高野山参り 2002/12/15 (日)、16(月) 初めに 終わりに 逆打ちで、私が間違えた道 前の日へ 逆打ち目次へ 経路 名古屋 新幹線 新大阪 JR 難波 南海 往復 高野山 金剛峰寺 奥の院 宿屋 桜池院
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新幹線、南海と乗り継いで、高野山へ、山には、雪があった。先回、泊まった宿坊に今回も世話になった。
16日、9時頃出たが、さすがに寒かった。金剛峰寺をお参り。別格20番の記帳帳に記帳して貰う。 奥の院には、バスを使った。お参りの後、掛け軸の記帳をして貰う。これで、すべてのお寺さんの記帳完了。 |
山を下り、大阪で、道頓堀で少し散歩。 |
火事のあった法善寺横町を歩いた。南座再建中。相変わらず、すごいエネルギーの町。若者が飛び込んだ橋を見て帰る。 |
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終わりに 第88番大窪寺から第1番霊山寺まで 期間 2002/10/27〜2002/12/10 歩いた距離 1295km 初めに 逆打ちで、私が間違えた道 逆打ち目次へ 四国遍路八十八カ所へ ホームへ 逆打ちは、今回のみで終わりとし、今後は順打ちで巡礼しようと、つくづく思った。逆打ちは、出会う人とは、本当にただ1度の出会いのみである。 大師と同行二人と言われているが、人と出会う事、話をする事など、私にとって、いかに常に必要な事か今回のお遍路で、教えて貰った。 少し寒くなり歩く人が減ったこともあるが、人との挨拶、”こんにちは”の言葉が4,5回だけの日が半分程度もあり、宿到着がまことに待ち遠しかった。宿も、私1人の日が半分あり、逆に、宿の おかみさん達とは、良く話をする事が出来た。 人恋しさは、私の修行が足りないこともあるが、言葉を持ち、笑い、涙を出して泣く人間の当然の姿かとも思った。 私は、人とのお付き合いは、上手とは言えないが、人は社会を作る生き物と改めて思い、人とのお付き合いを積極的とは行かないまでも、今後とも、今まで以上に続けようと心に決めて遍路道を一回りしてきた。 少し前まで、重い病気を背負い、遍路道を歩いていた人がいたが、だだ1人で、どんなに寂しい気持ちで、歩いていたのか想像も出来ない。歩きながら、そんな事に思い及ぶと、お寺さんの便所に「来た時より、きれいにして帰る」の張り紙も合わせて、自分の身勝手を反省しながら、あれも改めよう、これも改めようと思う事が多かった。 この不景気の時、悠々とお遍路しているのを、苦々しく思っている人がいる事も承知して歩いた。そのためか態度、言葉であからさまに言われた事はなかったが、十分に感じた。 また、若くして逝った同僚たち。この四国の土地で生活している、安い料金の宿のおかみ、働いている百姓さんたちをみると、これからの生き方は、よくよく考えなければと思った。
石碑、お墓を見てこよう、記録してこようと出かけたが、写真に納める事が漸くだった。記録も出来ず、ただの写真の集まりを作っただけだった。 この石碑、お墓を本当に知ろうとするのは、本格的に資料を集め、現地に何回も出向きやる事が必要。今回は失敗だった。
白峰寺の裏、崇徳天皇陵に今回も菊の花が供えてあった。どのような人が供えるのか、どんな気持ちで供えるのか判らないが、この不幸な天皇を悼み、この天皇の気持ちを思い、供えているとしか思えない。 最近は、儲からない事はやらない、やるからには効率よくやるなど西洋風の考えが、最優先の世の中であるが、我が国の昔からある、この花を供える気持ちは大切にしなければならないと思う。 そのためには、部屋を暖めて仕事をしている、車で出かける、私の今の生活、これら自分の生活から改める必要がある。 車で出かける事を半分にする事、コタツを止める事、即実施し始め、年が改まった今も出来ている。今後も続けよう。
道の間違いが、沢山あった。全くの致命傷は無かったが、念には念を入れて行動したにしては、よく間違えた。最も、順回りでも、よく間違えたし、間違えて当たり前なのかもしれない。
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