第33日目     2002/11/30 (土) 

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 経路    濱吉屋 金剛頂寺 津照寺 太田旅館

 歩き距離 46千歩 32.2km  地図上距離 29.9km

 出発 7時  到着 15時  曇り後雨  すれ違ったお遍路さん 5人

 宿屋    太田旅館  泊まりのお遍路 1人


 

 奈半利の町は、旧道の遍路道を通った。6地蔵があった。

 ここで、鉄道はお終い。気が付いた時から、ずっと高架の鉄道だった。終点も、高架の橋がスパッと切れていた。バブルの遺産の1つ、黒字だろうか心配になる。

 奈半利の町外れで、中山越えの遍路道を探したが、見つけられなかった。3箇所ほど山に入ってみたが、不明。

 国道沿いで、人を捕まえる事が出来なかったので、国道を行く事にした。どうしても中山越えなら、地元の人に聞くこと。

 羽根の港に、紀貫之の歌碑があった。

      まことにて名に聞く所 羽根ならば 飛ぶがごとくに 都へもがな

 傍士(ほじ)の金剛頂寺への車道、平尾の歩き遍路道共、遍路札などあって、良く判った。

 13時、26番金剛頂寺到着、裏道となるので、本堂に出るのに大分遠回りした。

 下山途中、川村与惣太の墓をお参り。「土佐一覧記」と言う、土佐の国の行脚の記録の著者で、金剛頂寺の住職もしていた人、との事。

 14時過ぎ、25番津照寺お参り。雨のお寺さんだった。
 

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第34日目     2002/12/01 (日) 

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 経路    太田旅館 ロッジ尾崎

 歩き距離 37千歩 25.9km  地図上距離 22.3km

 出発 7時半  到着 15時  曇り後雨  すれ違ったお遍路さん 8人

 宿屋    ロッジ尾崎  泊まりのお遍路 1人


 

 高知大学の100km貫歩(学校から室戸岬まで100kmを寝ずに歩く)が昨日朝9時スタート。標準で本日午前ゴールとのこと。時速4kmが必要、相当大変だ。

 歩き始めると、前方に、2,3組の歩いている姿が現れた。みんなへとへと、マメと筋肉痛で、足を引きずっていた。意識朦朧の人もいた。追い抜きの挨拶をすると、室戸まで、後どの位、と切実な声で聞かれた。地図を見て、後何kmと正確に知らせてあげた。若いことは良い事だ、気持ちも良く判る、後少しがんばれ。

 室戸までの間で、10人位追い抜いた。1人もいたが、2,3人の組が多かった。女の方が、しっかり話が出来た。丈夫に出来ているらしい。

 9時、室戸岬。公衆便所のある小公園にゴールがあった。便所に行こうとしたら、貫歩のメンバーと間違えられた。一般の人も参加しているのかな。

 2,30人が休んでいた。途中落伍も多いんだろう。室戸岬に12時過ぎまで居たが、ぞろぞろゴールしている雰囲気は無かった。全部で、300人位の参加だそうだ。

  南からの歩き遍路道を登る。奥の院をお参り。20分で登れた。足も丈夫になった。登り口もばっちり、迷う所なし。
  9時過ぎ、24番最御崎寺到着。お札を納め、賽銭、お経をあげる。最後に記帳して貰う。お参りするお寺は、後、23寺だ、と一瞬思う。

 境内に、石仏、お墓が集めてあった。

 今日は、たっぷり、時間があるので、いろいろ見学。

 お寺の宿所を見に行く。ユースホステルの看板があった。次の時は、ここに泊まろう。

 山を下り、11時、中岡慎太郎の像へ。

 水掛地蔵には、沢山のお地蔵さんがあった。海で亡くなった人を弔うためのものとの説明があった。喉を涸らして亡くなった海難の人を弔うために水を掛けるとの事。捕鯨で取った鯨の供養もしている。

 子授けの岩、弘法大師行水の池、など名前の付いた岩が沢山あった。
 岩盤のため根が地上を這っている、あこうの木を写真に撮る。
 11時半、御蔵洞お参り。

 

 御蔵洞の中に祭壇があった。

 今日は、尾崎泊まり。

 

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第35日目     2002/12/02 (月) 

