く、無意識にどこかで自分語りをしてしまっている可能性もあります。難しいかもしれませんが、できる限り意識して自重したいと思います。

 皆、ほとんど無意識に自分は特別な人間だと思い込んでいます。その特別な自分が語るのですから、自分の話は当然有意義なものだと思い込んでいます。しかし実のところは、くだらない人間が、どうでもいい話をしているだけ。
 にもかかわらず、喋っている間は、自分の喋っていることが大切でしょうがないので、相手に聞いてもらおうとする。相手は相手で本当は他人の話なんかには興味がないものだから、面白い話ならまだしも、文字通りくだらない話を聞かされて、ストレスを溜める。
 こうやってコミュニケーションや交際とは名ばかりで、お互いがお互いに「自分」を押し付け合っているのは、悲惨な風景と申せましょう。 小池龍之介著『沈黙入門』幻冬舎文庫より

続)メンテナンス集中シーズン (22/09/18)

 数多くの所有車両を抱えた状態の中、そのほぼすべてにトラブルが一気に表出したことを、前回(メンテナンス集中シーズン)書きました。いっぺんに解決することはなく、一つずつ地道に対処するほかありません。

 四輪車のブレーキランプは量販店で電球を購入、自力で交換。
 妻の四輪車は、ネットでバッテリーを購入し自力で交換。タイヤはネットで注文、取り付け専門店で予約し交換。
 GSX250Rのリアブレーキは自力でフルード交換、SWISHのタイヤはネットで予約し、ショップで交換。

 妻の自転車、GIANT AVAIL2のリアブレーキは注油程度では直らず、アウターワイヤーを自力で交換、同時にハンドルバーテープも交換。シフト操作はどう調整しても直らず、伸びたチェーンを自力交換、変形していたディレーラーのアジャスティングボルトも交換。
ご近所買い物用のマークローザ7Sの変速も注油では直らず、アウターワイヤーもインナーワイヤーも、シフターごと自力で交換、フロントブレーキシューも自力交換。

 私の自転車:RALEIGH CRNの異音は初めBBを疑うも完治せず、ペダルを分解しグリスアップすることで解消。DAHON Visc P18のハンドルはステアリングヘッドのベアリングをできる範囲でグリスアップ、ステムを調整したが直らず、折りたたみのレバーのロック機構を調整。異音はBBを取り外し、再組み付けすることで解消。

 クロスバイクのRALEIGH RFLは複数個所に症状が起きておりました。
 まず前輪のパンク。タイヤとチューブを外してパンク箇所を観察すると接地面と違う部分のチューブが小さく避けておりました。3年半以上経っていますから経年劣化ですね。傷んできているリムテープも併せて、チューブを新品に交換します。
 続いてほつれてきているブレーキワイヤー。6年半は経過しており、こちらも経年劣化です。インナーワイヤーを新品に交換。
 登坂中のカン、キンという異音、BBはまだ新しく原因ではない気がして、チェーンリングの緩みも無し。CRNの例があるからもしや、と思ってペダルを分解清掃し、グリスアップした結果、異音が解消するとともにペダリングがしっとり滑らかに。手を入れてよかった、と思える結果に。破断していたボトルケージも新品に交換。


パンク修理


ペダルを分解清掃

 RALEIGH RFLの整備は、先月のうだるような暑さの中、一つ一つ自力で進め、半日がかりで終わりました。パンク修理も、ブレーキワイヤー交換も、ペダルの分解清掃も、昔々中高生のときに身につけたスキルでして、当時とほとんど部品構造が変わっていないので、やってることが変わらないのです。
 マニュアルを見たり、ネットを調べることもせず、特に頭を使うこともなく、ひたすら手を動かす時間であり、無になる時間でありました。暑さも忘れ、感情もどこかへ忘れてきたような状態でありました。


 いろいろな考え方があることでしょう。時間の浪費だとか、安全面からもプロショップに任せるべきとか、古くなった自転車は乗り換えるべきとか、そもそも自転車を使う立場の人間が、自転車に使われてしまっているとか、進歩がないとか...

