a 第50日目 2008/11/21 (金) 経路 民宿おおひら−琴弾八幡宮−68番・神恵院−69番・観音寺−70番・本山寺−71番・弥谷寺− ふれあいパークみの 歩き距離 42.9千歩 27.9km 地図上距離 25.8km 出発 6時半 到着 15時半 晴れ曇り すれ違ったお遍路さん 人 宿屋 三野 ふれあいパークみの 泊まりのお遍路 10人
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6:30 宿出発。 高速道路横断付近と観音寺の町で、曲がり角で、道を間違え とんでもない方に歩いてしまった。 ここは、体は覚えていなかったらしい、と負け惜しみする。 |
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![]() 近くに山崎宗鑑の遺跡、一夜庵あり。 北三丁下々の宿あり一夜庵 |
![]() ![]() 68番、69番は同じ境内にあり。 |
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![]() ![]() 国道11号を行く。 途中で、県道221号に入り、次いで細道の遍路道に。 |
ここで、相模原の菅原さんちと会う。 東京の荒木さんの方が足が速いので、私に、付いて来て、菅原さん置いてきぼりとなる。 まずいと思い、彼女に菅原さんを頼んで、先に行く。 菅原さんちは、今日の私の宿を頼んだが、断られ、72番まで行くという。 |
![]() リュックを置いて、弥谷寺に登り掛けた時、リュックの豊川の間瀬さんと、出会う。今日も同じ宿。 相模原の菅原さんちを待ったが、上がってこないので、1人で出かける。 |
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![]() 大師堂は、納経所のある建物の中だった。 相模原の菅原さんちと合流。 |
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15:30 チェックイン。 いい風呂だった。相模原の菅原さんちに、申し訳ないことをしたような気持ちになった。 終わりが見えてきたので、少し、余裕が出来たかな。 |
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b 第51日目 2008/11/22 (土) 経路 ふれあいパークみの−72番・曼荼羅寺−73番・出釈迦寺−74番・甲山寺 −番外・仙遊寺−御影堂−75番・善通寺−76番・金倉寺− 多度津海岸寺列車使用−別格13番・海岸寺−77番・道隆寺−BHフクシマ 歩き距離 43.5千歩 28.3km 地図上距離 22.5km 出発 8時 到着 17時 晴れ すれ違ったお遍路さん 人 宿屋 丸亀 BHフクシマ 泊まりのお遍路 2人
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8:00 宿出発。 弥谷寺へ少し登り、山の遍路道を行く。 |
![]() ![]() ここは、先回の逆打ちの時、間違えた道だ。順打ちは素直だが、逆打ちは間違いやすそうだ。 そう思った時、その道を、直すべきだが!!!! |
![]() 遍路姿の托鉢がいた。 |
![]() ![]() 今回も、捨身ヶ嶽禅定(しゃしんがだけぜんじょう)へは、行かなかった。 |
捨身ヶ嶽禅定。 出釈迦寺の奥の院。 弘法大師が7歳の時に、衆生を救いたい。その力がなければこの身は諸仏に捧げます、と断崖絶壁の頂より身を投げた。 その時、天より天女が舞い降り、大師を抱きとめ、一生成仏、と、お示しになられたという。 |
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![]() 弘法大師が、子供の頃、泥で仏像を造り、堂を作って、遊んだ場所という。 |
![]() ![]() 仁王門。 大師堂。 |
![]() 本堂の写真を忘れた。 |
![]() ![]() 相模原の菅原さんちと会う。今日は善通寺泊。 丸亀泊の私は先を急ぐことにした。 |
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![]() ここも、宿が、廃業していた。結局、丸亀まで行かないと宿は取れなかった。 今日は、あと、金倉寺、海岸寺、道骼宸お参りして、丸亀まで歩くことにした。 |
![]() ![]() 多少、早足で歩き、JR多度津駅から、海岸寺駅まで、列車に乗る。 |
![]() ![]() 車の多い、県道21号を歩き、道骼宸ヨ。
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![]() ![]() 丸亀に向かい、県道33号を歩く。 到着は5時になると、宿に連絡を入れる。遅れる連絡は、今回初めてだ。 |
17:00 港よりの場所で、暗くなってきたこともあり、少し迷った。 ビジネスホテルで、食事なし。駅前で食事す。コンビニで、朝食を買う。 風呂に入り、寝る。 今日は、おしゃべりが多く、遅れ気味だったので、少し、慌てた。疲れた。 明日は、満濃池。 |
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c 第52日目 2008/11/23 (日) 経路 BHフクシマ−丸亀琴平列車−別格17番・神野寺−金刀比羅宮−善通寺−善通寺丸亀列車−BHフクシマ 歩き距離 34.9千歩 22.7km 地図上距離 21.6km 出発 6時半 到着 16時 晴れ すれ違ったお遍路さん 人 宿屋 丸亀 BHフクシマ 泊まりのお遍路 2人
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6:30 パンと牛乳の朝食を採る。 リュックは背負ったが、中身は、うんと減らした。 丸亀から琴平まで列車を使う。 |
![]() 満濃池へ歩き始める。 |
![]() こんぴらレトロ街道のアーケード通り。 |
![]() 豊川の間瀬さんと会う。神野寺を打って戻る所。 リュックは持っていなかった。まだまだ、会いそうですね、で別れた。 |
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![]() ![]() 写真撮りが、数人。 |
