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 a 第29日目 2009/11/1 (日) 経路 −小浜(鉄道)−東小浜(レンタサイクル)−神宮寺、明通寺−東小浜(鉄道)−小浜− 山川登美子記念館−小浜市泊− 歩き距離 15千歩 9.8km 地図上距離 0km 出発 7時半 到着 15時 晴れのち雨 すれ違ったお遍路さん 0人 宿屋 ビジネスホテルれんが亭 泊まりのお遍路 0人 
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	 今日1日、休日。 お水取りの神事がある(小浜のお寺は、お水送り)が、そのお寺を尋ねた。バスなど無いので、レンターサイクルを使う。 山川登美子の生まれ故郷とのこと。記念館があるので見に行くことにした。 JR小浜駅〜JR東小浜駅 電車使用。  | 
  
	![]()   7:40 JR小浜駅。JR東小浜駅。レンターサイクルを借りた。  | 
  
	
	  8:50 県道23号線 小浜朽木高島
	(おばまくちきたかはま)線。明通寺への道。ずっと登り道。  | 
  
	
	  茅葺きの民家。 | 
  
	
	  9:00 真言宗 桐山明通寺
	(きりやまみょうつうじ)。坂上田村麻呂の創建という。お参り。 山門。  | 
  
	
	![]()   本堂。国宝 鎌倉時代中期単層入母屋造 桧皮葺 飾りや装飾が少なく簡素。骨組みはがっしりと力強い。桧皮葺の屋根は美しい。荘重でたくましい建物。  | 
  
	
	  三重塔。国宝 鎌倉時代中期。  | 
  
	
	  客殿。 | 
  
	
	  9:40
	 明通寺から神宮寺へ抜ける、松永トンネル。借りた自転車です。  | 
  
	
	  10:00
	 お水送りの寺。天台宗 若狭神宮寺(わかさじんぐうじ)。 お参り。 本堂。しめ縄あり。  | 
  
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	 本堂は1533年朝倉義景の再建による。入母屋、檜皮葺である。 本堂内陣は神仏混淆で左に薬師如来などの仏像が、右には白石鵜之瀬明神や和加佐彦比古(わかさひこ)・和加佐比女(わかさひめ)大神などの神々が祭られている。 古来の神祇信仰と大陸伝来の仏教信仰が融和した姿である。 また、説明書に、 若狭は朝鮮語ワカソ(往き来)が訛って宛字した地名。奈良も朝鮮語ナラ(都)が訛って宛字されている。 この地方が若狭の中心で白鳳以前からひらけ、この谷は上陸した半島文化が大和(朝鮮語でナラともいう)へ運ばれた、最も近い道でした。 対馬海流にのってきて着岸した若狭浦の古津から国府のある遠敷(おにふ=朝鮮語ウォンフ−「遠くにやる」が訛った)や根来(ねごり=朝鮮語ネ、コ−リ「汝の古里」が訛った)と京都や奈良が百キロほどの直線上にある。 この地方を拓き国造りした祖先が、遠敷明神(若狭彦命)。 その発祥地が根来の白石で、都へ近道の起点に良地をえらび、遠敷明神の直孫和朝臣赤麿講(読めません)が八世紀初め山岳信仰で、紀元前銅鐸をもった先住のナガ族の王を金鈴に表し地主の長尾明神として山上に祭り、その下に神願寺を創建され、翌年勅願寺となった。 紀元一世紀頃、唐服を着て白馬に乗り影向しすでに根来白石(ねごりしらいし)に祀られていた遠敷明神を、神願寺に迎え神仏両道の道場にした。 これが若狭神願寺の起源で鎌倉時代初め若狭彦神社の別当寺となって神宮寺と改称した。とあり。 この辺りの地名は、すべて朝鮮語という。  | 
  
