海外プチ冒険旅行

マレー半島縦断記 1987/2〜3月

最終更新日: 2011/03/26

大学の自転車部に所属していた私「はたぼう」は当時21歳。
同級生の「なかぽん」と マレー半島を縦断することに。行く手には様々な苦難が...

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はじめに

(この文章は1987年当時のもの ほぼそのままです)

 この「マレー半島縦断」というプランに私がのったのは、昨年の暮れも押し迫った頃であった。それまでは どこか外国へ行こう、と漠然とした思いはあったものの、具体的な目標が定まらずにいた。 アメリカもいいな、いや広々とした中国、まだまだ未知のインド、それともおしゃれにオーストラリア...
 だが、資金面やその国の気候、物価、経済事情といったことから このプランになった。

 昨年海外合宿(台湾)の経験があるとはいえ、出発前は数々の不安が心中渦巻いていた。 熱帯モンスーン気候やコレラ、マラリアなどの病気に関してはまったく無知だったし、行き先は お世辞にも治安がいいとは聞かないし、タイ語やマレー語なんて聞いたこともない。 そして私は10月以来全く自転車に乗っていなかったため、体力的な不安のほかに、私の自転車がまだ乗れるものなのだろうか、という不安もあった。
 また、航空券については 正規の旅行代理店ではないところ(運輸省 -当時- の認可がないところ)から購入したため、この航空券で本当に乗れるのか、そして行ったら戻ってこれないのではないか、という不安もないわけではなかった。
 現地では宿探しや買い物など すべてが思った通りにいかず、航空券もやはりひと悶着あって危うく帰国できないところだったし、走行プランも いきなり大幅に狂ったり、熱帯の厳しい気候に最初の一週間位は腹痛に悩まされたりした。
 そういうことに何度もくじけそうになる私を救ってくれたのは、熱帯の澄みきった空と大自然、豊かな物品、途中で出会った人々の、日本では得られないような笑顔と厳しさだった。

 帰国してから出来上がった写真を見ると、確かに日本国内の写真とは全然違うが、あの広々とした自然と強烈な日ざしは、写真からは到底想像がつかないほどで非常に懐かしい。
結果から見ると、たいした事故もなく病気にもならず、無事(?)走り通したことは本当に素晴らしいことであり、相棒の「なかぽん」のおかげでもある。

 最後に、往きの飛行機の中で知り合い、右往左往している私たちに適切なアドバイスをしてくださったSさんに深く感謝します。 (はたぼう記)


INDEX


<出国〜タイ編>
 1日目 成田 → BANGKOK
 2日目 BANGKOK
 3日目 BANGKOK → PHUKET
 4日目 PHUKET → KATA BEACH
 5日目 KATA BEACH → PHUKET
 6日目 PHUKET → PHANGNGA
 7日目 PHANGNGA → KRABI
 8日目 KRABI → HUAI YOT
 9日目 HUAI YOT → TRANG
 10日目 TRANG → PHATTHALUNG
 11日目 PHATTHALUNG → HAT YAI

※当時の為替レートは
  1baht=約5円、 1M$=約65円、1S$=約75円



<マレーシア編>
 12日目 HAT YAI → PINANG
 13日目 PINANG
 14日目 PINANG → TAIPING
 15日目 TAIPING → IPOH → KUALA LUMPUR
 16日目 KUALA LUMPUR
 17日目 KUALA LUMPUR → SEREMBAN
 18日目 SEREMBAN → MELAKA
 19日目 MELAKA → BATU PAHAT
 20日目 BATU PAHAT → KULAI

<シンガポール編〜 帰国>
 21日目 KULAI → SINGAPORE
 22日目 SINGAPORE
 23日目 SINGAPORE
 24日目 SINGAPORE
 25日目 SINGAPORE → KUALA LUMPUR
 26日目 → BUTTER WORTH →
 27日目 → BANGKOK
 28日目 BANGKOK
 29日目 BANGKOK → NARITA

 DATA まとめ&アドバイス 編集後記

ROUTE

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