DATA
◆費用合計
航空券(東京 - バンコク往復: 60日オープン) \73,000
タイのダブルビザ \6,000
予防注射(コレラのみ) \1,800
海外旅行保険料 \5,200
空港税(成田) \2,000
雑費(交通費、ガイドブック、薬品、写真) \10,000
旅行中に(現地で)かかった費用 \60,000
☆合計 \158,000
◆持ち物
貴重品等
パスポート、航空券、地図、ガイドブック、海外旅行保険証、会話集、筆記用具、手帳、
顔写真(5×5)、トラベラーズチェック、現金、目覚まし時計、カメラ、フィルム
自転車関係
自転車、輪行袋、工具、パンク修理セット、オイル、グリス、ウエス、針金、
ビニールテープ、ゴムロープ、ボトル、バッテリーランプ、各種スペア
衣類
下着、Tシャツ、短パン、靴下、タオル、ジャージ、トレーナー、雨具、帽子、
運動靴、サンダル、サングラス、水着
生活用品
スプーン、ナイフ、缶切り、歯ブラシ、カミソリ、石鹸、洗剤、洗濯ばさみ、裁縫用具、ライター、つめ切り、トイレットペーパー、ビニール袋、細ひも、虫除けスプレー、蚊取り線香、南京錠、ワイヤーロック
薬品
消毒薬、バンドエイド、風邪薬、正露丸、胃腸薬、ムヒ、キンカン、ビタミン剤、ガーゼ、包帯、
日焼け止め、マラリアの薬、目薬、ピュア(水の消毒薬)
まとめ&アドバイス
長い旅であった。 一言で表現すると、パニックの旅であった。
航空券の予約が取れずに初日から予定を変更するという波乱の幕開けで始まり、プーケットでは暑さのショック、宿が見つからず炎天下をさまよい、おまけにリテーナーまで破壊した。
タイ南部では猛烈な日ざしとUP攻撃。 思ったところに店がなく、仕方なく次の村を目指すことの繰り返し。
マレーシアに入ると さらに日ざしは強くなり、日本の真夏など何のその、であった。
タイピン-イポーの悪夢の一日は一生忘れない。 その他タイヤに釘が刺さる、スポークが折れるなど、わりとトラブルもあった。
しかし悪いことばかりではない。 一番うれしかったことは、シンガポールまで走り通せたことであろう。
走っていておもしろかったのはタイ南部である。
遠くまで続くUP-DOWN、真っ赤な土、太陽としんきろう、じっと見つめる沿道の人々... 自転車を止めると、この世のものかと思えるほどの暑さを感じたあの瞬間。
外国人慣れしていない村人の、初めのオドオドした態度。 しかしひと声かけると すぐに笑顔で答えてくれるあの人なつっこさ。 村中の人が集まってくる大げさな驚き様。 こんな所にも人が住んでいる、笑い声が聞こえる、そんな場面に出くわす度に、こいつらのほうが我々よりずっと幸福なのではないか、と思うのであった。 彼らは彼らなりに立派
に たくましく生きている。
まだまだ わからないことはたくさんある。 我々の持っている常識なんてものは通用しない。
その国ではその国の常識を自分で吸収していかなければならない。 それが楽しみでもある。
マレー半島にはまだ行ってみたいところがたくさんある。 (なかぽん記)
◆航空券について
格安チケットにはそれなりのリスクがある。
status欄にOKが記入されていないと日付は記入されていてもBooking Listには登録されていない。
◆旅行代理店について
運輸大臣の登録番号のある所が安心できる。 もっと安い所もあるが、こういうのは何かある。
◆人数
2人がベスト。 多くても5人以内。 それ以上だとホテルや食堂など まとまって行動しにくくなる。
◆食べ物について
何でも豪快に食ってしまう諸君については心配無用。 なまものでなければ大丈夫。
ピュア(水の消毒薬)は必需品。 薬局や旅行代理店に売っている。 食事のときに出る水も安心してがぶがぶ飲まないこと。 びん入りの水だったら間違いなし。
◆盗難について
大型の南京錠を用意してルームキーと併用すること。 電車に乗るときはバッグを必ず椅子にチェーンロックすること。 今回もチェーンロックしたとたん、後ろに座っていた二人のタイ人が立ち上がって車両を出て行くというぞっとする一幕もあった。
◆病気について
今回の予防接種はコレラのみ。 マラリアの予防薬も持っていった。 下痢は誰でもするみたい。 ただし正露丸は効かなかった。
◆その他
どんなに注意してもトラブルはあるもの。 お金や航空券など困ったときは日本大使館に行くこと。 いい案を提供してくれるはず。
◆参考資料、地図
ガイドブック: 地球の歩き方 「タイ」 「シンガポール、マレーシア」
宝島スーパーガイド 「タイ」「シンガポール、マレーシア」
地図:NASA発行の地図(東京-八重洲ブックセンター)、Apa Maps “Thailand” “Malaysia” 150万分の1
現地で買った地図
編集後記
日本に帰ってきて最初の一週間ぐらいは寒くて寒くて布団にくるまっていたり、飯がまずくて腹をこわしたりしたが、それも何とかおさまり、この記録集も やっと完成した。(1987年3月)
今回のRUNでは その日その日のことを忘れないように、毎日日記をつけていた。
これがこの記録集を作るきっかけとなったのだった。 なるべく完成度の高いものを作ろうとしたが、手間がかかったわりにはいいたいことの十分の一も書いていないような気がする。 (はたぼう記)