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Pokyu庵は岡崎の小豆坂に有ります。小豆坂は古戦場で歴史ファンならご存じの方も多いでしょう。
愛知県内の古戦場としては桶狭間、小牧長久手、長篠設楽が原などと並んで有名な場所です。
では小豆坂のトリビアをお楽しみ下さい。


ギャラリー

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小豆坂古戦場

小豆坂の戦いは、岡崎城に近い三河国額田郡小豆坂(現在の愛知県岡崎市羽根町、不吹町、美合町に亘る地域。光が丘女子高からセレモニーホール、スーパーFeel辺り。)で行われた戦国時代の合戦です。三河側の今川氏・松平氏連合と、尾張から侵攻してきた織田氏の間で天文11年(1542年)と17年(1548年)の2度にわたって繰り広げられました。発端は松平氏家中の家督相続をめぐる対立ですが、これに領地拡大を図る織田氏と今川氏が介入し、事実上、松平清康の死後勢力の衰えた松平氏に代わる西三河地方の覇権を巡って、織田信秀と今川義元との間で生じた抗争です。この抗争は結局桶狭間の合戦まで続いて行き、家康が今川家の人質となるきっかけともなりました。(Wikipediaに加筆。)

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血洗い池跡石碑

小豆坂とは優雅な地名ですが、実は血塗られた過去の歴史を今に伝える地名でもあるのです。2度に亘る松平・今川・織田の合戦や家康と三河一向宗徒との合戦で非常に多くの血がこの地で流れました。その様は流された血で辺り一帯が小豆色に染まったとも言われています。血洗い池跡石碑もそんな激しい戦いの一端を今に伝えるものです。実際の血洗い池は今の石碑の位置ではなく、平成5年に近くの場所から移設されたものです。余談ですが”血洗い池”をネット検索すると全国には沢山の血洗い池が存在しています。一番有名なのは学習院大学構内の血洗い池で、その他京都薬科大構内の義経の血洗い池、岡山の周匝(すさい)に八岐大蛇を退治した宝剣を洗った血洗い池等が有ります。

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槍立松石碑

左の古戦場石碑、血洗い池跡石碑と並んで槍立て松石碑が有ります。これは小豆坂七本槍(あずきざかしちほんやり)と言われ、1542年の小豆坂の戦いで活躍した織田家の勇士7人が戦いの後槍を立て掛けた松があった所に作られたもので、彼らの武勇をを顕彰したものです。7人とは織田信光、織田信房、岡田重善、佐々政次、佐々孫介、中野一安、下方貞清と言われています。この石碑も血洗い池跡石碑と同様に平成5年近くの場所からこの場所に移設されたものですが、古写真を見ると戦後もこの松が存在していた事が分かります。この小豆坂七本槍が有名となり、その後の合戦で功名を挙げた武将が、蟹江七本槍、賤ヶ岳の七本槍、上田七本槍などと呼ばれる様になりました。    

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小豆坂戦没者英霊記念碑

この石碑は左記の小豆坂古戦場石碑等から通りを隔てて200m程南に下がったスーパーFeelの地内に有ります。

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松平・織田・今川家の家紋

県道岡崎刈谷線の光が丘交差点から100mほど南の小公園には、この地で戦った松平・今川・織田家の家紋を浮き彫りにした石碑が立てられています。今川家の家紋は裏側。

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馬洗い池跡石碑

この馬洗い池跡石碑は他の石碑と離れて住宅地に囲まれた実際の池の跡地に立っています。石碑によると昭和55年まで池が存在した様で、埋め立てた時建立されました。石碑の後ろの空き地が池の跡です。

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