a 第57日目 2008/11/28 (金) 経路 さぬき温泉−別格20番・大瀧寺−さぬき温泉 歩き距離 35.4千歩 23km 地図上距離 20.0km 出発 7時半 到着 14時 雨曇り すれ違ったお遍路さん 人 宿屋 塩江 さぬき温泉 泊まりのお遍路 1人
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7:30 無理を言って、朝食、7時。昼弁当を頼む。 雨。セーターを持って、ポンチョを羽織り、出発。荷物は、最小限に。 |
8:10 県道106号、遍路道を行く。 車1台が通れる道。急な坂道の連続。 |
9:00 ここから、つづら折りの坂道。標高490m。 ここまで南に向かってきたが、ここから北側の斜面のつづら折りを登る。 |
9:50 六角堂(若者つどいの家)。標高830m。 戸は、私が開けた。 |
10:10 六角堂から大滝寺までは、割と平坦な道。 寒い。 |
10:20 別格20番大滝寺(おおたきじ)お参り。標高910m。 豊川の間瀬さんが登ってくる予想もあったので、しばらく待ったが、極めて寒い。 セーターを着て、寒さ除けにポンチョ。 宿に頼み込んで、作ってもらった弁当を食った。早い昼食。 店は1つもなし。水場もなし。民家は、つづら折りの坂道付近に数軒のみ。 |
11:10 この1時間に、お参りは、車の1人のみ。 大工が、本坊の建て替え中で、1人作業していた。坊さんは、私の相手をして直ぐ奥に引っ込んだ。 あまりに寒い。雨が、時々、横なぶりに降る。風が強い。帰ることにした。 道を引き返す。上り下りとも、車には会わず。 大滝寺は、国道193号の方から登るようだ。以前、私も国道から登ったと思う。 後で聞いたが、間瀬さんは、前日に、大窪寺を打ち、今朝、国道193号から、車道を上り、12時頃大滝寺お参り。塩江の温泉は、1本西側の温泉に降りたという。翌日、高松に出て、帰宅したという。 |
14:00 宿到着。 洗濯する。 難所を克服。ビールを飲む。明日は、ゆっくり出発。朝食は、宿の食事時間、8時とした。 |
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b 第58日目 2008/11/29 (土) 経路 さぬき温泉−88番・大窪寺−大窪寺高速志度コミュニティバス−高速志度徳島高速バス−Hフォーシーズン 歩き距離 27.7千歩 18km 地図上距離 15.3km 出発 8時半 到着 17時 晴れ すれ違ったお遍路さん 人 宿屋 徳島 Hフォーシーズン 泊まりのお遍路 1人
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8:30 朝食を取り、宿出発。国道193号を戻る。 |
11:00 県道3号に入り、弁慶の力石の近くの力石橋を渡る。 竹屋敷(たけやしき)を通って、国道377号へ。 遍路には、1人も会わなかった。 土地のお婆さんから、激励される。遍路はなかなか通らないと言う。 |
11:30 竹屋敷の旅館。標高340m。 |
12:00 第88番大窪寺(おおくぼじ)お参り。標高455m。 左 西の仁王門。 右 南の二天門。 |
大師堂。 |
本堂。 大窪寺の紅葉。 |
予約した宿に行った所、1時半にバスが出る。 それに乗れば今日中に徳島に出られる。是非そうしろ、という。 宿泊をキャンセルした。赤飯を食い損ねた。まあ、いいか。 バスに乗ることとした。バスは、さぬき市のコミュニティーバス。遍路3人。志度高速までは、我のみ。2人はJR志度駅へ。 徳島の宿は、ビジネスホテルが取れた。 |
14:30 高松高速道路。 志度高速から徳島まで、高速バスに乗る。 今回は、1番霊山寺へのお礼参りはしないことにした。 |
16:30 徳島駅前。 明後日の大阪難波までの高速バスの切符を買う。 明日は日曜日。 鳴門、大塚美術館(月曜日休み)のバスを調べた。鳴門の渦、小宰相局の墓へも行こう。 |
17:00 泊まるビジネスホテルに、使えるパソコンがあったが、もう、使う気がしなかった。 夕食は、外食。朝は、7時からホテルにて。 あと、高野山のみ。久しぶりの開放感あり、のびのびとする。年のせいかな!!! |
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c 第59日目 2008/11/30 (日) 経路 Hフォーシーズン−休日 大塚美術館 小宰相の局墓 紀貫之の歌碑−Hフォーシーズン 歩き距離 18.4千歩 12km 地図上距離 12km 出発 9時 到着 17時 晴れ すれ違ったお遍路さん 人 宿屋 徳島 Hフォーシーズン 泊まりのお遍路 1人
