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松平家徳川家位牌 | ||
元和元年(1615)大阪の陣で豊臣氏を滅ぼして徳川幕府の安泰を確立しましたが次の年発病し、病状が悪化する中、家康の死後の処置について遺言しました。それは、「遺体は駿河久能山に葬る事、葬礼は江戸増上寺で行うこと、位牌は三河大樹寺に立てること、一周忌が過ぎたら下野日光山に小堂を建てて勧請せよこれにて関八州の鎮守とせよ」というものでした。 家康が遺言したように、大樹寺に立てられた事でしょうが、安政の火災で記録が焼失しているため 定かではありませんが、おそらく一周忌には位牌は調整されていたものと思われます。 ただし、現存の位牌は当時のものではなく、家康の13周忌にあたる寛永5年(1628)年尾張藩主義直が調進したものです。 位牌の高さは、将軍の身長にあわせてあると言われますが、素朴で堂々としていると評されています。 上の写真が空調設備の整った位牌堂です。中の写真が徳川将軍歴代のいはいです。下は松平家歴代の位牌です。 | ||
貫木神 | ||
1970年の大樹寺の陣で家康が切りつけた刀傷おある門の貫木(かんぬき)は、後に「貫木神」として祀られるようになりました。貫木は159cm、10.3cmの角材です。山門または西門の貫木といわれています。江戸へ参府の際には密かに携行し徳川家の武運長久を願ったとされています。また、江戸では、しばしば公開されることがあり、寺の運営資金を稼いだとも言われます。 上の図面は、江戸で公開したときの文書に添付された図面で、これが現在、大樹寺大方丈に祀られている「貫木神」です。 |