愛知県では,小中の教員実数率で40%台そこそこの愛教大唯一学閥が県政と癒着し県教育行政の中枢部を100%独占して小中教育界を全面支配する,全国的にも特異な特殊愛知県的状況が戦後数十年来続いています。 「出世の沙汰も学閥しだい」で,校長等管理職のほとんどを愛教大学閥で占め,愛知県教員組合・傘下組合役職も学閥で占めて,その経験者は一般組合員を「踏み台」にして必ず管理職に出世し,校長を退職した者等で教育外郭団体である愛知県教育振興会等の役員を占め,その独占販売物の押し売りで「あぶく銭」をしこたませしめるという,愛知県の小中教育界を私物化し,出世欲と利権で金に汚れた集団が,愛教大学閥の真の姿です。 これらの「裏の道」を歩きつつ「表の道」で児童・生徒や一般教職員に「立派な訓辞」をたれることは教育者以前の人間性に反した「背徳」以外の何ものでもありません。中でも学閥外教員に対する日常的な差別をとおした児童・生徒へのさまざまな悪影響は愛知県の教育に期待される多くの県民のみなさんをも裏切るものです。 (『教育基本法』第十条=教育は,不当な支配に服することなく,国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである。) わたしたち三河教職員労働組合は,結成以来,この愛知の教育界の病巣の解明に実証的に取り組んできました。その今までのささやかな成果が「学閥支配との闘い」のページに凝縮されています。今後も,愛教大学閥の「背徳・不正・横暴」と闘う組合として意欲的に活動していきますので,もし,みなさん方の中で,学閥の悪事に関係した情報をお持ちの方は,告発という形で当組合に情報をお寄せ下さることをお願いするしだいです。 【閥】出身・利害関係など,何らかの点で共通する人が結んだ排他的な集団。(大辞林) |
日常、語られる言葉、「教師はこうあるべきだ」「世間は、きびしい」「教育に時間はない」など、当然と思いながら、その一方で、学閥による差別は横行し、不正も行われています。
「生涯、一教師として」と情熱をもって教員生活を始めても、すぐにその「おかしな」ことには気づきます。そして、多くの前途ある教師がこの三河の教育現場を去っていきました。
「学閥の教師論」それは、都合良く考えられた「学閥体制温存のための管理論」だと考えます。それを各種の文書・発言などから、明らかにしていきたいと考えます。
「学閥には関係ない。」(A大出身者)「学閥は必要悪だ。」(A大出身者)「わたしは、学閥には批判的に行動している。」(A大出身者)などと良心的な行動を自負する方々もいます。
しかし、「学閥は学閥」だと思いませんか。
「教務・校務になれたのは、どうして。」「校長・教頭になれたのは。誰のおかげ?」
「良心的に行動」という方々も、厳然としてある「差別」はやはり容認の立場です。
そして、今、日本の教育が大きな曲がり角を過ぎようとしている時、「どれほどの良心が発揮される」のでしょう。
知らず知らずのうちに、差別を容認し、反動的な思想さえ認め、あるいは沈黙し、というのが現実ではないでしょうか。
学閥は、「批判的」と自負する人々さえ、取り込んでいくのです。それは、戦前と同じ現象でもあるのでは。
学閥の支配する愛知に、本当の教育の花は
咲くのでしょうか。