海外プチ冒険旅行

マレーシア旅行記  1992/4月

最終更新日: 2009/07/19

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ここが知りたい: Q&A

※1992年当時の資料ですので 現状にそぐわないところがありますが、ご容赦ください。

◆日本語は通じるの?
日常、日本語が通じることはまず無い。 それでも ごく一部の超高級ホテルや超高級免税店では通じることがあるらしい。 そういったものに縁の無い諸兄にはマレー語の単語だけでも事前に目を通しておくことをお勧めする。
とはいえ、中国語も英語も通じることがある。

◆水は飲めるの?
高級ホテルに泊まるのならば、水の心配はしなくていいだろう。 安宿に泊まったときは生水は飲まないほうが賢明である。 M$ 1前後でアイスコーヒーやジュースが飲めるので、そちらをおすすめする。

◆日中は暑いの?
アスファルトの上でまともに浴びる直射日光は半端ではない。 肌の弱い人は日焼け止めが必要。 それでも少々焼けてしまうのは覚悟しなくてはならない。 ただ幸いなことにマレーシアは緑が多く、日本の夏の感覚にかなり近い。 木陰も案外過ごしやすいことも付け加えておく。

◆食事は辛いの?
もちろん辛い料理も数多い。 マレー料理は他のアジア各国のように唐辛子を使うことが多いようだ。 だが全ての料理が辛いわけではなく、日本人にも合う料理も多い。
他にも中華料理、インド料理、西欧料理、ファーストフードが巷にあふれているので、食事に悩むことは無い。

◆米ドルはもっていかなくていいの?
空港に自動両替機があるので心配無用。 日本円の現金を替えてくれる。 また、大きい都市のショッピングセンターとかには両替商がいるので、不自由することは無いだろう。
だが陸路でマレーシアに入る人や、小さな都市にしか行かない人はT/Cを持っていったほうがよい。

編集後記

 今回の旅も 計画通りにならなかった。
もちろん かねてより行きたかったマレーシア東海岸は美しく、穏やかで、期待に違わないものだった。 しかし これまでの旅とは違い、どことなく中途半端で消化不良、不完全燃焼の印象が強いのは否めない。
それはレンタバイクが無かったせいだろうか。 レンタカーすら利用できなかったせいだろうか。 情報収集などの事前準備が不足していたせいだろうか。

 今あらためて この旅を振り返ってみると、どうもそれだけではないような気がする。 それまでの旅は 少なからず冒険旅行の要素があり、幸か不幸か刺激的な出来事も少なくなかった。
ところがこのときは社会人になってから4年以上経過し、仕事でのストレスも相応に溜まっていたせいか、気晴らし的、癒し的、レジャー的要素を 無意識のうちに求めていて、大げさに言えば このあたりから旅のスタイルの転換期を迎えることになったようだ。 このときはそんな自分に戸惑い、苦悩し、少々もがいている心の内面が見え隠れしている。 自分は他人とは違う旅をするんだ、と突っ張りながら...

 実際、この後何度も海外に出かけていて、初めて訪れた国でも、複数回訪れた国でも、冒険的要素を求めながらも、気晴らしやレジャー的スタイルに近づいていることに苦しみ、なぜだか心から旅を楽しんでいなかったことが多い。 海外旅行に限らず、国内旅行やバイクツーリングでも そんな感覚がずっとつきまとっていた。
もがいた末に自転車を持ち出して、地図にはほとんど載っていない、車両進入禁止の未舗装路を走ったことも何度もあった。 理由はわからないが、人里を避けて走る自転車のペースが自分に一番しっくりきたからだ。

 そんな、肩の力が入った状態は続き、仕事で緊張し疲れた体を癒すどころか、よけいにストレスを感じつつ ずいぶん長いこと もがいていたように思う。
 本当に肩の力が抜けてきたのは この旅から10年以上も経過した、ここ数年のことだ。 やっと旅行先でも緊張感を感じずに ゆったり過ごすことができるようになってきたような気がする。
ずいぶんとまた不器用だけど...

 それでも一方で まだ行っていない国、見たことのない風景に対する憧れは くすぶり続けている。
南米やアフリカ、東欧やモンゴル平原... 果たして夢はいつ実現することやら...(05/11月)