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 経路    ロッジ尾崎 みなみ旅館

 歩き距離 50千歩 35km  地図上距離 33.6km

 出発 7時半  到着 16時  晴れ  すれ違ったお遍路さん 5人

 宿屋    みなみ旅館  泊まりのお遍路 1人


 
 太平洋からの日の出、今日も駄目だった。 宿からの朝日を撮る。

 今日も1日、歩くのみ。国道55号を行く。

 佐喜浜のスーパーは、先回、土砂降りの雨に会い、雨宿りさせて貰った店である。朝早いため、閉まっていた。その節は、お世話になりました、と自然に頭が下がる。

 これから「淀ヶ磯」4里。 9時前、佛海庵に到着、お参り。
 先回は、雨の道だった。台風だったかもしれない。今日は、快晴。澄んだ海を見て、ただただ歩く。いろんな事が頭に浮かび、暇にならない。

 きっと、歩きの皆さんも、歩きながら、考えをまとめたり、先の事を考えたり、しているのだろう。山登りの人、探検家の植村さん達も、同じだろう。

 10時前、法海上人堂お参り。お堂が綺麗になっていた。
 魚寄せ地蔵、お参り。

 野根大橋のお地蔵さんをお参りして、野根の町に入る。先回、泊まった宿もあった。

 甲浦。徳島の鉄道の終点。この駅にもお世話になったが、今日は寄らず通り過ぎる。甲浦大橋の際の喫茶店に世話になったので、今回も、点線遍路道は行かず、国道を行く。

 大橋を越えた右側に喫茶店の店が見えた。しかし、店まで行くと、店は閉じたまま、相当時間が経っている。

 先回、足のマメが酷く、漸くここまで来て、この喫茶店の前の木陰で休んだ。声を掛けてくれた人が居た。この喫茶店のおかみさんだった。おしぼりと、冷たい飲み物を持ってきてくれた。本当にありがたかった。

 夏で暑かった。余り無理するなと言われた。この一言で、今回は、この甲浦で帰ろうと、腹が決まった。このおかみさんのおかげだった。宿を決めてなかったので、昼前だったと思う。

 閉まったお店に、お礼の挨拶をする。

 宍喰も、国道を行く。

 国道沿いの宿、食事、喫茶の店がたくさん閉鎖していた。撤去されて、建物を含めて、何にもない箇所もあった。

 海部駅を見て、右に曲がる。今日は、お世話になった喫茶店に寄るつもりが、潰れていて果たせなかった。

 

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第36日目     2002/12/03 (火) 

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 経路    みなみ旅館 鯖大師 薬王寺 薬師会館

 歩き距離 46千歩 32.2km  地図上距離 28.3km

 出発 7時  到着 15時半  晴れ  すれ違ったお遍路さん 1人

 宿屋    薬師会館  泊まりのお遍路 1人


 
 この遍路道は初めてである。先回は、間違えて国道55号を通ってしまった。距離は大差無しのようだ。浅川の港を抜け、川の所で、国道に取り付いた。

 9時、鯖大師到着。お参りして、記帳して貰う。不動洞窟があり、一回りしてきた。八十八箇所のお寺の写真があり、お不動さんが居らした。30分ほどいたが、お参りは私、1人だった。

 今日も良い天気で、海も静かだ。
 内妻トンネルを抜けた所から、海の方へ降りた所に、目あき大師が座して居った。
 トンネル入り口には草鞋(わらじ)大師が居た。そこからこの内妻の峠越えの旧土佐街道、遍路道の案内があった。次の時は、峠越えしよう。 

 また、無人の接待所があり、お湯がポットに入り、コーヒーなど置いてくれてあった。10時半。

  牟岐の辺川の集落の遍路道の入り口は確認することを忘れてしまった。平間の降り口は確認した。先回は、国道から集落へ入る遍路道を歩いた。

 牟岐の町を抜けると、山に入る。

 牟岐から日和佐閑の石仏、お墓。
 牟岐から日和佐閑の石仏、お墓。

 今回、石仏、お墓は、記録がうまくできなかった。次回のお遍路の時は、正確な記録をしようと心に決めた。

 

 日和佐トンネルを通り、日和佐の町に入った。薬王寺が見える。このお寺さんと88番大窪寺、87番長尾寺は3度目 のお参りだ。

 15時、23番薬王寺到着。お参りして薬師会館へ行く。今日の泊まりは、私1人。

 

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