	
	  「御茶所」 の看板あり。 | 
  
	
	![]() 境内の句碑 鷲や鳶羽撓ませて青嵐 阿波野青畝  | 
  
	
	![]() ![]()   本堂の脇にある閼伽井戸(あかいど)。境内に湧いた湧水。 奈良東大寺二月堂へ、この水を送る(3月2日)。  | 
  
	
	![]()   樹齢500年の椎の木(スダジイ) | 
  
	
	  10:50
	 若狭彦(わかさひこ)神社上社(若狭彦神社)。お参り。  | 
  
	
	![]()   萬徳寺。戸が閉まっていた。  | 
  
	
	![]() ![]()   11:10
	 若狭彦神社下社(若狭姫(わかさひめ)神社)。お参り。 これら2社は神宮寺と一体だった。  | 
  
	
	![]()   能舞台。千年杉。 遠敷(おにゅう)の千年杉といわれている。  | 
  
	
	  11:50
	 若狭国分寺跡。 | 
  
	
	![]()   若狭歴史民族資料館。若狭の里公園。  | 
  
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	 みほとけの里 国宝巡りバス 東小浜駅から。 4/6〜11/30 日祝日 9:56〜16:36まで10便。 1日フリー 500円。 問い合わせ先 若狭おばま観光協会 0770−52−2082 の看板があったが、今日は動いていない。 雨降り出す。駅舎では、何人か昼弁当を食べていた。私は、国道27号線、鯖街道筋で食べた。  | 
  
	
	  13:20
	 杉田玄白の像。杉田玄白は、江戸の小浜藩邸で生まれ、ここ小浜で育ったという。  | 
  
	
	![]()   13:30
	 山川登美子記念館。小浜で生まれ育った。女学校の頃から、与謝野鉄幹、晶子らと短歌を作った。「明星」を生きた薄命の歌人。 結婚を機に短歌を離れたが、夫に死なれた後、日本女子大に学び、歌に精進。 病を得て、30歳で亡くなる。  | 
  
	
	  辞世の歌。父君に召されていなむとこしへの春あたたかき蓬莱のしま 山川登美子  | 
  
| 15:00 雨の日曜日。宿に入る。 | 
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 b 第30日目 2009/11/2 (月) 経路 −小浜(バス)−今津(鉄道)−近江八幡(バス)−長命寺−31番・長命寺−長命寺(バス)− 近江八幡−近江八幡泊− 歩き距離 11.6千歩 7.5km 地図上距離 46km 出発 7時 到着 16時半 曇りのち晴れ すれ違ったお遍路さん 1人 宿屋 近江八幡ステーションホテル 泊まりのお遍路 0人 
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	 8:30 宿を出る。 小浜〜近江今津 バス使用。 9:00発 近江今津行き JRバスに乗る。京都に出るのに、1番早いという。敦賀に出ずに、山越えの道。 鯖街道を歩く予定をバスに変えた。  | 
  
	
	  10:10
	 JR近江今津駅。 | 
  
	
	![]()   10:20
	 竹生島観光船のりば。風が強くて、1番船が客を下ろさずに帰ってきた。2番船は欠航。 午後の便は、不明という。 待つことにした。  | 
  
	
	  琵琶湖と竹生島。 | 
  
	
	![]() ![]()   
	今津の町並み。今津桟橋と今津港。 竹生島に行くという、大阪のご婦人と仲良くなる。 昼食は蕎麦。  | 
  
	
	  琵琶湖周航の歌資料館。月曜日は休館日でした。舟は、終日欠航と決まった。 長命寺に行くことにした。 JR近江今津駅〜JR近江八幡駅 電車使用。大阪のご婦人と山科まで一緒し、お別れ。  | 
  
	
	  13:50
	 JR近江八幡駅。JR近江八幡駅〜長命寺 バス使用。  | 
  
	
	  14:30
	 第三十一番 天台宗 姨綺耶山長命寺(いきやさんちょうめいじ)千手十一面正観世音三尊一体 お参り。  | 
  
	
	![]()   808段の階段。30分で登る。  | 
  
	
	  簡素な山門。 | 
  
	
	  15:00 階段の上が、本堂の正面。
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	![]()   三仏堂。護法権現社拝殿。  | 
  
	
	![]()   三重塔。鐘楼。  | 
  
	
	![]() 帰りは、車道を下った。 途中、眞静院(しんせいいん)あり。宿坊があるという。  | 
  
	
	  長命寺前の町並み。 | 
  
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	 16:00 長命寺〜JR近江八幡駅 バス使用。 近江八幡駅に戻り、たねや本店で、「栗まんじゅう」を買い、家へ送った。 駅前に泊まる。  | 
  