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![]() ![]() 弘法大師が、立派な池にしたという。 数年おきに決壊していた池を、決壊し難い池にしたらしい。 今のアーチ式ダムのように、池川に突き出た格好のダム。 |
![]() ![]() 周辺は、公園になっている。 |
![]() 昔は、町の中心にあったが、今は移された。使っていない。 |
![]() ![]() 日曜日の賑わい。籠が登っていく。女の籠担ぎがいた。 |
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![]() ![]() 約900年前からあり、現在の建物は100年前に改築された。 三穂津姫社(みほつひめのやしろ)。 |
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![]() 参道を下り、JR善通寺駅まで、国道319号を行く。 |
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丸亀駅前で、床屋へ。 今日は、夕食と明日の朝の分を買う。 |
16:00 宿到着。 洗濯する。遍路より、一般のお客が多いらしく、洗濯機が空いていた。 9時まで、テレビを見ながら、夕食。 |
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d 第53日目 2008/11/24 (月) 経路 BHフクシマ−78番・郷照寺−番外・八十場の水−79番・天皇寺−80番・国分寺−81番・白峯寺− 坂出簡保センター 歩き距離 42.9千歩 27.9km 地図上距離 23.6km 出発 7時 到着 15時半 雨 すれ違ったお遍路さん 人 宿屋 坂出 坂出簡保センター 泊まりのお遍路 10人
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7:30 雨。ポンチョを羽織る。 |
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![]() ![]() 讃岐国分寺のあったところ。空海の生きていた時代の讃岐中心地。 |
![]() ![]() ![]() 遍路転がしの坂道。山の正面をつづら折りで、上がる道。 |
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県道180号から白峯寺への山の遍路道に入る。 機関銃の音が聞こえる。県道180号の南側は自衛隊。 雨がひどくなってきた頃、相模原の菅原さんちとすれ違う。 坂出簡保保養センターは、満杯のため断られた。根香寺付近の宿に向かうところという。 雨に、素直に対応して、自分のペースで歩く姿は、きれいだ。 私も、きれいに見えるかなと思った。 |
![]() ![]() 山門と本堂。 |
![]() ![]() 豊川の間瀬さんと会う。これからお参りするという。 同じ宿という。 |
![]() ![]() 後の天皇が、たたりを恐れて、建てたという。 |
![]() 崇徳上皇歌碑。 思ひやれ都はるかに沖つ風 立ちへだてたる心細さを 崇徳院 西行(歌碑があったように思うが、見つからなかった)。 よしや君 昔の玉の床とても かからん後は何にかはせん 西行 |
![]() ![]() この前は、菊一輪供えてあった。 |
![]() 源頼朝が崇徳天皇の菩提のために建立したという。 |
15:30 坂出簡保保養センターに泊まる。 洗濯繁盛。3台フル稼働。遍路達がたくさん泊まっていた。 遍路専用の安いコースを選んだ。食事に不足はなかった。 坂出簡保保養センター泊。 間瀬さんとの同宿は、ここが最後となった。 |
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e 第54日目 2008/11/25 (火) 経路 坂出簡保センター−82番・根香寺−別格19番・香西寺−83番・一宮寺−栗林公園−ホテルパルコ 歩き距離 48.1千歩 31.3km 地図上距離 25.2km 出発 8時 到着 16時半 晴れ すれ違ったお遍路さん 人 宿屋 栗林公園 ホテルパルコ 泊まりのお遍路 1人
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![]() ![]() 雨の後で、少し滑る。 |
![]() 国分寺、根香寺、白峯寺の合流点。 昔の遍路道は、白峯寺から根香寺を打ち、十九丁戻って、国分寺へ降りたという。 |
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![]() ![]() ![]() 写真撮りの人多し。 |
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![]() ![]() 別格への道で、険しく、手入れが多少悪い。 高松方面の眺め。 |
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![]() 舗装道に出てから道に迷う。相当、北に出てしまった。 |
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相模原の菅原さんちに追いついた。 道を間違え、香西寺に降りてしまったという。 相模原の菅原さんちの名前を聞いていなっかたので、歩きながら、ようやく聞きだした。 今日の泊は、一宮寺近くの温泉という。 私は、高松市内のため、道を急いだ。 ここでの別れが最後だった。 |
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![]() ![]() この後、栗林公園付近の宿まで、歩きでがあった。 |
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16:30 ビジネスホテルに泊まる。 洗濯はしなかった。 大分、寒くなり、汗のかきようが、少なくなった ので、1日の洗濯のサボりは何とかなるようになった。 |
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f 第55日目 2008/11/26 (水) 経路 ホテルパルコ−瓦町潟元電車−84番・屋島寺−番外・洲崎寺−85番・八栗寺−86番・志度寺−番外・玉泉寺−87番・長尾寺− 民宿長尾路 歩き距離 39.6千歩 25,7km 地図上距離 27.3km 出発 7時 到着 15時 晴れ すれ違ったお遍路さん 人 宿屋 長尾 民宿長尾路 泊まりのお遍路 7人
