三河教労機関紙2006年度連載 『日中・太平洋戦争と教育』 第2回 2006年7月
7月1日に東京で、南京事件被害者の夏淑琴さんを迎えて、「証言を聞く集い」がもたれたという新聞記事が目にとまりました。
夏さんは、家族9人のうち7人が日本軍兵士に殺され、そのうち母と姉2人は輪姦された上に殺されました。隣りの家族、夫婦と子ども2人も全員殺されたといいます。
しかし、“南京大虐殺はなかった”と主張する歴史学者の東中野修道氏は“夏淑琴はニセ証言者”と言います。そこで夏さんは東中野氏を名誉毀損で訴える裁判をしています。
夏淑琴さんの「証言」をインターネットから紹介します。(一部省略しています)
夏さんは当時7歳だった。9人家族は労働者の父(当時40歳、以下年齢はいずれも当時)を中心に、母(40)、長姉(15)、次姉(13)、妹(4)、末妹(生後数カ月の乳児)のほか、母方の祖父母(いずれも60代)がいた。 日本軍が南京城に到達したとき、近所に6、7家族いたが、夏さん一家を含め2家族以外は難民区へ避難していた。夏さん一家がなぜ避難しないでいたのかは、7歳だった夏さんには事情がよくわからないが、老人と子どもが多いので動きがとれなかったのだろうと想像している。 12月13日(1937年)の朝9時ごろ、夏さん一家は朝食がすんでそれぞれの家事をしていた。夏淑琴さんは何とはなしに中庭へ出ていた。 突然、門の扉をはげしくたたく音がした。隣りのおじさんがとびだしてゆき、観音扉のカンヌキをあけようとした。夏さんも父につづいてとびだし、中庭の門の方へ走った。つぎの瞬間、カンヌキがはずされて扉が開き、日本兵が何か日本語で言った。 何のことか分からぬままに隣りのおじさんがまごまごしていると、ただちに撃たれて倒れた。かけつけようとした父がこれを見て驚愕し、逃げようとふりかえったとたんに背後から射殺された。 仰天した夏さんは、家にとびこむと一番奥の部屋に走っていって、赤ん坊以外の姉妹と一緒に四人かたまって寝台にもぐりこみ、一枚のふとんをかぶった。 まもなく、家の中へ大勢がはいってくる気配がした。木の床をふみならす皮靴の音やざわめき。ほとんど同時に銃声がした。ふとんの中では見えなかったが、このとき入り口近くにいた祖父が射殺されたのだった。 その直後、ふとんが剥ぎとられた。日本兵が銃剣の先ではいだのだ。八畳ほどの部屋に日本兵がぎっしり立っていた。寝台の上にかたまる4人の子どもをかばおうと、祖母がその前に立ちはだかった。すぐにピストルで撃たれ、祖母の頭から白っぽい脳ミソがとび出すのが見えた。 そして日本兵は、寝台の上から姉二人を連行しようと手をかけた。恐怖のあまり夏さんは叫び声をあげた。とたんに銃剣で刺された。気絶した。このときは分からなかったが、夏さんは左肩と左脇と背中の三カ所を刺されたのである。 そのあとで起こったことは、気絶していたため直接見ることができなかった。どれほど時間がたったか、4歳の妹の泣く声で気付いた。夕方になっていたが、外はまだ明るかった。壁ぎわにつくねられたふとんの下で妹は泣いていた。どうやら日本兵が銃剣で蚊帳とふとんを剥いだとき、剥がれたふとんが妹の上にかぶさったものらしい。 あたりに日本兵の姿は見えず、静まりかえっていたが、部屋のなかは恐ろしい光景となっていた。同じ寝台の一方に、下の姉(13)が上半身のせて死んでいる。下半身は裸にされ、両足が床に投げだされた状態だ。寝台の前に祖母の死体。戸口近くに祖父の死体。そして上の姉(15)は、寝台と反対側の壁ぎわの机に上半身をのせたまま死んでいた。これも下半身裸にされ、両足が床に投げだされている。 母と赤ん坊の姿は見えなかった。姉二人が刺されて殺されたのか撃たれて殺されたなのかなどは、外見からは分からなかった。 夏さんは妹をつれて中庭に這いだした。銃剣で刺されて重傷を負っていながら、あまりのことに動転していて痛みなどほとんど感ずる余裕さえなかった。 中庭を這いながら、妹は歩いて、家主の内庭にある防空壕の方へ行った。母親と赤ん坊(末の妹)の死体がそこにあった。机をならべた壕のすぐ前に、母はやはりズボンをおろされ、下半身裸にされて横たわっていた。赤ん坊はそのそばにころがっている。 幼い二人は、机の下の干し草にもぐりこんだ。以後2週間ほどをそのまま過ごすことになる。寒いので家からふとんをもってきてかぶった。 |
夏淑琴さんの証言を読み終えたわたしは、本箱から3冊の小冊子・光文社カッパノベルス・ドキュメントシリーズを取り出しました。
1冊は中国で戦った元日本軍兵士の証言が載った『三光』第1集−中国で日本人は何をしたか(中国帰還者連絡会編)です。『三光』とは、“殺しつくし、焼きつくし、奪いつくすことなり”と書かれています。
後2冊は、森村誠一氏が書いた『悪魔の飽食』とその続編です。『悪魔の飽食』は、関東軍満州第371石井細菌戦部隊の生存者が重い口を初めて開き、恐怖の全貌を明らかにした作品です。子ども・婦女子を含む3000人もの中国人、ロシア人が、“丸太(マルタ)”と呼ばれ、思いつく限りの“人体実験” の餌食にされました。
夏さんの証言が7歳の体験なのに対して、『三光』と『悪魔の飽食』は加害兵士の証言です。ずっと生々しく描かれており、人間はここまで悪魔になるのかと身の毛がよだつ思いがしました。正直なところ、やりきれなくて読み続けることができませんでした。
それらさまざまな“残忍な殺戮(さつりく)”から浮かび上がるのは、日本軍の、まぎれもない『侵略』の姿です。(右、光文社カッパノベルス)