保母山 胎蔵寺
浄土宗西山深草派
善光寺如来
三国伝来の一光三尊
釈尊の時代 

天竺昆舎離国の長者月蓋が
疫病流行の際 阿弥陀仏に祈り
一光三尊(中央に阿弥陀如来 
両脇に観音様 勢至菩薩様を配し
舟形後背にて一光となす)を感見して
疫病が、たちまち終息したので模像を造り
以来 信仰が始まった仏様。
ぜんこうじにょらい

准胝佛母観世音菩薩

胎蔵寺の准胝佛母観音は秘佛の為 
御厨子は常に閉じられています。
ざおうごんげん
仏法の守護神 真言の行者を守護して
一切の悪魔を降伏させる
密教の五大明王の一尊

大日如来の変化身といわれ、索と利剣をもち、
煩悩の悪魔を利剣で切り払い難状の衆生を索
で救って下さる憤怒身の不動の明王
阿弥陀如来像
あみだにょらいぞう
1133〜1212年  浄土宗の開祖

善導大師

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法然上人

本堂正面

抱き地蔵

伝教大師(最澄)と共に唐に渡り
金剛 胎蔵の密教を伝承して
日本に帰国した。

弘法大師(空海)は807年真言宗を開き
真言密教の弘通と
その発展に努められた高僧

胎蔵寺は、三河国准四国八十八ヶ所の
八十六番札所として受継がれ
巡礼の方々が、参拝に訪れています。
こうぼうたいし
不動明王
ふどうみょうおう
定基と力寿姫
じゅうろくぜんじん

本堂内の仏様

釈迦如来の化身と言われ
修験道の本尊。
像は右手に三鈷を握って振り上げ
左手は腰にあて
片足を高く上げた姿をとる。
衆生を救済せんが為に神として
化現(神と合体)されている姿 尊像神仏
弘法大師 参河國准四國八十八ヶ所札所

文久二年七月(十番札所)の冨賀寺本堂に奉納された

参河國「准四國八十八ヶ所順禮圖」を解読して再現されたものです。

この札所は元禄年間には成立していたと思われます。

善導大師
ぜんどうだいし
ほうねんしょうにん
今から、1000年程前、大江定基が力寿を偲んで建てた胎蔵寺も
時の流れに風化していった。

寛正元年(西暦1460年) 念空聖観上人が中興開山となる。
念空聖観上人は松平和泉守信光(家康より六世の先祖)の十三男である。
                                              
信光は、念空聖観上人が胎蔵寺開山の折、
一子相伝である秘佛、准胝佛母観音託され
胎蔵寺安置の御縁を結ばさせた。

以来、里人は多大なる尊崇し尊像を拝している。

胎蔵寺 准胝佛母観音の御縁起
じゅんていぶつぼかんぜおんぼさつ
浄土宗の本尊

阿弥陀如来は、人が、
この世を去ると
極楽浄土の教主として
全ての人を救うといわれる仏

阿弥陀仏如来には、二つの別名が
あります。

無量寿如来と無量光如来です。
「無量」とは(はかりしれない)と言う
意味ですので、

『はかりしれない、寿命・生命力をもつ如来』
『はかりしれない、光に満ちた如来』
という事になります。

善光寺如来

不動王明

弘法大師

十六善神

准胝佛母観世音菩薩

蔵王権現

宗 旨
安置仏
十六善神
年間行事
境内周辺
朱印帳印印
本堂左手に可愛いお地蔵様がみえます。
このお地蔵様は願いがかなうかどうか
教えてくれると言われています。
心の中で、願いを唱え抱き上げて、軽く感じれば
その願いは、叶えられ、
重いと叶わないといいます。
占いとは少し違います。
重く感じても、がっかりしなくてもいいのです。
後になってから、その人にとって一番良い道を
導いて下さっていると言われています。

胎蔵寺にお参りの折には是非抱き地蔵に
お伺いしてみませんか。
抱き地蔵
三鈷杵(さんこしょ)
蔵王権現
弘法大師
613〜681年
中国 唐初の僧で道綽の弟子。
浄土教の大成者である。

日本の法然、親鸞に影響を与えた。

著書 「観無量寿経疏」など
著書「選択本願念仏集」など
法然上人
比叡山で源光・皇円 次いで
黒谷別所の叡空に師事

1175年 専修念仏の教えを唱えて
浄土宗を開いた。

京都東山に庵を結んで布教に努め、
主に武士・農民の帰依を得た。
六観音 又は、七観音と呼ばれる中の一尊。
准胝観音は、全ての菩薩の母と言われ
母の文字がつくのは、准胝観音様のみである。

除災、延命、求児の諸願が
叶えらえるとされている。
特に、母の名のごとく子授け観音として
古来より女人に厚い信仰を受けている。

阿弥陀如来

御朱印
お知らせ
法要がある時のみ本尊の身代わり
としてこのお前立ちが御厨子前に
拝座されます。
般若経とその誦持者の守護を誓った
十六の夜叉神

薬師十二神将に四天皇を加え
十六善神と呼ぶ
百万灯夜