三河教労機関紙2006年度連載 『日中・太平洋戦争と教育』 第11回    2007年5月

第2章         
教育勅語 その1 12の徳目の行き着く先
 前回の第8回では、第1章 軍国少年・少女 その2「教育勅語と瀬戸内寂聴」と題して、寂聴さんの自伝から、小学1、2年生の子どもの目から見た教育勅語を紹介しました。今回は、教育勅語そのものについて書いてみたいと思います。
 『父母に孝に・・』の行き着く先は、『天皇に命を捧げよ』
 みなさんは『教育勅語』を読まれたことがありますか。言葉が難しく、読むのも写すのも大変です。わたしは、漢字から何とか意味を探ることしかできません。
 大原康男、國學院大學日本文化研究所教授は、大きく3つの部分から成るといいます。

 最初に、「朕惟フニ、我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ、徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ。我カ臣民、克ク忠ニ克ク孝ニ、億兆心ヲ一ニ…此レ我カ国體ノ精華ニシテ、教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス。」と述べ、「我が国の建国の由来」1と「日本古来の美風である『君に忠』『親に孝』は、わが国のもっともすばらしい特色であり、教育の源もここにある」2と述べています。(1大原康男『教育勅語』、2韮沢忠雄『教育勅語と軍人勅諭』から)
 次の部分では、「爾臣民、父母ニ孝ニ、兄弟ニ友ニ、夫婦相和シ、朋友相信シ、恭儉己レヲ持シ、博愛衆ニ及ホシ、学ヲ修メ業ヲ習ヒ、以テ知能ヲ啓発シ徳器ヲ成就シ、進テ公益ヲ広メ世務ヲ開キ、常ニ国憲ヲ重シ国法ニ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ是ノ如キハ独リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ニ遺風ヲ顕彰スルニ足ラン」と述べています。
 この部分を、大原氏は、「『孝行』、『友愛』、『夫婦の和合』に始まり、『遵法』『義勇奉公』に至る十二の徳目を揚げて、それを実践することの深い意味を明らかにし」ている、とします。
 またこの部分は、「あとを断たない陰惨な“いじめ”に代表される戦後教育の荒廃」は、教育勅語がなくなって日本人の良き精神が失われたためだという主張によく使われます。
 それに対して、韮沢氏は、「ただ、意味がよくわからないなかでも、一ヶ所だけ意味がわかるところがあった。それは『ナンジ臣民、父母ニ孝ニ、兄弟ニ友ニ、夫婦相和シ、朋友相信ジ…』というところで、そこだけは『なかなかいいこといっているな』と思った」が、「そのあとに出てくるのは『一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ』という一句、― ひらたくいえば、いざ戦争になったら勇んで戦場におもむき、『天皇陛下万歳』といって死ね、ということで、これが教育勅語の結論だったのである」とし、さらに「教育勅語と軍人勅諭は、両者相まって天皇を頂点とする上の者への絶対服従の体制を作る上に大きな役割をはたした」と述べています。
 第7回で紹介しましたが、三浦綾子さんが若いとき、受け持ちの小学3年生の男児たちに、迷いもなく「大きくなったらね、あなたがたもみ()国のために死ぬのよ」と熱く語ったのは、この教育勅語の精神に他なりません。

教育勅語は、軍人勅諭と同じ人物によって作られた
 明治天皇が教育勅語の編纂を命じたのは1890年(明治23年)の2月で、発布されたのは同年10月末でした。時の総理大臣は山縣有朋で、教育勅語は山縣の指導によって作られたと言われます。(岩本努、『教育勅語の研究』)
 
山縣は、その8年前に、陸軍参謀本部長の要職にあったとき、『軍人勅諭』を作った人物でもありました。
 韮沢氏は、「教育勅語を読み返して、『なんだか軍人勅諭に似ているな』と思った。軍人勅諭の中心は、『天皇への忠誠』だが、教育勅語はそれとならべて『親に孝』を強調していることが違うだけである。それも、天皇は親で臣民はその赤子(せきし)だというたとえ話で補足されて、結局は『天皇への忠誠』に帰着するようになっている。それを成立させるために、家庭内でも親、とくに戸主の言うことには絶対服従ということが強調されることになっていた。」と述べています。



今も昔も“教育の危機” の大合唱で、“国家徳育”を推進
 天皇が教育勅語の編纂を命じたのは、2月に開かれた全国知事会議の場で、“徳育”の大合唱があり、そこで決議された「建議」を受けてとされていますが、岩本氏は、「総理であった山縣の意をくんで、知事たちが声高に叫びはじめたのかも知れません」と書いています。これは、十分に考えられることだと思います。
 知事たちは、「総テ我国家ヲ知ラシメルヲ勉メ真ノ日本人タルニ恥サル者ヲ養生セシコトヲ希望ス」(宮崎県知事)とか、「総テ外国教育ノ趣旨ヲ基トシ徳育ノ如キハイササカモ顧サルカ如シ今ニシテコレヲ救済セサレハ益人倫ノ道ハ地ニ落ルナラン故ニ…」(島根県知事)などと、教育が“西洋かぶれ”に冒されているとして“国家徳育”の必要性を訴えました。さて、この様な論議と“国家徳育”の進め方は、何かに似ていませんか。
 そう、安倍内閣による“教育再生”の論議の仕方、進め方にそっくりです。
 “西洋かぶれ”を“いじめ”“学力低下”に置き換えてください。“国家徳育”を推進するときには、“教育の危機”が声高に叫ばれるのです。
 そして一方では、教育基本法改悪、全国学力テストの実施、教員免許法改悪などの「教育3法」など、国家による教育への介入が一段と強められ、「教育再生会議」では、道徳を“徳育”という教科にしようとする案も浮上しているあり様です。

教育勅語礼賛者たちが、教育行政の中枢を占める現状
 先に、教育勅語の「父母ニ孝ニ…」の部分が、「今日の教育の荒廃は、教育勅語がなくなって日本人の良き精神が失われたためだという主張によく使われる」と書きました。  
 1例を挙げると、2001年に遠山文部科学相から教育基本法見直しの諮問を受けた中央教育審議会の鳥居泰彦会長は、審議の場で、『教育勅語を読んだことがありますか。勅語には、人間のすべきこと、心がけが書いてあるんです。それが今の日本にはない』とあからさまに教育勅語を礼賛したそうです。(韮沢、同書)軍国教育の“象徴”を賛美したり、その復活を願う人たちが、教育行政の中枢を占めているのが現状です。

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