 それでも浮世の嫌なことや不安を忘れ、一時的にせよ手先を動かして没頭できる対象があるということは、実は小さな幸せの一つなのかもしれないと、私は考えることにしています。

 また、どうしても集中力が途切れた時には、机を離れて、ゆっくりと歩いてみることをお勧めいたします。
 デスクワーク以外の、掃除や料理、農作業などでも、いま自分の指が触れているもの、いま自分の足が触れている感触に意識を集中してみますと、頭の中の考えごとが減って、作業に集中しやすくなります。
 掃除する順番など必要最低限のことだけを考えながら、ほうきを持つ手や、掃除機をかける手の入れ方に集中いたしますと、他のことは考えなくなります。
 そもそも体を動かして何かに触れるという行為は、程よいレベルの刺激があり、とてもリラックスできます。 小池龍之介著『考えない練習』小学館文庫より

メンテナンス集中シーズン (22/08/14)

 2022年現在、私の所有車両は四輪車1台、オートバイ2台、自転車4台という異常体制に膨れ上がっています。この夏、懸念的中というべきか案の定というべきか、次々にトラブルを抱えてしまいました。

 自転車は
RALEIGH CRN:ベダリング中にキリキリ、キュルキュルという異音。
RALEIGH RFL:登坂中にカン、キンという異音、ブレーキワイヤーほつれ、パンク。
DAHON Visc P18:ステアリングがグラグラ、登坂中にパキパキッという異音。

 オートバイが
SUZUKI GSX250R:リアブレーキのタッチがグニャー。
SUZUKI SWISH:タイヤの接地感が薄れ、フロントがスリップし冷や汗、2度目。

 四輪車までブレーキランプのうち右側が点かなくなりました。

 四輪車は量販店ですぐ電球を購入、交換しただけで直り、助かりましたけど、何の不安もなく乗れるのが、一時はARAYA Diagonaleだけという事態に。

 重なるときは重なるもの。
 妻の四輪車が車検を受け、バッテリーが寿命末期との診断。タイヤはひび割れが酷く、いつパンクしてもおかしくない状態。
 さらに妻の自転車、GIANT AVAIL2のリアブレーキレバーの引きが異様に重くなり、シフト操作は幾度か調整するもレスポンスが鈍い。ご近所買い物用のマークローザ7Sはグリップシフトが劣化し変速困難になってしまいました。フロントブレーキの効きも怪しくなっています。


 異常に多くの台数を抱えているが故の、負の側面が、この夏一気に表出しました。改めて己の計画性の無さ、管理能力の欠如を痛感しています。
 安全にかかわる症状もあり、放置せず向き合わねばなりません。年々減収が続き、さらに今後毎年給与が減っていくと宣告されている中、ゆとりはなく、自力では難しい四輪車やオートバイのタイヤ交換を除き、あとはすべて自力で対処していきます。いっぺんに解決することはなく、一つずつ、地道に作業するしかありません。
 妻の四輪車だけは生活必要経費扱いで家計からの支出ですが、他はすべて私の小遣いを充てることに...

 居住地周辺では四輪車での移動が一般的、概ね大人一人に一台であり、どこへ行くにも四輪車。自転車は中高生までの乗り物、オートバイには無縁なのが主流です。四輪車のタイヤの空気補充やバッテリー補充電すら見かけることは皆無なのに、私がオートバイの整備や自転車の修理をしている光景は、さぞかし奇異に映っていることでしょう。もし不愉快に感じる方々がお見えでしたら申し訳ありません。

 どうして、いつからおかしくなってしまったのか、もはや振り返っても意味がないと感じています。計画してきたわけではありません。なるべくしてこうなっているのかもしれません。私の場合、将来の計画をしても、きっとまともなことにはならないでしょう。

 自分の内側にある過剰な自意識が母から受け継いだものと知ったとき、落としどころのない場所へと気持ちが沈んだ。
「明日。帰るね」
「なにかあって帰ってきたのと違うのかい。仕事、うまくいってないんだろう」
「事務所を辞めたの」
「こっちに戻るのかい」
「いや、まだそこまでは考えてない」
「戻ったって、恥ずかしいだけだもんね。わたしもそうだ。きっとお父さんも同じだったんだろうさ。人生、思わぬところから狂っていくんだ」 桜木紫乃著『それを愛とは呼ばず』(幻冬舎文庫)より

それぞれの変速操作 (22/06/26)

