A→アマルフィ→ナポリ→ポンペイ
 今日はフィレンツェの街を後にして、一気にナポリまで移動する。
バスなら7時間掛る距離であるが、高速鉄道で移動し、世界遺産である
アマルフィ海岸を訪れる。
翌日はナポリの市街地を観光して、午後には
ポンペイ遺跡の石畳に足を棒にしながら回って、
これまた一気にローマまで、バスで移動するルートで観光した。
 サンタ・マリア・ノヴェッラ中央駅から、新高速鉄道イタロで、ローマを経由してナポリへ向かう。
車両は、時速300qでも揺れは少なく、2時間半でナポリ中央駅に着く。
これから向かう
アマルフィ海岸は、道幅が狭いので、小型のベンツバスで向かう。
アマルフィー
険しい岸壁が続く地形に、秀逸な建物が立ち並び地中海的な独特の景観が展開している。
街はそそり立つ断崖を背に、山地から海岸線まで広がり、海と山に抱かれた絶景を見せる。
ポジターノの丘からの絶景 僕の一枚
断崖に、へばりつくように築かれた白い家々が並ぶポジターノの街は、
世界遺産にして休日を楽しむリゾート地。
 複雑な装飾と豪華な大聖堂へは、
長い階段を上ると鐘楼も見えてくる。
夕日が山裾に隠れるアマルフィ海岸の夕景
ナポリ
紺碧の海の向こうに、
ヴェスヴィオス山が望める
サンタ・ルチア港
 どこのビル群が建ち並んでいるのかと
思ったら、
なんと大型客船が停泊するナポリの港町。
 ナポリの街は、喧騒と活気があり、実に庶民的な雰囲気で迎え入れてくれる。
広い道路の中央分離帯の部分に、電車の停留所があるので、路線上を車も走り、
人も歩く無法地帯のようだ。
おまけに、メイン通りのアパートのベランダには洗濯物?がたなびいている。
 ナポリを支配したアンジュー家のサンタ・キアーラ教会は、
外壁に淡い縞模様が見られるが、内外部とも装飾はいたってシンプルで、
何度も改築や再建された跡が残っていた。
 教会の裏手にあるクラリッセの回廊に入ると、
陶板に手書きされた美しいフレスコ画で彩られ、物語を感じさせる壁面に囲まれた。
壁面のフレスコ画は、斜光線を受けて、アーチ型の柱が光の造形を浮かび上がらせた。
 回廊から中庭に入ると、
マヨリカ焼き
のタイルで飾られた柱やベンチが
庭の木々と調和して一層美しく輝いていた。
 静かな建物から外に出ると、
再び雑然とした街並みが残る
下町情緒あふれる旧市街に入る。
ここは
スパッカ・ナポリである。
下町の元気な日常風景の中をしばらく散策した後、バスでポンペイ遺跡へ向かった。

 ポンペイは、ヴェスヴィアス山からの灰と溶岩の下に埋没した
古代ローマの裕福な商業都市である、と言うくらいの知識で訪れた。
遺跡群は楕円形に拡がり、碁盤目のように通りがある。
今回は、その中で全体の4分の1程度を見たにすぎないと言う。
 イタリア半島で、随一の繁栄を謳歌していた平和な都市で、
人々は午前中だけ働き、昼食を摂り、昼寝が終わるとスポーツで汗を流し、
公衆浴場へ出かけて、入浴して身を清めるという生活をしていたと聞いて驚く。
 そんな予備知識をもって、見学すると良く理解出来る。
 5000人収容できる馬蹄形の観客席
をもった
屋外劇場跡
幕間に観客が散策できる四角形の回廊や
特別観覧席もあった。
 大通りに面したパン屋
部屋の真ん中に石臼の丸い粉挽き機があり、
奥には焼く釜戸があるのは、
現在のピザ窯と同じ形であると聞く。
 公衆浴場は、前に広場がありその一角には
回廊のある体育場も備えている。
四角や丸型の水浴室、温浴室があり、
浴室内は彩色漆喰の洗練された草葉模様や
神話のシーンで飾られたいた。
 犠牲者の形が残った石膏が展示されていた。
地中に埋もれた姿を残された空間に、
石膏を流し込むことによって再現されたもの。
 ヴェスヴィオス山を背景に拡がる公共の広場(フォロ)は、
政治、経済、宗教の中心で、
全長142m幅38mの広さを持っていた。
 まだまだ見学足りないが、
出口の売店で遺跡と当時の様子が
比較できる冊子を購入して
帰路に着いた。
 今日は実に良く歩いた。
しかも雑踏の中であったり、足場が不安定な場所であったり、変化に富んでいた。
歴史の重さの中で日常生活を送り、後世にも伝え残す責任を感じながら、
今を生きる街の様子は複雑であった。

これからバスで、最終観光地のローマへ一直線。

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