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気まぐれテキトー日記は気が向いたときに更新中...

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ZZR250 スタイリッシュなクォーターツアラー ZZR250。
速そうな外観に似合わず、まったりツーリングに最適なバイクといわれますが、もっさりとしたレスポンスに加えて振動やメカノイズが多く、ガサツな面があります。

2008年にデビューしたNinja250Rにバトンタッチ、とうとうラインナップから姿を消し、絶版車の仲間入りです。
今後は徐々に忘れ去られる運命を辿るのでしょう。
でも そんなZZR250にだって良いところがあります。
また あきらめずにカスタムしていくことで弱点を変えることができ、頼れる相棒になっていきますよ!

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編集◇コラム  「生きる目的」 (10/01/10)

ケンシロウ「ユリア……」
シン     「フッ おまえのことは完全に忘れたとさ
        あの時おまえの命と引きかえにな
        おまえはユリアのおかげで七つの傷だけで済んだのだ!」


ケンシロウ「忘れてもいい 生きていてくれただけで」

                                    ジャンプ・コミックス 『北斗の拳』 第1巻より



いきなりですが、あなたは何のために生きていますか?

子供のため、家族のため、会社のためという人は多いのでしょう。
夢の実現のため、という人もいることでしょう。
そんな対象があって日々頑張れる人は強い。 と同時に脆くもあるような気もします。
その対象物との関係性が崩れてしまうと、生きる目的を失いかねないから。

いずれにせよ、この問いにすぐに答えられる人は幸せなのかもしれません。 そんなこと考えてるヒマはないという人や、とにかく食べていくのに精一杯で、そんなことは二の次だという人も少なくないと思います。 ヒマがあったら働け、生きる目的をあれこれ考えるなんて ただの甘え、という人も。
ともかく、生きる目的は人それぞれだと思います。


小さいころから既に素直でない性格だった私、小学校高学年にさしかかると、人は何のために生きてるんだろう? 自分はなんで生きてるんだろう? と時折考えこむ、ヘンな子供でした。
その質問を両親にぶつけても、期待するような答えは返ってこないであろうことが何となくわかっていたし、友人にきいてもダメそうだし、学校の先生も、親戚のおじさんも、従兄弟もそう。
子供らしくなく、一人で悶々としていたある日、バスの中で知らないおじいさんに席を譲ったとき、お礼を言われた、その笑顔が印象的で、長い間の疑問が解決したのです。 “そうだ、ボクが生きてる目的は、他人に喜んでもらい、笑顔になってもらうことだ” と。
その答えは どうやら現代日本の社会構造、市場経済、合理的思考とも うまく合致していて、疑問を挟む余地が無いどころか、“立派な考え方” として、世の中に通用するであろうことも、私の自信につながったのです。
そして その後の学生生活でも、社会人になってもその自信が揺らぐことはなく、自立した生活を送り、仕事という役割を与えられたことによって、世の中と価値観を共有し、ますます自信を深めていきました。
  他人の役に立ちたい。
  他人に必要とされる人でありたい。
  それにはまず健康でありたい。
  生活基盤もしっかりしていたい。
  自分自身のスキルも磨きたい。
これらは一見、志の高いものに見えます。 実際そうなのかもしれません。
しかし、別の側面からこれらを見ると、“欲” が見えてきます。
“自分の人生は自ら切り開いていく”、 “人生をコントロールしたい” という欲なのです。
世の中には成功談やハウツーものの情報があふれています。 おそらくその多くは強者とか勝ち組が提供した情報。 強者が成功するのは当たり前。
働かざるもの食うべからず。 成功しないのは努力が足りないから、なんて言われることもあります。
だから、“人生はコントロールできるんだ” なんて思ってしまうんですね。


