戦前の教育
「日の丸・君が代」について

 
                      「国定教科書」にみる「日の丸・君が代」

国民を戦争に動員するには、その精神的構築が大切でした。「おれ、まだ徴兵の紙(赤紙)が来てない。」と、来ないことを恥ずかしいと思わせるように国民精神を動員する手だてが。「戦争に行って、偉くなるんだ。」「戦争に行って、敵をやっつけるんだ。」「いいなあ。早く、そんな年になりたいな。」というような気持ちにさせることが。
それは、何年もかけて、学校教育によって作られたものでもありました。
ここでは、国民をそのような気分にさせていった「戦前の教育」について考えてみたいと思います。
「日の丸」「君が代」は、初等科修身一・二にそれぞれ載っています。これは、1942年(昭和17年)に発行された国定教科書ですので、すでに戦争が始まり、「国民精神動員」の最後の形態といって良いでしょうが、そこに、「典型」をみることができます。

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〔解説〕
国民に特定の心情を押しつけ、
    強制した「日の丸」


 「どこの国でも、その国のしるしとして、旗があります。」として、「国旗」があり、日本は日の丸だと印象づけます。
 そして、それは、あたかも人格があるかのように、「勢いよく」「明るく」「元気」だと。
 そして、次のページでは、「けだかく」「あたたかい」ものだと決めつけられます。
 そして、とうとう「いつ見ても、ほんたうにりっぱな旗」と言われます。
 子どもの中にある強いもの・元気なものにあこがれる気持ちを代弁しているのが、「日の丸」であるかのように。それは、「弱くて・暗くて・元気のない」者への蔑視と対をなすのです。当時は、それはアジア大陸の国々、日本が侵略をしようとする中国や朝鮮だったのです。
 そして、その「聖戦」に従事できない人々、疑問を持つ人々も、同じとみなしたのです。
 

「建国記念の日」とは何?
   どうして「の」がつくの?
  

 2月11日って「建国記念日」じゃないの?(祖父と孫の会話)

おじいさん 「おや、今日は学校どうしたのかい。」

孫     「やだなあ、建国記念の日だよ。」

おじいさん 「おお、そうじゃったか。」

孫     「今日は、日本の国ができた日なの?何年前にできたの。」

おじいさん 「うーむ。昭和15年が紀元2600年だったから、1940年が2600年という
       ことになる。だから今から2663年前になるか
な。」

孫     「へえ、ぼくたちが使っている西暦なら紀元前660年か。縄文式土器のころだ。
       そんな前の今日のことがわかるの。」


おじいさん 「大昔の本で、神武天皇が位についた日ということになっている。」

孫     「神武天皇って、どんな人?」

おじいさん 「まて、まて。えーと、天皇の位に76年間ついていて、127歳で亡くなった。」

孫     「ええっ。縄文時代って寿命が30才ぐらいだったって書いてあったよ。」

おじいさん 「うーむ。見るからに長生きしそうな健康そうな顔じゃったから。」

孫     「えっ、写真があったの。」

おじいさん 「いや、あれは明治になって紀元節ができた時、明治天皇の姿をかりて作った肖像
       だったな。おじいさんたちは、それを神武天皇だと……」 


孫     「紀元節?」

おじいさん 「建国記念の日を戦前はそう呼んで大変な日だった。帝国憲法を公布したり軍人に
       やる勲章を決めたりしたんだ。みんな2月11日をえらんだ。」

孫     「帝国憲法って、天皇がなんでも命令できて、それで戦争をやったんでしょう。
       だったら、紀元節ってあんまり良くない記念日だね。」

おじいさん 「そういや、朝鮮人に日本名を強制したのも2月11日だった。『創氏改名
       といってね。名前を変えないと小学生でも学校に入れなかった。」

孫     「そんな日を、なぜ国民が祝う日になんかしたの?」

おじいさん 「何かの審議会で賛成7、反対2、辞任1で決まったそうだ。」

孫     「国会でもっと話し合わなくちゃ。それに、そんな少しの数で国が生まれた
       というのが決まっちゃうの。」

おじいさん 「最近は、知らないうちに決まってしまうんだよ。」

孫     「歴史って、そんなふうに決めるものじゃないでしょ。」

おじいさん 「そうだ。言われてみると、むちゃくちゃだ。」

孫     「それに、国ができたっていっても古ければいいってものじゃないでしょ。」

おじいさん 「そうだね。日本人の多くが心から祝えるというような日でなくてはね。そ
       に、おじいさんたちは、日の丸とか君が代とか言われると戦前を思い出
すん
       だよ。」

孫     「でも、先生たち、大きな声で、元気よく歌いなさいっていうよ。」

おじいさん 「……。」

 

 

 

大前提に
「この旗を立てることのできる国民だ。」
「私たちは、しあはせな日本の子どもだ。」

と、ここでも心情を強制しています。「別に、幸せでもないよ。」とか「この旗が?」と疑問を持つことは許されなかったのです。
 生活が苦しくて、多くの子どもらが12歳で奉公に出るような時代、娘たちがおしんのように売られる時代でも、「心の中にまで」このような精神が強制され、批判する意識を持つ前に順応させられていったのです。
 そして、「日本人」と「日の丸」を結びつけます。「日の丸」は、日本を表すという意味においては近代では幕末に幕府商船が掲げたのが最初だといわれますが、ここでは「日本人=日の丸」という図式が、あたかも昔からあったかのように描かれます。
 そして、それは最後の決定的な箇所にいきあたります。そして、絵入りで強調されます。

侵略の象徴としての「日の丸」
 「敵軍を追ひはらって、せんりょうしたところに、まっ先に高く立てるのは、、やはり日の丸の旗です。」

 戦争と深く結びつき、占領したところに真っ先に立てる「日の丸」、それは、まさに戦争と侵略の象徴でした。
 そして、「日の丸の旗は、日本人のたましひとはなれることのできない旗です。」と結論づけます。
 それは、侵略を受け、殺人と破壊を受けた国々の人々にも決して忘れることの出来ない旗でしょう。
この旗をもって、平和を語れない深刻な歴史があるのです。
 初めに「結論ありき」で、心の中まで強制し、侵略戦争の象徴として使われ、名実共にその役割を担った「日の丸」です。
 その旗が、その後、その歴史を完全にぬぐいさる証明をしたという事実はありません。 

アジアの国々を蔑視し、侵略を重ねる

 「朝鮮国…国にして国に非ず」「朝鮮…人民は牛馬豚犬に異ならず」「チャンチャン(中国人への蔑称)…皆殺しにするは造作もなきこと」「老大腐朽の支那国」「支那…溝にボウフラの浮沈するが如し」「支那兵…豚狩りの積もりにて」(全て福沢諭吉の言葉)というように、アジアの国々を「軟弱破廉恥」だとし、「文明の日本」が成敗するという宣伝を大々的におこない、教科書もそれを教え、侵略を正当化していったのです。

「私、好きな歌があるの。それを歌うのはいいけれどね。」
「なぜかわからないけど、しかられて歌うのいやなんだ。」

「式って、きらいだよ。だって、じっとしていなくちゃならないから。」
「それに、動くな・大きな声で歌え・声が小さい!って、何回もやり
なおしがあるんだ。」