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7:00 宿出発。 朝食はパンと牛乳。 |
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![]() 道に足跡を残さなかった距離 約5km。 |
![]() 加持水。 |
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![]() ![]() 仁王門と山門。 |
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![]() 謡曲「海士(あま)」に出てくる玉。 藤原氏の大切な宝物で、房前(ふさざき)の大臣の母が、海に潜り、竜宮から持ち帰ったという。 |
![]() 源平合戦の時、血の付いた刀を洗ったという。 |
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![]() 急坂で、荒れていた。 |
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![]() 佐藤継信を射落とした平教経の家来、菊王丸は、継信の首を取ろうとして殺された。 |
![]() 義経が、弓を落としてしまった場所。昔は、海の中。 |
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![]() 米倉の堀があった。 倉の用心のための灯籠。 |
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![]() ![]() そのかみの おもひでの 海は濁りて 三頭火 石鎚山奉献灯籠。 |
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![]() 房前大臣の母は、海士だった。 |
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![]() 盆に来て海士をとむらふ心あり 年尾 |
![]() 高松に城を築き、 現在の高松市の繁栄の基礎を作った人。 |
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15:00 長尾泊。 洗濯したが、排水が床一杯にあふれてしまった。洗濯機の排水ホースが外れていた。 夕食時、声を掛けられた。11番藤井寺で一緒だった、東京の学生、川崎君だった。 途中、2回東京に帰ったが、引き返して、ここまで来たという。珍しい出会いとなった。 埼玉の服部さんとも一緒。 |
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g 第56日目 2008/11/27 (木) 経路 民宿長尾路−さぬき温泉 歩き距離 44.7千歩 29.1km 地図上距離 22.5km 出発 7時 到着 15時半 曇り すれ違ったお遍路さん 人 宿屋 塩江 さぬき温泉 泊まりのお遍路 1人
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7:00 皆さん、最後のお寺に向かった、元気がいい。 県道3号遍路道を行く。 |
![]() ![]() 釈迦堂。 |
![]() ![]() ![]() 高地蔵。 馬の墓。 遍路道に、昔からの遍路達の足跡がたくさん残っている。 |
8:30 前山へんろ交流サロンで休憩。 遍路大使任命書を貰う。歩き遍路で結願の人に発行しているという。 東京の川崎君が写真を撮ろうという。今回の遍路で、私自身を撮った初めての写真。後、送ってくれるという。 私は別格に行くので、ここでお別れ。 女体山ルート80%、国道、県道ルート20%、相草(あいくさ)ルート(昔からの遍路道)は少々だそうだ。私は、その少々を行く。 |
![]() ![]() 新しい道、花折山(はなおりやま)遍路道を行く。 大変、急坂の整備不十分な道だった。
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![]() ![]() 相草(あいくさ)東峠(東花折峠とも)。標高410m。 七十丁の地蔵(大窪寺まで七十丁)。 |
喜んで死んでいった人、無念に思い死んだ人、など、たくさんの人が通った後が、石碑、墓などで残っている。合掌しようという気になる。 このような気分になれることが、たくさんの遍路がかよった四国遍路のいい所かもしれない。 |
![]() ![]() 六十五丁石。
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相草で、県道3号に出た。 車で巡回中のさぬき市職員に捕まり、遍路設備について意見を求められた。 便所と休憩所をもっとたくさん設けて、花折山遍路道をもう少し歩きやすくして、と要望。 助光(すけこう)で、大窪寺への遍路道と別れ、国道377号で、南下。 多和(たわ)で、道を間違えた。しかも、30分以上歩いてしまった。 民家に飛び込んで、道の確認をした。お婆さんに、とんでもない間違いをしたもんだ、と怒られた。お礼を言って、引き返した。 地図を見て、標識を見て、道を選んだが、間違えた。間違えた理由は、自分でも理解出来なかった。 |
![]() 第3番金泉寺にも、弁慶の力石があった。 |
![]() 動物注意の標識が多い。猪が多いようだ。山道に入ると、猪用の罠が仕掛けてあるから注意してと表示あり。 道を間違えたことで、昼食を忘れていた。 コンビニのむすびを立ち食いする。うまかった。 |
![]() 立派な建物だ。宿泊代7875円。宿泊依頼時、確認済み。 |
今回利用した、ホテル、公共の宿、旅館など、遍路用の部屋、宿泊料を設定してあるようだった。 一般の遍路宿は、1泊2食、5500〜6500円が、ほとんどだった。 相部屋の打診はあったが1軒を除き、相部屋はなかった。夫婦または、1人で、宿を営んでいるので、多人数は無理ということらしい。 |
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