そんな私が ずいぶん前に うつ病を罹患し、早期回復は望み薄だとわかったとき、絶望は深いものでした。
他人の役に立てないから。 他人に必要とされてないから。
長い間信じこんできた、“他人に喜んでもらう” という生きる目的は このとき崩れ去ったのでした。
“自分の人生は、自分のものではないのかもしれない”
他人の役に立てず、社会にとって無用の長物と化した私。 何の価値もないどころか、日々エネルギーを消費し、温暖化ガスを放出しているのだから、逆に迷惑な存在なのかもしれない。

希望など持てないまま、長い間苦しみました。
傍から見ればただ一日中伏せたり起きたりのグータラ人間に見えたことでしょう。 なぜ私は生きているのか、考えていました。 そんなグータラ人間だって苦しんでいたのです。

夕暮れ 結局その答えは出ませんでした。
私が生きる目的は わからなかったのです。

でも、何となくわかったことがあります。
生きる目的そのものはわからないけれど、人は “生き抜く” ために生きてるということ。
人は必ずしも何かを為すために生きているわけではない。 他人の役に立つ立たないだけが、その人の価値を決めるわけではありません。
それよりももっと大きな価値、それが “生き抜く” ということなのではないかと思います。
自分本位に生きることとは違います。 他人よりも自分、という考え方でもありません。
排他ではなく、むしろ周囲との共生。 それも “生き抜く” 手段ですから。

病気をしてわかったのです。 生き抜く、ということが いかに大変ですごいことか。
今日を生き抜いた人は、それだけで実はすごいのです。
あなたも、私も。 世の中の人すべてが。

充実した生活を送っていようが、何となく生きていようが、今日を生きている人たちはすごい。 ましてや何十年も生き抜いた、年配の人たちにはもう、ただただ感嘆です。 病気だろうが、無職だろうが、引きこもっていようが、“生きる” 人たちのことを とやかく言う権利は無いのです。 それぞれの命の重みに、差は無い。
命の大切さは、経済活動で測れるものでもなければ、地位や功績で測れるものでもない。
つき合いが多い少ないで測れるものでもない。

“生き抜く” のは目的であり、権利でもあり、義務のようでもあり、そもそも何かのカテゴリーに分けるのが不自然なほど、実は崇高なことなのかもしれません。

フロントランナーでなくていい。 リーダーでなくてもいい。
周囲とか世間に過剰に合わせる必要もない。 やりたいことができなくともよい。
安心して、生きている限り、今日を生き抜こう。
それぞれの人たちの、それぞれの人生を大事に考えていこう。 そう思うのです。

Imagine there's no heaven
It's easy if you try
No hell below us
Above us only sky
Imagine all the people
Living for today...

                                     John Lennon 『Imagine』より

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◇更新履歴◇

「バイクライフこぼれ話」にその10を追加しました。   (10/01/17)
「編集◇コラム」を更新しました。               (10/01/10)
「プロフィール」、自転車「インプレッション」を小変更。  (10/01/04)
「プチオフ会記録」プチオフ会その17開催結果を掲載。 (09/12/30)
「カスタム後インプレッション2」の画像ほか一部更新。 (09/12/20)
「弱点の対策事例2」にディスクローターを掲載しました。(09/12/13)
自転車の小部屋に「飯田秋季ツアーに参加」を掲載。  (09/12/06)
「プチオフ会記録」にプチオフ会その16開催結果を掲載。(09/11/29)
自転車の小部屋に「淡路島半周」を掲載しました。    (09/11/21)
「編集◇コラム」を更新しました。               (09/11/15)
「オフ会情報」にプチオフと納会のご案内を掲載。     (09/11/08)
「弱点の対策事例2」カスタムシートに追記しました。  (09/11/01)
「自転車の小部屋」しまなみ海道ふたたび(後半)掲載。 (09/10/25)
「自転車の小部屋」しまなみ海道ふたたび(前半)掲載。 (09/10/18)
「海外プチ冒険旅行」にタイ アユタヤとチャオプラヤ河。(09/10/10)
「プチオフ会記録」プチオフ会その15開催結果を掲載。 (09/10/04)

    09/9月以前の更新履歴はこちらを参照してください。

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