はじめに
(この文章は1991年当時のもの ほぼそのままです)
素晴らしい旅だった。 やっぱり来てよかった。 期間が短く、ほんの一瞬だけではあったが、ちょっぴり現地に溶け込むことができた。 ロビナビーチやクタの宿の人や店の人たちに一言も日本語を話さずに全て片言のインドネシア語あるいは英語でしゃべっていると、「あなた本当に日本人か?」とか「日本語しゃべれるのか?」とか言われたりして 一般の団体ツアー客とは違う扱いを受けているようで 少々うれしかった。
日本人やオーストラリアからのツーリストでいっぱいだったクタやデンパサールを一歩出れば、もうそこには観光客は全くといっていいほどいない。 そこにあるのは真っ青な空とヤシの木、一面の水田、心地よくそよぐ風、波の音、屈託のない村人たちの笑顔、素朴でちょっぴり野性的な食事、夜空にきらめく星々、...。
高級レストランやリゾートホテルはいらない。
飽食・金満ボケした我々日本人が忘れてしまったものが、そこにはある。
INDEX
1日目 名古屋→ KUTA
2日目 KUTA → SELAMADEG
3日目 SEKAMADEG → LOVINA
4日目 LOVINA → KUTA
5日目 KUTA
6日目 KUTA → 名古屋
ここが知りたい Q&A、あとがき