連載 『日中・太平洋戦争と教育』 第8回の1
第1部 天皇の軍隊 2007年8月
3章 天皇の運隊 (2)『従軍慰安婦』問題 その1
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旧日本軍の慰安施設にいた中国人少女と連合国兵士1945年8月 |
先回は、第1部に戻り、「教科書検定」と沖縄戦住民「集団自決」を取り上げました。今回は、続けて、『従軍慰安婦』を取り上げます。
『従軍慰安婦』問題は、日本軍が、占領したアジア各国の女性を、「工場で働く」などとだましたり、脅したり、時には軍や警察が暴力的に拉致するなどして拘束し、将兵との性行為を強要したり強姦した事件です。
被害のあった国は、朝鮮、台湾、中国、フィリピン、インドネシア、マレーシアと日本軍が占領した全地域に及び、その中にはオランダ人も含まれました。
この問題は、被害者も家族も人に語ることができずに長い間埋もれてきましたが、1990年代になって、勇気を奮って証言する女性が現れ、少しずつ明らかになってきました。
日本兵による拉致と性的暴力を認定 中国人『慰安婦』第2次訴訟
例えば、中国山西省盂県で被害にあった女性二人が訴えた「中国人『慰安婦』第2次訴訟」では、地裁、高裁とも、賠償請求権は退けましたが、次のように日本軍による性的暴力を認定しています。(2004年12月15日、東京高等裁判判決より)
「ア 上告人X1は,(略)1942年(昭和17年)旧暦7月のある日,同上告人の姉の夫が八路軍に協力しているとの密告に基づき,武装した日本兵と清郷隊(地元の住民により組織され,日本軍に協力した武装組織)が姉夫婦の家を襲い,その際,同上告人は姉の家族とともに進圭村の日本軍の拠点に連行され,監禁された。当時15歳であった同上告人には婚約者がいたが,まだ婚姻しておらず,性交渉の経験はなく,初潮も迎えていなかったが,その夜から,隊長を含む複数の日本兵らによって繰り返し輪姦された。同上告人は,連行されてから約半月後,家族の助けにより,いったんは解放され帰宅できたが,その後更に2回にわたり進圭村に連行され,同様に監禁,強姦される被害にあった。同上告人は,同年旧暦9月中旬ころ解放されたが,現在,上記監禁及び強姦に起因すると思われる重度の心的外傷後ストレス障害(PTSD)の症状が存在する。
イ 亡A Aは,(略) 1942年(昭和17年)旧暦3月のある日,多数の日本兵がAの住む村に侵入し,八路軍に協力していたことを理由に,父らとともに捕えられた。同人は,当時13歳で性交渉の経験はなく,初潮も迎えていなかったが,複数の日本兵によって殴る蹴るの暴行を加えられた上,強姦された。その後,同人の母が銀700元を日本軍に支払ったことで,解放されたが,その間約40日にわたり,繰り返し強姦,輪姦の被害を受けた。同人は,1999年(平成11年)5月11日に死亡したが,生前,上記監禁及び強姦に起因すると思われる重度の心的外傷後ストレス障害(PTSD)の症状が存在した。」
姜徳景(カン・ドクキョン)ハルモ二の告発 韓国「ナヌムの家」
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「ナヌムの家」にて |
わたしは、2002年夏に「愛知地区教職員労働組合」の「韓国 平和と歴史の旅」に参加し、『従軍慰安婦』の方々が生活する「ナヌムの家」を訪問しました。その時の感想を次のように書いています。
「夏に韓国を訪れてたくさんのことを考えさせられたが、中でも心に強く刻まれたのは、「ナヌムの家」に隣接する『日本軍「慰安婦」歴史館』で観た姜徳景ハルモ二の絵だった。
ハルモ二は、高等科1年15歳の時に、担任だった日本人教師の勧めに従って女子勤労挺身隊として来日し、富山県の不二越工作機械工場で飛行機の部品を作る仕事に従事した。仕事も辛かったが、何よりもひもじさに耐えられずに工場から逃亡すること2回、2回目に憲兵に屈辱され、「慰安所」に投げ込まれた。軍人らがたくさん来る土曜日が死ぬほど怖かったし、歩くことさえつらいほど痛くて床に伏しながらも、逃げることしか考えなかったという。敗戦後に故国に帰ったハルモ二は、一生結婚せずに一人で暮らしたが、後遺症の子宮内膜炎、輸卵管異常、膀胱炎などに生涯苦しめられた。
ハルモ二は、1997年に亡くなっており、ビデオでしか会うことはできなかったが、ハルモ二の絵が、隣接する『日本軍「慰安婦」歴史館』に掲げられていた。『奪われた純潔』という作品は、花びらが散る桜の木の根元に、屈辱された若きハルモ二が横たわっている。桜の木は憲兵の姿をしており、桜の木の下には骸骨が散乱している。『責任者を処罰せよ』という作品は、ハルモ二が「死ぬまでに是非描きたい」と描き残した作品である。葉の落ちた裸の桜の木に口髭を生やした軍人が一人縛られ、それに何本もの銃口が向けられている。処刑される軍人は裕仁昭和天皇である。絵が描かれたのは、裕仁氏が死んでからである。裕仁氏は死んでも、ハルモ二の心の中の戦争責任者は、死んだわけではないと感じた。」
「従軍慰安婦などなかった!」 すさまじい反対派のキャンペーン
「元慰安婦」たちの告発に対して、「従軍慰安婦などなかった」「強制されたのではなく、金稼ぎの売春婦だった」とする反対派のすさまじいキャンペーンが繰り広げられています。図書館に行き、『慰安婦』問題の本を探すと、半分ぐらいがそういった本です。例えば、その中の一冊、阿部晃著『“慰安婦問題”のからくり』は、次のように述べています。
「現在、日本の教育現場は、このように“反日的”とさえいえる状況に置かれていて、特に明治以降の日本が進んできた道筋についての授業にいたっては、一方的にアジア諸国に対する侵略と迫害の歴史とする、自虐的な傾向のものが主流となっています。このような自虐教育の象徴が、教科書に慰安婦問題に関する記事が登場するようになったことでした。幸い、本年(2005年)の検定分から8種類ある中学生用の歴史教科書全てにおいて、慰安婦問題に関する記述は姿を消しました。しかし、高校生用の教科書では、現在も、日本史・世界史・政治経済と、たたみかけるように慰安婦問題のことが取り上げられていて、あたかも日本が、戦時中、朝鮮や軍占領地の女性たちに対して、国家ぐるみで性犯罪行為をはたらいていたかのように教えています。ところが“慰安婦問題など虚構にすぎない”のです。そもそも性に関する露骨な事項である軍隊慰安婦のことを、正式の教育の場で取りあげること自体問題です。ましてや、日本が朝鮮や軍占領地の女性たちを強制的に引っ張っていって慰安婦に仕立てていた、などという事実は存在しないのです。」
次回は、この阿部氏のように「戦後教育は自虐教育だ」と否定する「新しい教科書を作る会」や安倍内閣による、「従軍慰安婦否定キャンペーン」について書きます。
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