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	 c 第31日目 2009/11/3 (火) 経路 −近江八幡(鉄道)−安土−桑実寺−32番・観音正寺−五個荘(バス)−能登川(鉄道)−長浜(船)− 竹生島−30番・宝厳寺−竹生島(船)−長浜(鉄道)−大垣−大垣泊− 歩き距離 21.1千歩 13.7km 地図上距離 80km 出発 7時 到着 18時 曇りのち晴れ すれ違ったお遍路さん 0人 宿屋 大垣アパホテル 泊まりのお遍路 0人 
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	 8:10 観音正寺から竹生島に向かう。今日中に帰れなかったら、長浜泊まりのつもりで出発。 JR近江八幡駅〜JR安土駅 電車使用。  | 
  
	
	  8:50
	 JR安土駅。休日は、観音正寺まで行くバスがあるらしい。 安土城址を左に見て、巡礼道を行く。  | 
  
	
	![]()   9:20
	 桑実寺(くわのみでら)の参道。道標。右 安土城址 左 桑実寺、観音寺城址。 
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	  桑実寺参道。 | 
  
	
	![]() ![]()   総門。 | 
  
	
	  9:50
	 天台宗 繖山桑実寺(きぬがさくわのみでら)薬師如来 お参り。 白鳳時代創建。二院十六坊があったという。 本堂。標高250m。  | 
  
	
	  境内から尾根沿いの参道の道標。 | 
  
	
	![]()   平悪七衛門景清(たいらのかくしちびょうえかげきよ)の背くらべ石。景清は、しころ引きで有名な力自慢だが、目を患った。 この桑実寺に日参したという。名古屋にも、景清社があり、目の神様。 鎮守三社 スサノオの命 大黒天 スサノオの妃  | 
  
	
	  大師堂。織田信長が創ったという。  | 
  
	
	![]() ![]()   観音正寺への参道。 | 
  
	
	![]() ![]()   10:40 
	 第三十二番 天台宗 繖山観音正寺(きぬがさやまかんのんしょうじ)千手千眼観世音菩薩 お参り。  | 
  
	
	![]()   何年か前に、焼けたが、立派に再建されていた。観音正寺の境内。  | 
  
	
	  西国三十三所巡礼 38ヶ度。四国八十八ヶ所遍路 38ヶ度。 の巡礼功徳(くどく)石あり。 33回回ると、三十三度行者といわれる。  | 
  
	
	![]() ![]() 観音正寺から五個荘町に下りる道を間違え、車道を下りてしまった。その途中、石碑二個見つける。 きぬがさ 聡明の里の石碑。 四ツ辻跡の石碑。  | 
  
	
	![]()   12:20
	 五個荘町の、てんびんの里 いきいき館。売店。 五個荘町〜JR能登川駅 バス使用。  | 
  
	
	  13:00
	 JR能登川駅。JR能登川駅〜JR長浜駅 電車使用。 竹生島渡船は、最終便に間に合った。今日の泊まりを大垣に決め、予約。  | 
  
	
	![]()   14:00
	 琵琶湖。船の中。風は静か。 昨日、欠航になった時、割引券を貰ってあり、使用。  | 
  
![]() ![]()   竹生島と桟橋。竹生島上陸地点。 発電用ジーゼルエンジンの響く店並み。 
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	  14:30 
	 第三十番 真言宗 竹生島宝願寺(ちくぶしまほうごんじ)千手千眼観世音菩薩 お参り。 本堂(弁財天堂)。  | 
  
![]()   西国三十番札所 宝願寺観音堂。観世音奉安殿。  | 
  
  三重塔。 | 
  
  竹生島神社。 | 
  
![]() ![]() 石造五重塔。 モチの木。  | 
  
  龍神拝所。かわらけ投げ。鳥居に向かって投げる。  | 
  
![]()   参道からの眺め。下から、観音堂を眺める。 
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![]()   琵琶湖八景 「深緑」竹生島の沈影 の石碑。竹生島流棒術発祥地の石碑。  | 
  