 四輪車、オートバイ、自転車。こうした乗り物のほぼすべてに駆動系統があり、たいていの場合、変速機構が備わっています。2022年夏時点で私の所有車両は、四輪車1台、オートバイ2台、自転車4台という異常体制に膨れ上がっていて、なおかつそのすべてが別々の変速操作方法という、理解に苦しむ事態に陥っています。

 四輪車のTOYOTA AURISはトラディショナルな3ペダルMT。オートバイのうち、SUZUKI GSX250Rはスポーツバイクとしてオーソドックスな6MT。アシスト&スリッパークラッチなど新技術のない一般的なもの。SUZUKI SWISHはスクーター定番のCVT。変速操作が不要なので最もラクです。四輪車が3ペダルMTなのが少数派ではありますけれど、オートバイは比較的多数派な部類に入り、珍しく感じることもないでしょう。

 しかし自転車4台がそれぞれバラバラな変速操作でありまして...
 RALEIGH CRNはデュアルコントロールレバーを操作する、フツーなタイプですが、ARAYA Diagonaleはトラディショナル、いや絶滅危惧種と言い換えていいであろうダブルレバー。現在何速に入っているか、手元や後輪のスプロケットに目線を移すことなく手で触ったレバーの角度でわかるのが独特です。ほかに変速ワイヤーの取り回しがシンプルで、トラブルが少なく、経年劣化に比較的強い特徴があります。クロスバイクのRALEIGH RFLはフラットバーでは標準的なトリガータイプのシフター。最も使いやすいと感じています。小径車のDAHON Visc P18はサムタップ、親指のみで操作する珍しいタイプ。初めは戸惑いましたが慣れました。
 せめてドロップハンドル、フラットバーそれぞれで統一したいと考えるのが一般的でしょうけれど、このままバラバラでいいやと思っています。それぞれバラバラでいいのです。多様性ばんざい。

 そもそも、変速操作云々よりも台数自体が多すぎですよね。
乗り物多すぎ (22/02/20)」にも書いていますが、なぜこんなに所有しているのか自分でもよくわからないのです。己の計画性の無さ、管理能力の欠如が招いた結果であります。決してゆとりある暮らし向きだからではありません。自分で移動する手段を常に確保しておきたいという心理が強いのかもしれません。言い方を変えると移動手段を失う不安の裏返し。カッコつけた言い方だとリスクヘッジ... 私自身の屈折した性格と、学生時代の相対的貧困に由来していると考えています。
 若かりし頃は無段変速のスクーターと相性が良くなかったし、自転車の変速操作も使いやすく効率が良いものに統一しなければならないと考えていました。いえ、当時は同世代の多数派から外れるのが怖かった。主流派とかトレンドについていかねば不安でたまりませんでした。矮小で弱かった己を繕うことばかりに意識が向いていたのだと思います。

 しかしともかく今は、それぞれの乗り物があって、それぞれ多様な変速操作があって、それでみんないいと思えるのが自分でも不思議です。己の弱さがいくばくか改善されたのか、あるいは年齢的な考え方の変化かもしれません。

 でも私は明らかに変わったのだ。夏休みの間に体重を八キロ増やし、髪の毛をブレイズにしていた。マニキュアはさすがに取って登校したけれど、爪のつけ根には取りきれなかったラメがピカピカ光っていた。
 私は早速先生に呼び出された。それは想定の範囲内だった。あらかじめママに言われていた通り、先生には「親を呼んでください」と伝えた。
 学校には、ママとダミアンがやって来た。ダミアンの豊かなドレッドは先生をひるませ、私の髪の毛を「校則違反だ」とする気勢を削いだ。
「ジュエルの髪はこうすることが一番落ち着くんです。校則か何か知りませんけど、彼女の髪の毛を無理やり伸ばさせて他の子と一緒にしようとするなんて、はっきり言って差別やないですか? それが教育ですか?」
 ママは珍しくシックな黒い服を着ていたけれど、それに合わせた黒っぽいメイクをしていた。カシスみたいな色の唇、目の周りを黒く塗って、鼻ピアスも黒だった。
 ダミアンも拙い日本語で加勢した。ジュエルの髪を否定することは、自分のドレッドも否定することだ、というようなことを、おそらくママに教わった通りに話した。 西加奈子著『おまじない』(ちくま文庫)より

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