あとがき 自分たちの手で、言葉で伝えていこう
2006年5月の組合大会で「連載」の企画を提案してから1年半近くたち、こうしてまとめることができました。優れた本はたくさんあるけれど、自分たちの手で、自分たちのことばで書くことが大事ではないかと思っています。
社会は生き物です。あの戦争は日本の“誇り”を守るための聖戦だったとして、“戦後レジウム(体制)の一掃”を狙った安倍政権が大敗し、退陣に追い込まれました。沖縄『集団自決』の教科書検定問題は、その稿を書いた後に、現地沖縄で10万人集会を成功させ、世論が政府を動かしつつあります。社会は変化していきますが、その時その時に、歴史を見つめていくことが必要なのではないでしょうか。
靖国神社見学から始まった
組合員仲間に、「教育基本法と憲法改悪の動きに対して、あの戦争はどういう戦争だったかということがキイ(鍵)になると思う。わたしたちの子どものころはまだ身近に戦争の話題がいろいろとあったが、若い教員たちにはないものね。三河教労の機関紙では十分な紙面を確保できないから、別摺りでやった方がいいと思う」と、この企画を話しかけたのは、大会2か月前の3月ごろでした。そのきっかけは、その年の1月に、靖国神社の「就遊館」を見学してからだったと思います。そこで、この冊子の巻頭に、機関紙「未来を拓く」3月号に載せた「靖国神社見学記」を収録しました。
今こそ、靖国派が隠している、戦争の“みにくい面”を伝える
この企画を話しかけたとき、大学で歴史を学んだある組合員は、「彼らの嘘やごまかしをきちんと反論するのは大変だよ。ABCD包囲網とか…」と言いました。わたしは、「そういう難しい問題は専門書に任せておいて、靖国派が隠している戦争のみにくい面、アジア諸国を侵略したこととか戦死者の多くが餓死したこととかを伝えていけばいいんじゃないか」として、構想を執行委員会に提出しました。
企画の段階では、組合員みんなでリレーをしながら「戦争」について書けたらいいな思いましたが、誰か中心になって書く人がいないと進まないということで、大半をわたしが書きました。社会科の教員でもない、歴史に素人のわたしがこの「連載」を思い立ったのは、戦後生まれではあるけれど、子どもの頃に「戦争」の臭いを、今の若い人たちよりはずっとかいできたからだと思います。「蓮如さんのお祭り」で、白衣をまとい、松葉杖を突いたりアコーディオンを演奏して寄付を求めていた「傷痍軍人」。白衣を茶色でやや幅があるバンドで締めており、妙な組み合わせでした。今思うと、あれは軍服のバンドを意味していたのではないかと思います。「傷痍軍人と言ってるけど、金稼ぎの偽物もいる」という話も聞いたように思います。町の公民館で、「日本かく戦えり」というような題の記録映画を観た覚えがあります。大人向けの映画を、小学4年にならない子どもが食い入るように見ました。マンガも大好きで貸本屋によく行きましたが、飛行兵、戦車兵、潜水艦といった戦争ものがほとんどでした。
書くのに苦労した沖縄『集団自決』と『慰安婦』問題
「連載」執筆の順序は、あとから入れ替えたところがあります。第1部、第7回の「沖縄住民『集団自決』」と第8回の「『従軍慰安婦』問題」は、8月に書きました。当時は、第1部の「天皇の軍隊」を終え、第2部の「天皇の軍隊を作った教育」を書き進めていました。この二つの問題はぜひ書いておくべきだと考え、あとから1部に入れました。
書き始めるのが遅くなったのは、「大江・岩波裁判」は知らなかったし、『慰安婦』問題について調べるのに時間がかかったからです。特に、『慰安婦』問題は、反対派のキャンペーンがすごく、それらに目を通す必要があり、この「連載」で一番苦労して書いたものです。これが真実だと一方的に述べるだけでは、反対派の主張に出会った時に弱腰になるので、彼らの主張がどんなものかも見ておく必要があると考えたからです。
「連載」を書きすすめるにあたり、三河教労の組合員から多くの励ましを受けました。特に、いつも意見や感想を寄せていただいた土井さんと羽田さん、学級の記録を寄せていただいた畦地さん、慰霊祭の様子を寄せていただいた南さん、そして、映画のパンフを送っていただいた高校教員の足立さんに感謝しています。 三河教労 杉浦 明永
追記「草薙(くさなぎ)隊」の名の由来 第16回「学区に特攻隊の基地があった」に書いた「草薙隊」の名ですが、天皇家の“三種の神器”のひとつ、“草薙の剣”に由来すると思われます。神話では、スサノオノミコトが、八岐大蛇(ヤマタノオロチ)退治のときに、大蛇から取り出した剣で、ヤマトタケルノミコトが東征のおりに、窮地に追い込まれたとき、この剣で難を脱したとされ、熱田神宮の“ご神体”になっています。幕末の戊辰戦争の時に、尾張藩で組織された農兵隊が京都御所警備のため上京しましたが、やはり「草薙隊」と名づけられています。天皇=国を守り、窮地を脱するという気持ちを込めたのでしょう。
主な参考文献・資料
第 2回 ホームページ『南京事件資料集』
新編『三光』第1集 中国帰還者連絡会編 光文社 1982
『悪魔の飽食』、『続悪魔の飽食』 森村誠一著
光文社 1982
第 3回 『背中の勲章』
吉村 昭著 吉村昭自選作品集第3巻 新潮社 1990
『飢死した英霊たち』 藤原 彰著
青木書店 2001
映画『シン・レッド・ライン』米国映画1998年 パイオニアLDC
第 5回 『真空地帯』 野間 宏著 新潮現代文学27 新潮社 1981
『山本薩夫 私の映画人生』 山本薩夫著 新日本出版社
1984
第 6回 映画『硫黄島からの手紙』
NHKスペシャル『硫黄島玉砕戦−生還者61年目の証言』 2006
第 7回 『平和への証言』沖縄県立平和祈念資料館ガイドブック 沖縄県編集 1991
ガイドブック『松代大本営』 松代大本営の保存をすすめる会編 新日本出版社 1995
第 8回 ガイドブック『日本軍“慰安婦”歴史館 展示パネル 日本語訳』ナヌムの家
『慰安婦と戦場の性』 秦 郁彦著 新潮選書 新潮社 1999
『従軍慰安婦問題のからくり』 阿部 晃著
第 9回 『銃口』 三浦綾子著
小学館 1994
『15年戦争と教育』 安川寿之輔著 新日本出版社 1986
第10回 『晴美と寂聴のすべて』 瀬戸内寂聴著
集英社 1998
『人が好き−私の履歴書』
瀬戸内寂聴著 日本経済新聞社 1992
第11回 『教育勅語』 大原康男著
神社新報社
『教育勅語と軍人勅諭』
韮沢忠雄著
第12回 『教育勅語の研究』
岩本 努著
第13回 戯曲『新新美南吉物語』
『ごんぎつねのふるさと』 大石源三著 エフェー出版
第14回 映画『子どもたちの昭和史 第2部 太平洋戦争と教師たち』日本電波ニュース社 1984
第16回 『知覧特別攻撃隊』 村永薫編 有限会社ジャプラン 1994
愛知県総合教育センターホームページ「愛知の郷土史、偉人…」
ホームページ『戦争遺跡見聞録』 2007
第17回 NHKスペシャル『パール判事は何を問いかけたのか 東京裁判 知られざる攻防』2007第18回 日本青年会議所 近現代史教育実践委員会ホームページ 2006
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