![]() 琵琶湖周航の歌 歌碑。 観光渡船の最終便に乗る。  | 
  
  16:10
 長浜城。竹生島から帰りの単身赴任中のサラリーマンと一緒になり、話しながら歩いた。 西国巡礼を知らなかった。やってみたいような口ぶりでした。  | 
  
	
	  ここの土地の名は、伊右衛門屋敷。伊右衛門は、山内一豊のこと。ここに屋敷があったという。 夫婦仲のよかった一豊夫婦像。  | 
  
	
	  JR長浜駅。JR長浜駅〜JR大垣駅 電車使用。 乗り継ぎが、今日は、大変によかった。 大垣まで来られた。  | 
  
| 18:00 大垣駅前に泊まる。 | 
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	 d 第32日目 2009/11/4 (水) 経路 −大垣(鉄道)−赤坂−33番・華厳寺−谷汲(バス)−谷汲口(鉄道)−大垣(鉄道)−岡崎−自宅− 歩き距離 32.3千歩 21km 地図上距離 20km 出発 7時 到着 20時 晴れ すれ違ったお遍路さん 0人 宿屋 泊まりのお遍路 人 
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	![]()   8:10
	 大垣駅3番線。JR美濃赤坂駅。JR美濃赤坂行きのホーム。 JR大垣駅〜JR美濃赤坂 電車使用。  | 
  
	
	  
	8:40  中山道から北へ、巡礼道を行く。左 谷汲山の石碑。  | 
  
	
	  
	赤坂の民話大蛇に追われた虚空蔵さま。 修行中の虚空蔵様が、大蛇になった娘に追いかけられる話があるだそうだ。  | 
  
	![]()   9:40 定渡し路導石。谷汲路の事 是よりさき‥‥定渡しふね御座候」 乳くれ地蔵。6地蔵を祭る。  | 
  
  10:40
 揖斐川の三町大橋。 | 
  
	  古い道標。2本。「従是谷汲道」  | 
  
	
	  11:50 この奥に、東光禅寺。昼食の結びを食べていると、お百姓がちょっかいを掛けてきた。 西国巡礼のことだった。久しぶりに巡礼に関心を示す人に会った。 
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  自性院
(じしょういん)。お参り。 | 
  
![]()   12:10
 揖斐川町と谷汲村の境、小野坂トンネル。 | 
  
  13:10
 谷汲山参道。 | 
  
  13:10 
 第三十三番 天台宗 谷汲山華厳寺(たにぐみさんけごんじ)十一面観世音菩薩 お参り。 仁王門。  | 
  
![]()   本堂。西国三十三番の結願札所として花山法皇が詠まれた御製三首の御詠歌にちなんで三つ御朱印。 三つの御朱印とは本堂(観音堂)・満願 (まんがん)堂、笈摺(おいずる)堂を指し、それぞれ現在・過去・未来を意味する。 満願堂、笈摺堂は行かなかった。  | 
  
  鐘楼。谷汲山〜樽見鉄道谷汲口駅 バス使用。客1人。  | 
  
  15:10
 樽見鉄道谷汲口駅。樽見鉄道谷汲口駅〜JR大垣駅 列車使用。 JR大垣駅〜JR岐阜駅 電車使用。  | 
  
  16:20
 JR岐阜駅。名鉄岐阜駅〜名鉄東岡崎駅 電車使用。  | 
  
| 18:30 自宅到着。 | 
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	 e 第33日目 2009/11/5 (木) 経路 −休日−キップ手配他− 歩き距離 千歩 km 地図上距離 km 出発 6時 到着 16時 曇り すれ違ったお遍路さん 人 宿屋 泊まりのお遍路 人 
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|  歩いていない熊野古道を歩く気になった。天気も良さそうなので、切符を購入。 荷物は解かず、明日は熊野へ。  | 
  
