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- 西見寺縁起
平鏡山 西見寺(旧寺) 浜松市平田町
宗 派 曹洞宗
本
寺 宗源院
御本尊 釈迦牟尼佛
■文明12年(1480年) *一説には文明11年(1479年)と云われる
・・・・・・・・・・寅岱義建大和尚により敷地群寺島村(現寺島町)に開創、満目山西見寺と号す
■慶長 6年(1601年)
・・・・・・・・・・伊奈備前守除地高三石七斗の墨印を附せられる
■元和 2年(1616年)
・・・・・・・・・・舜公大和尚により浜松宿平田(現平田町)に移り 平鏡山と改む
■明治時代
・・・・・・・・・・玄功積英大和尚により法地開山
■昭和20年
・・・・・・・・・・戦災により諸堂焼失
■昭和36年
・・・・・・・・・・九世 大観徳志大和尚により復興
■平成 3年4月
・・・・・・・・・・十世 井上光典代に現在の西鴨江町に移転
当寺は文明12年(1480年)遠州敷地郡寺島村で満目山西見寺として開創されました。その後、山号を
平鏡山と改め、近年まで浜松宿平田(現・浜松市中区平田町)にありましたが、平成3年(1992年)春、
天平期に創建された西鴨江村(現・浜松市西区西鴨江町)の古刹・圓通山花学院(華学院とも)との合併
が整い、圓通山西見寺として新たな法灯を点じました。
圓通山の山号は耳根圓通(すべてのものに融通性をもつ)の聖者・観世音菩薩に由来します。
また寺名の西見寺は、お釈迦様のお生まれになったインドや極楽浄土があるといわれる「西」を絶えず
見ている、あるいは見る(出会う)ことができる寺といった意味合いを持っています。
〜琉球塚と寺紋「桧扇」の伝説〜
西見寺の寺紋「桧扇の紋」は、当寺にある琉球塚の伝説に由来し、桧扇は「日扇」「緋扇」と書く説もあります。
■琉球は、慶長14年(1609年)鹿児島藩主島津氏に征服されて後、島津氏参勤交代に随行して徳川将軍に謝恩使を献上品と共に送っていました。
宝永7年(1710年)徳川将軍家宣の襲職の賀使、美里王子に随行した家臣 燕姓中西筑登之が江戸に赴く途次11月2日遠州浜松宿にて死去、当時平田町にあった西見寺に埋葬されました。(墓は現存していません。)
嘉永3年(1850年)同じく江戸上りとなった謝恩使 玉川王子に随行した魏氏高嶺里之予親雲上国香が、10月22日に浜松宿にて死去し、西見寺に埋葬さました。(墓は「琉球塚」として現存しています。)
■寺紋として使用しています「桧扇子」は、この両者のいずれかに関係して、日本への途上の折、時の琉球国王又は王妃から餞別の品として賜った「唐扇子」が西見寺に収められており、以後その由緒ある「桧扇」が西見寺の寺紋として、また毎年
5月に行われる浜松まつりの平田町の凧しるしに定められたとの伝説があります。