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9:00 7時にホテルの朝食して、ゆっくりの出発。 リュックは置いて、出る。 |
9:10 バスに乗る。 徳島駅前〜鳴門〜大塚国際美術館 約1時間。 途中、土佐泊(とさとまり)バス停を確認する。 |
10:30 大塚国際美術館の名画を見学。 入館料 3150円。 陶板原寸大1000余点の名画展示。 古代 中世 ルネサンス バロック 近代 現代の名画。 床面積 延べ3万平米。 |
大塚国際美術館の名画。 |
モネの大睡蓮。 案内係 よく、喋ってくれた。 |
12:30 昼食。 |
13:00 大鳴門橋と渦潮。 大鳴門橋には、渦見物用の歩道橋があったが、足下の海面が見えてしまい、怖くなって、途中で、引き替えした。 若い時には、高さ100mの鉄塔に登ったことがあったのに、最近は、高度恐怖症になってしまった。 |
うずの詩。 渡りかけて鷹舞ふ阿波の鳴門かな 正岡子規 疑はず今大海はかたむけり鳴門のしほを越す船を見よ 与謝野晶子 |
土佐泊は、昔からの良港だった。紀貫之も土佐への行き帰りに立ち寄っている。小宰相局の墓がある。 1時間に1本のバスに乗り遅れたが、土佐泊へ。 大塚国際美術館〜土佐泊(とさとまり)間を、バスで移動。鳴門へは、渡船利用のつもり。 |
14:30 小宰相局(こさいしょうのつぼね)の墓。 小宰相局は、夫平通盛(みちもり)の戦死を聞いて、ここ、土佐泊で、入水したという。 |
土佐泊の港。 |
14:40 潮明寺(ちょうめいじ)お参り。真言宗。 |
境内に、紀貫之の歌碑。 土佐から京に戻る時、土佐泊に寄港。土佐と似た地名に感動し、土佐国司として在任した四年間を懐かしく思う気持ちを歌にしたという。 東(と)し古路越(ころを)住し所乃(の)な爾(に)し於はは、きよる波をもあは礼(れ)とぞ見る 年ころを住みし所の名にしおへはきよる波をもあわれとぞ見る |
15:00 土佐泊〜鳴門間の渡船。 無料。30分に1本。朝夕は増便あり。 土佐泊の人達が、鳴門に買い物に行くんだそうだ。 |
17:00 鳴門駅まで歩き、列車に乗り、徳島に戻った。 夕食は、駅前の地下で、うまそうな物を買う。 9時まで、テレビを見ながら、食事。 |
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d 第60日目 2008/12/01 (月) 次の日へ 前の日へ 経路 BHフクシマ−徳島難波高速バス−南海特急−高野山・金剛峯寺−高野山奥の院−南海急行−近鉄特急−帰宅 歩き距離 17.8千歩 11.6km 地図上距離 10km 出発 6時 到着 20時 雨 すれ違ったお遍路さん 人 宿屋
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6:00 6時半の高速バスに乗るため、朝食なしで宿を出た。 9時に大阪難波到着。 11時、高野山到着。 |
11: 30 奥の院前で、バスを降りる。 |
奥之院 中の橋〜御廟橋(みみょうのはし)手前。 芭蕉句碑。 父母のしきりにこいし雉子の声 |
奥之院 中の橋〜御廟橋手前。 高浜年尾句碑。 一水の緑陰に入るところかな 年尾。 |
11:40 御廟橋から奥の院、御廟(ごびょう)。 奥の院は工事中だった。 |
12:00 御供所(ごくうしょ)。 仲の良いアベックがいた。 御供所の写真は意識しないで撮ったが、右は、意識して撮った。 |
奥之院 中の橋〜御廟橋手前。 高浜虚子句碑。 炎天の空美しや高野山 虚子。 |
与謝野晶子歌碑。 やははだのあつき血潮にふれもみでさびしからずや道を説く君 与謝野晶子。 |
多田満仲(ただみつなか)墓所。 平安時代の源氏の武将。謡曲「仲光」のツレ。 曽我兄弟供養塔。 |
14:00 金剛峯寺(こんごうぶじ)お参り。 |
南海電鉄の急行で難波へ。近鉄で名古屋へ。 20:00 帰宅。 怪我なく、病気せず、歩いて、108寺のお参りが出来ました。四国の皆さん、遍路の皆さん、その他のみなさん、お世話頂きありがとうございました。 明日から、普通の生活の戻ります。 |
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