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 f 第34日目 2009/11/6 (金) 経路 −自宅−名古屋駅(鉄道)−新宮駅−那智速玉大社−佐藤春夫記念館−神倉神社−新宮(バス)−神丸−熊野川温泉泊− 歩き距離 9.4千歩 6.1km 地図上距離 0km 出発 6時 到着 15時 晴れ すれ違ったお遍路さん 0人 宿屋 熊野川温泉さつき 泊まりのお遍路 0人 
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	 JR紀勢線南紀1号で、那智へ。 自由席に、ゆっくりと座れた。 先回は、鈴鹿サーキットの催しと重なり、さんざんだった。  | 
  
	
	![]()   11:20 JR新宮駅。早めの昼食して、熊野速玉大社へ。  | 
  
	
	![]()   12:10 熊野速玉大社 お参り。 | 
  
	
	  神門。 | 
  
	
	![]() ![]()   拝殿。速玉宮 上三殿 中四社 下四社  | 
  
	
	  なぎの老樹。千早振る熊野の宮のなぎの葉を変わらぬ千代のためしにぞ折る 定家  | 
  
	
	![]() ![]() 歌碑。 熊野へ参るには紀路と伊勢路のどれ近しどれ遠し広大慈悲の道なれば紀路も伊勢路も遠からず 梁塵秘抄 熊野御幸の碑。 23人 141度。 最多 後白河上皇 33度。  | 
  
	
	  
	境内に、 佐藤春夫 句碑。秋晴れよ丹鶴(たんかく)城址児に見せむ 春夫  | 
  
	
	  12:30 佐藤春夫記念館 見学。熊野速玉大社の隣に。 東京の旧宅を移築復元した。  | 
  
	
	![]() ![]()   展示の作品。 | 
  
	
	![]()   応接間。昭和39年5月6日、この部屋で、ラジオ番組「一週間自叙伝」の録音中、「さいわいに…」の言葉を最後に倒れ、不帰の人になったという。  | 
  
	
	  2階の書斎。憧れる場所にある書斎でした。 
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	![]()   谷崎潤一郎、佐藤春夫、千代夫人の離婚挨拶状。佐藤春夫と家族。 潤一郎の娘、長男と夫人。  | 
  
	
	  一牀書屋(いちじょうしょおく)わずかな本のみしかない書斎の意味と説明あり。  | 
  
	
	![]()   13:00 神倉神社 お参り。急な石段。途中まで上がったが、怖くなり、本殿まで行けなかった。 転んだら、5,6m転げ落ちる。  | 
  
	
	![]() ![]() 天磐盾(あまのいわたて) くまのみわのむらにいたりあまのいわたてにのぼりて 歌碑。 見せてやりたい神倉山のお燈(おとう)まつりの男意気 野口雨情  | 
  
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	 14:00 新宮駅に戻り、14:25発のバスに乗る。神丸バス停で下り、熊野川温泉の宿に向かう。 15:00 宿に到着。  | 
  
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 g 第35日目 2009/11/7 (土) 経路 −熊野川温泉(車)−小和瀬−椎の木茶屋−桜茶屋−桜峠460m−石堂茶屋−賽の河原地蔵−請川−熊野本宮大社−熊野本宮大社旧社地−熊野本宮館−瑞風殿−桂珍念落語を楽しむ会−熊野本宮大社瑞風殿泊− 歩き距離 30.8千歩 20km 地図上距離 18km 出発 7時半 到着 15時 くもりのち晴れ すれ違ったお遍路さん 7人 宿屋 瑞風殿 泊まりのお遍路 0人 
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	 7:00 朝食。 小雲取越(こぐもとりごえ)の登り口、小和瀬(こわぜ)まで送ってもらう。  | 
  
	
	![]()   7:30
	 小和瀬休憩所。ここに渡船場があった。昭和29年、吊り橋が出来るまで、渡船だった。 荷物は、私の荷物。7kgほどです。 小雲取越は、請川(うけがわ)まで。4時間、14km。大雲取越(おおくもとりごえ)は、那智大社まで、6時間、18km。  | 
  
	
	![]()   山道の登り口。 | 
  
	
	![]()   古道。 | 
  
	
	  8:00
	 熊野川町の道標。500m毎にあり。本宮町、中辺路(なかへち)町にもあり。
 
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	![]()   尾切
	(おぎり)地蔵。 | 
  
	
	![]() 句碑。 男手に牡丹餅にぎり山祭り 平松いとど  | 
  
	
	![]() ![]()   霧の晴れない古道。 | 
  
	
	![]() 歌碑。 かかなべて待つらむ母に眞熊野の羊歯のほ長を箸にきろかも 長塚節  | 
  
	
	![]()   小雲取のぼりて来ればかるかやに光和みて山つたふ風  杉浦勝 | 
  
	
	  雲海の古道。 | 
  
	
	  9:00
	 桜茶屋(さくらじゃや)跡。 | 
  
	
	![]() 句碑。 どちらへも遠き山路やおそ桜 涼莵 岩田涼莵(りょうと) 江戸時代の俳人。 
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	![]() ![]() 歌碑。 まさびしきものとぞ思ふたたなづく青山のまの川原を見れば 斎藤茂吉 歩まねば供養ならずとなき母がのたまいてるし雲取に来ぬ 嶋正  | 
  
	
	![]()   桜峠 標高460m。 | 
  
	
	  9:50
	 石堂(いしどう)茶屋跡。 | 
  
	
	  古道。 | 
  
	
	  賽
	(さい)の河原地蔵。 | 
  
	
	![]() ![]()   林道との交差。皇太子行啓の地の石碑。  | 
  
	
	![]()   10:40
	 百間(ひゃっけん)ぐら。標高450m。2人連れとすれすれ違う。 1人で頑張っているねー(よく1人で来るなー、の響きあり)とのことでした。  | 
  
	
	![]()   古道。 | 
  
	
	  11:10
	 松畑(まつはた)茶屋跡。食事中の5人組と会う。一緒に食事した。男1人、女4人。大阪の人。 小口(こぐち)に泊まり、明日、大雲取越えとのこと。  | 
  
	
	![]()   古道。 | 
  
    
	  12:30
	 ようやく、熊野川。請川(うけかわ)に下りる。  | 
  
    
	![]()   国道168号線。大峯奥駆(おおみねおくがけ)道。吉野山から熊野本宮大社まで。 
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	![]()   13:20
	 大斎原(おおゆのはら)。熊野本宮大社旧社地。 明治22年8月まで、熊野川・音無川・岩田川の3つの川の合流点にある「大斎原」と呼ばれる中洲にあった。 
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	  謡曲「巻絹(まきぎぬ)」と音無の梅の歌。熊野に巻絹奉納の男が、音無天神に詣で、梅の香に心打たれ、和歌を奉納。そのため熊野参着が遅れ、懲らしめられるが、熊野の神、音無天神に救われるというすじ。 和歌の徳をたたえ、熊野の神々の功徳を謡ったもの。 奉納した和歌 音なしに咲そめにける梅の花匂わざりせば誰か知るべき  | 
  
    
	  13:30
	 熊野本宮大社 お参り。 | 
  
    
	  拝殿。 | 
  
    
	![]() 歌碑。 はるばるとさかしき峰をわけ過ぎて音無川を今日みつるかな 後鳥羽上皇 音無川は、熊野川の支流。  | 
  
    
	![]()   瑞鳳殿(ずいほうでん) 宿坊。泊まります。珍重庵(ちんちょうあん) 食事処。今夜と明日朝の食事を作ってもらう。  | 
  
    
	   瑞鳳殿見取り図。富士1に泊まる。本宮付近見取り図。  | 
  
    
	![]()   熊野古道中辺路押印帳
	。熊野本宮大社から滝尻王子まで 18箇所押印してきた。  | 
  
    
	![]()   15:00
	 旧の本宮大社の大鳥居。旧の本宮大社は、1万1千坪の境内に五棟十二社の社殿が立ち並び、現在の8倍もの規模を誇っていたという。  | 
  
    
	![]() ![]()   世界遺産熊野本宮館。 | 
  
    
	  瑞鳳殿大広間。大広間にて、落語の会。  | 
  
    
	![]() ![]()   19:00
	 桂珍念さんの落語。大阪で活躍中。桂文珍の弟子。 木戸賃は任意。1000円箱へ。  | 
  
| 21:00 寝る。 | 
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